いつも「切り口鋭いな〜。頭いいんだなあ。」と感心(尊敬)していたブログがある。
azanaerunawano5to4.hatenablog.com
今回自分の記事が言及されたと通知が来て「ニヤ」っとしてしまった。
azanaeruさんの熱心なファンかというと別にファンではないが、あの公開処刑のステージに引っぱり出されたことについてはちょっとばかりワクワクした。
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すぐに読んでみたが、ちょ〜っとガッカリ。タトゥーにはあまり興味がないみたい。
内容についてはあとで書きますが、思ってたほど悪意を感じなかった。てか悪意はないような気がした。(営業妨害ならすみません笑)
僕の中でazanaeruさんのブログのイメージとは「あそこにあげられると悪意満々でボロクソにされる」というものだったので、「もし自分の書いたものがピックされたら俺どうなっちゃうの?」なんて勝手に思っていたんですが、俺にはやってくれなかった。
azanaeruさんの興味があまり湧かなかったという時点で「トップギアに入らなかった」ということはちゃんと察しています。
でももうちょっといじめて欲しかったな。笑
内容
あんまりいうと逃げ口に使っているようで嫌なんですが、僕は文が下手だと自覚してます。だから伝わらないのはしょうがないとおもっていますが、せっかく言及していただいたので言及の言及をしようと思います。
そもそもタトゥーと入れ墨(紋紋)は文化的背景が異なる。
これはタトゥー問題の根っこと言われるものでもちろん認識しています。コメント欄にも沢山あったと思います。その際にいつも持ち出されるのが「江戸時代の罪人の印」と「ヤクザがいれるもの」というもの。
これに対しては僕の中ではとっくに答えが出てまして「いつまでそんなこと言ってんの?」と思ってます。
江戸時代の風習を未だに重んじるなら「ちょんまげ」にしてないのは何ででしょうか?洋服を着てるのはなぜでしょうか?
開国を機にそういう風習がなくなっていったのは僕でも知ってますが、タトゥーだけは160年たってもその頃の位置づけというか認識を継承しようとする考えが不思議でしょうがないです。
【 罪人の印→ヤクザの目印 】という流れで、「怖い人がするもの」という認識が強固になってしまったのもわかってます。
それを踏まえて「いつまで言ってんの?」です。
もちろんこれは人に強要したい考えではなく、僕個人の考えです。
冒頭に貼っている清原の入れ墨写真。
アレは日本の「入れ墨」
次に貼ってる海外カップルは「タトゥー」これ付随してる記号的意味(文化的コンテクスト)がまったく異なる。
時代や文化で記号は、大きく異なるなんて当然。
清原ネタをこの記事にぶち込んだのはダメでしたね。『記号的意味』で2つのネタを1つの記事に入れたのは間違いでした。
僕の中ではタトゥーも入れ墨も大差ないので『冒頭の掴み』的に使っただけなんですがね。結果的にちょっとややこしくしてしまいました。
よくわからないんですが、入れ墨に対して抵抗感のある多くのひとは「入れ墨を入れる」と言う行為と認識に対して「おかしい」と感じているのであって、「入れ墨を入れている人間はあらゆる価値観がおかしい」なんて思ってるわけじゃないでしょう。
これが僕が言いたい本筋です。
一部の人間はタトゥーが入っている人間の人格を全否定するような発言を(ネット上で)平気でします。(目の前で言われたことはありませんが。)
これはazanaeruさんが知らないだけでひどいもんですよ。(リンク先の記事読んでくれました?)これについて記事を書いてます。
噛みつくと言うより打ってる筋が悪い。
そもそも日本において70年ほど前まで法的規制が存在し、禁忌感があり反社のイメージが強い「入れ墨」なのか、それとも海外からの輸入とも言える「タトゥー」を語るのかだけでも前提や論点がかなり異なる。
それらは似ていて非なるもの。
これは上に書いた通りです。
こだわって「入れ墨」ないし「タトゥー」を入れてる人はもちろんいますが、僕的には「タトゥー」も「入れ墨」も大差無いです。
周りにいる入れ墨を入れている人間もみんな堅気ですし、タトゥーと入れ墨のミックスも普通にいます。皆さんは理解し難いかもしれませんが、現実として今はそういう状況なんですよね。大差はないんです。
ただ、一般社会では相変わらず大差があるのは今回良くわかりました。
「タトゥーを正当化しようとしてるぞ!攻撃しろ!」
なんて大勢の人は言いたいんじゃない。反応としての多くは
「結婚式の写真で入れ墨肯定されても納得できないんですけど……(困惑」
なんですけどね。
僕のスタンスは一貫して『必要以上の口撃をしてくる人間に対して問いかける(口撃する?笑)』というものです。
ここを理解して読んでもらえれば全く違う記事に見えて、僕の言わんとすることが伝わると思いますがどうですかね?まあ結局は自分の文才の無さが原因です。
謝罪と弁明云々として書かれた記事の中にそういう認識がなかったのでこれを書いてますが。
そういう一部の人間以外には謝罪もしてますし、「云々」のところには「抗争の意思」と書いてあります。これからも訴え続けるという意味です。(略さないでくれる?笑)
そのファッションをまとえばそれなりの記号を身につけることになる。
(これは僕に言ってるのかわかりませんが)もちろん覚悟してますよ。認めてほしいなどという主張は一切してないつもりです。あくまでも「そこまで言う必要あるのかい?」です。
他の皆さんにも「認めて欲しい」と訴えているように聞こえているようですが…。日本語は難しいです。
自分にとってその記号は意味がなくても、文化的背景や他人にとっての記号を否定できるほどの論拠として「オレは好きだから」「嫌いなひとは嫌えばいい」じゃあ腰砕けなんですよ。
(これも僕に言ってるのかわかりませんが)文化的背景や他人にとっての記号を否定しようとは思ってないので、「オレは好きだから」「嫌いなひとは嫌えばいい」と思ってます。そもそもタトゥーってそういうもんですし。
最後に
どうですかねえ。伝わりましたでしょうか?
「そんな訴えてこられても…困る。」と思っているでしょうが、言及というあなたが蒔いた種です。しっかり刈り取ってください。笑
もう一回言っときますが、azanaeruさんがタトゥーに興味が無いのはわかってますので気分悪くしないでくださいね。
ただの言及です。
では。