野獣死すべし―1 ※バトル有り

 夜の太平洋。空を分厚い雲が覆い月の光も射さない黒の世界には、本来なら静寂と孤独だけが満ちているはずだった。

 だが、そこに響き渡るのは大気の絶叫。轟く硬質な金属音が空間そのものを震え上がらせる。


 人が立ち入ることを許されない夜の聖域を、無残なまでに切り裂いていく者たちの正体とは――二体の魔人であった。


 片や魔王の名を冠する者、片や神という頂に座する者。超音速で海面すれすれを翔け、軌道上に白い水柱を立ち上げながら、彼らは――澄華すみかと機神は、激しい戦闘を繰り広げていく。


 敵を正面に捕捉し続けるため後ろ向きに飛行する澄華に、それをやや上方から追う機神。

互いの重力操作による飛行能力は、速度も機動力も互角。つまり、この光芒一閃の戦いの勝者と成るのは攻撃の多彩さにおいて勝る側――。


 闇に染まる大海原を赤き閃光が明るく彩る。機神が放つは荷電粒子の砲撃。一閃二閃に留まらず、数十もの紅蓮の魔弾が獲物を求めて殺到した。

 熾烈を極める機神の攻撃。その極僅かな狭い隙間を、澄華は紙一重で針の穴を通るように掻い潜っていく。閃光は躱される度に彼方へと消え、あるいは海面を高熱で爆発させ水蒸気の塊を撒き散らした。


 一見すれば常に攻撃権を有する機神こそが優勢な戦況であり、澄華は防戦一方という体である。だが回避に専念をしているとはいえ、澄華が『亜光速の砲撃』を悉く見切っていることもまた事実。つまり、一方的に追い詰められているわけではなかった。


 確かに、機神の攻撃は一撃を掠っただけで行動不能になる凄まじいものではある。これだけの威力の攻撃を、超音速で移動をしながら連続で放ち続けることのできる無尽蔵にも等しいエネルギー生産能力は、S級――超越者だけが持ち得る特性だ。


 ところが、その力の持ち主は、能力を使いこなす訓練を受けたこともなく、戦闘の経験もこれが初めての者でもある。故に、敵の移動ポイントを先読みする術も、敵を望む場所に追い立てる術も知らず、ただ愚直なまでに正確に攻撃を繰り返すことしかできないでいた。


 しかも、澄華から秀徳の居場所を得ようとしている機神からすれば、致命傷と成り得る頭や胴ではなく行動不能にするための手足を狙うしかないため、その攻撃の軌道を読むことはなおのこと容易かった。


 澄華にしても決して戦闘経験が豊富なわけではないが、そこは才能の差。いかに強大な力を得ようとも、使いこなすことができなければ敵に翻弄されるしかないことを、澄華は機神へと見せつけるように飛び続ける。


 〝……そろそろだな〟


 繰り広げる攻防の最中、澄華は機神の攻撃に、いつまで経っても敵を撃ち落すことのできない焦りが表われ始めていることを見抜く。照準が杜撰と成り、躱すまでもなく通り過ぎる砲撃の数が増えた結果、もはや最低限の回避運動で済むように成った時、澄華は漸く新たな一手を打った。


 機神からの攻撃を読み切り、前へとかざした右手に集めるは鴉崇魔からすまの力。迫る間すらも認識できないはずの亜光速の砲撃を、澄華は右手の面積ほどに効果範囲を圧縮し威力を高めた重力波で彼方へと弾き飛ばした。

 赤き閃光と蒼き閃光は刹那に混じって煌き消える。

 相手を挑発するような力の使い方は、まさにそれを狙ったものだ。


 セーブをしていたとはいえ、S級の完全覚醒体状態の攻撃を完璧に防がれたことに、機神は飛行速度を落とし澄華の狙い通りに明らかな動揺を見せる。


 そして、そのこと自体をまるで恥だと断ずるように外殻の隙間を紅に光らせるやいなや、背中の装甲の一部――人でいう肩甲骨にあたる部分をそれぞれ開くと、そこから荷電粒子を猛烈な勢いで噴射した。


 スラスターと化した一対の背面パーツが、荷電粒子の放出により莫大な推進力をもたらす様は赤く巨大な翼。重力操作を使い飛行していた機神は、更に光の翼を羽撃かせ、先ほどの何倍もの速度を得ることを可能としていた。


 同じS級、もしくは覚醒体状態のA級血族でなければ、当たった瞬間に血霧と化す突進。常に荷電粒子の砲撃を先読みし続ける澄華に対抗するため、点ではなく面での攻撃で行動不能にすることを目的とした機神の作戦である。


 だが――それは、この戦局において間違いなく失策だった。


 機神の突進が澄華へと直撃する。突進がもたらすだろう威力を考えれば完全な決着だ。

 ――故に、直撃した時の手応えがなにも無く、ただ通り抜けてしまったことに機神は驚愕するしかなかったのだろう。機神が急停止をすると同時に膨大な大気の破裂音が鳴り響く。そして、機神が振り返った先には――本物の澄華が拳を振り上げて待ち構えていた。


 「――おおぉォっ!」


 蒼いプラズマを纏う澄華の右ストレートが機神の顔面を打ち抜く。


 澄華が使用したのは、重力操作による運動能力の強化とインパクトの増幅。能力の発動は、その出力と効果範囲が大きいほど、溜めの時間が必要となる。だが、自身に近い距離であれば、その時間は大きく短縮できる。ノータイムで放たれた強烈な一撃。なぜ澄華が自身の背後にいるかも理解できない機神に、それへ対応できる余裕は無かった。


 ――機神の失策は、澄華の挑発に乗り荷電粒子砲の攻撃を止めてしまったことである。例え、悉く躱されてしまったとしても、突進などを仕掛けずに撃ち続ければよかったのだ。そうすることで、澄華の集中力が切れて回避行動の判断ミスを犯す場合もあったのだから。


 なのに、戦闘経験の乏しさから判断を誤り、自ら澄華の罠へと飛び込んでしまった。機神が狙い定めていた澄華の姿は、実際には重力操作で光を屈折させることによって生み出した虚像だったのだ。


 奇策で相手の精神を乱し、確実に攻撃を当てる戦い方。これは、澄華が秀徳との実戦を通して学んだ必ず勝つための術である。


 澄華の拳を受けた機神の顔面を覆う装甲が砕けた。そのまま吹き飛ぶ機神への追撃。澄華は両手を機神に向けた。空間が歪み、発生した高重力の渦が檻と成って機神を空中で捕縛する。その周囲で蒼いプラズマが星のように瞬いた。


 〝羽虫を潰すようにバラバラにしてやるッ!〟


 通常の五百倍にも達する高重力の負荷は、まるで透明な大蛇が締め上げるが如く、機神の身体を軋ませ圧壊していく。然しもの超越者も、身体能力だけで、この高重力の束縛から抜け出することはできないようだ。


 僅かな身じろぎしかできずにいる機神に対して、澄華は血に染まったように紅い唇を歪ませた。――それは殺意の悦楽に彩られた笑み。


 超越者へ戦いを挑もうとした時点で、命を賭す覚悟はできている。だが澄華は、端から死を前提に戦うつもりはなかった。母と弟の仇である教団が滅ぶのを見届けるまでは死ねない。また、隠神秀徳との『約束』のこともある。

 ――今の澄華には生きる理由がある。


 「だから、てめえはこのまま死んじまえよおおぉぉっ!」


 機神を捕える重力の渦が力を増し、超越者の耐久力の限界をも超えていく。各部位の装甲が凹み始め、徐々にではあるが、機神の命を削り取っている手応えを澄華は感じ取った。


 そんな中で、機神がかろうじて動かすことのできた右腕が、まるで助けを求めるように澄華へと向けられる。


 〝今更命乞いだと? 駄目だね。おまえはここで死ぬんだよ!〟


 殺意を原動力に、澄華は更に機神への攻撃を強めていく。ここで機神を殺す。その一点のみに澄華の感情は支配されていた。


 ――もし、あの狡猾なる悪魔がここにいれば、こう言うだろう。

 功を焦る者に、勝利は無い、と。


 「……な、に?」


 全く意図していなかった攻撃が、澄華の左肩と左太腿を貫く。


 それは――機神の右腕だった。機神は重力の檻に囚われながらも、澄華へ向けた右腕を、一瞬で樹木の枝のように幾本にも長く鋭く変形させることによって反撃をしたのだ。しかも、その枝は貫いた傷口から更に細い棘を無数に出し、肉へ食い込ませてきた。


 「――くっ!?」


 澄華は咄嗟の判断で、傷口が広がるのも構わず、強引に枝を重力操作で引き抜く。A級覚醒体の再生力を頼った脱出方法だ。傷口の肉が抉れて骨が剥き出しと成るが、すぐに薄い蒸気を上げながら治癒が始まる。


 もっとも、その激痛を無視することはできない。耐え難い痛みによって能力を使うための精神集中が乱れたせいで、機神が重力の束縛から解放されてしまう。


 「…………くそ」


 澄華は激痛に喘ぎながらも、機神を睨み付ける。機神は澄華の攻撃から逃れただけではなく、その際に負ったダメージも既に修復が完了していた。

 機神の輝かしいばかりに完全無欠な姿を前にして、普通に戦ってはどうやっても絶対に勝てないと澄華は改めて思い知らされる。


 もはや、躊躇している時ではなかった。あれを使うしかない、と澄華は決断する。


 ――鴉崇魔の、『禁じられた力』を。