1. ホーム
  2. 経営・戦略
  3. 連載コラム
  4. 深層中国 ~巨大市場の底流を読む
  5. 第77回

深層中国 ~巨大市場の底流を読む 第77回 「中国の夢」の終焉 ~急増する富裕層の移民

経営・戦略 田中 信彦 2016年03月25日

「国家の屋台骨」がカナダに移民

 旧正月を終えた今年2月半ば、ある出来事が中国のSNS上などで衝撃を巻き起こした。中国中央テレビ局の著名な司会者、女優、作家でもある倪萍(ニーピン、NiPing)さんという人物が、カナダのバンクーバーへの移民を宣言したのである。

 なぜ1人のタレントの移民がそんなに話題になるのか。それはニーピンさんが、かつて「共和国の脊梁(せきりょう=背骨、大黒柱)」という称号を受けたこともある、それこそ国家的なレベルの超有名人だったからである。

 マスメディアがほぼ全て国家の統制下にあり、そこで最大の影響力を持つ中央テレビ局の威厳は、外国人にはなかなか実感しにくいほどのものがある。看板番組の司会者や夜7時のメインニュースのキャスターともなれば、国家指導者にも匹敵する影響力を持つと言ってもいい。ニーピンさんは、そこで日本の「紅白歌合戦」に相当する大晦日の看板番組「春節晩会」の司会を13回も勤め、おまけに2002年には映画に出演、中国映画界最高の栄誉とされる「中国電影金鷄賞」主演女優賞を獲得、出版したエッセイは権威ある文学賞を受賞、最近では超人気番組「中国達人秀」(米国で大ヒットした「アメリカズ・ゴット・タレント」の中国リメイク版)の審査員を務めるなど、中国ではまさに知らない人はいないと言っていい人物である。

 そんな経緯で2011年には「共和国の脊梁(国家の屋台骨?)」に認定されている。この賞は新聞社などが主催して選定する民間の称号で、公的な権威はないが、要は「国を支えるほどの人物」ということで、彼女が中国を代表する著名人であることは間違いがない。

 そのニーピンさんが祖国を去って移民するというニュースに庶民は騒然となった。SNS上にはすぐさま「国家の背骨がなくなったら、共和国はどうやって立つんだ?」という書き込みが現れ、国民的ジョークとなった。本人はその後、反響の大きさに驚いたのか、中国パスポートを示しつつ「移民はしていない」といった趣旨のことを述べたと伝えられるが、すでにバンクーバー市内の学校に子息の入学手続きを済ませており、移民の意志は明らかと受け止められている。

急増する富裕層の移民

 最近、富裕層の海外移民に対する関心が急速に高まっている。メディアでもその話題がよく取り上げられるし、私の周囲でもそういう気分を感じる。その背景にあるのは国内景気の先行き不安や政府の「思想的締め付け」の強化、国際的な資産分配(人民元の切り下げへの懸念)といったことだろう。要するに、1990年代半ば以降、20年以上にわたって続いてきた中国経済の急成長で恩恵を受けた層、つまり1960年代生まれ以前の人たちが「まあそれなりの資産もできたし、そろそろこの辺ではないか」と思い始めたということである。

 先頃発表された「中国国際移民報告2015」(中国社会科学文献出版社など刊)という報告書に興味深いデータが掲載されている。いま流行りのビッグデータを活用したもので、中国で最も多く使われている検索サイト「百度(バイドゥ)」が公表する「百度指数」(あるワードの注目度をビッグデータ解析で指数化したもの)によると、「移民」は2015年初め頃までは同指数6000ポイント前後で数年間、ほぼ横ばいが続いてきた。しかし2015年に入ると急に上昇を始め、中国の株価が急落した同年夏には40000ポイントと、わずか半年あまりで6~7倍に急上昇した。株価と移民の確かな因果関係は不明だが、株式相場の急騰、急落をきっかけに富裕層が移民や資産の海外移転に関心を向けた可能性は高い。少なくともこの1年ほどの間に、社会の「移民」に対する関心が急激に高まったことは間違いない。

 同報告書によれば、2014年の中国からの海外移民は年間約15万人で、内訳は大洋州(オーストラリア、ニュージーランド)35.3%、次いで北米(アメリカ、カナダ)25.7%、欧州22.5%と続く。この3地域で全体の8割以上を占めている。近年、増加率の伸びが顕しいのは米国、そしてポルトガル、スペイン、ギリシャなどの南欧諸国。例えば米国は2014年(財務年度)の中国人投資移民は9128人と対前年比46%増で、投資移民全体の85%以上を占める。またポルトガルでは投資移民制度を導入した2012年末以来、2016年1月までに2853人に居住権を認めたが、うち79%が中国人だった。

 一方、中国人移民の急増に耐えかねて投資移民プログラムそのものを中止する国もある。カナダは5年間に80万カナダドル(約6800万円)を指定の案件に投資すれば永住権が取得できるプログラムを実施していたが、2015年2月、この制度を打ち切った。



  1. 1
  2. 2
  3. 3
この記事の評価
現在の総合評価(18人の評価)
4.5
あなたの評価
決定
  • すべての機能をご利用いただくには、WISDOM会員登録が必要です。
この記事に対するコメント
  • すべての機能をご利用いただくには、WISDOM会員登録が必要です。

同意して送信する

  • 大串さん

    記事のさじ加減というか視点というか、非常に痛快に思いコメントをさせていただければと思いました。

    たとえば「春節晩会」の模様(多くの日本人が知らず関心も薄い)を紹介しつつ、祖父が戦前に国民党の高官だったというご友人の日用品工場オーナー(中国人が中国で実際どう感じているかという生の声)を紹介するあたり、自分も中国(北京)に長期滞在中なこともあり現地の現状は全くその通りだと思うわけです。

    #ここで一部の中国人(知識分子)が以前の文化大革命についてどう思ってきたか等は記事の主題からすればさほど重要でなく、まして日本人が日本で文化大革命云々についてどう思うかなどということは全く重要でないので。

    他にも「中国人は自分の資産で「中国国内で何が買えるか」よりもむしろ「資産の国際的な価値」のほうに敏感で、ことおカネに関する限り、非常に広い視野で世界を見ている」というのは、苦笑を禁じ得ません… いや中国人がおカネに敏感だという話に苦笑してしまうのではなく、日本人が日本と日本社会に保護され縛られているゆえに資産の国際的な価値に敏感でないという話に苦笑してしまうのです。

    しかも「このあたりに日本と中国人の「国家に対する信頼度」の差が表れている」と日本と日本社会の信頼性を表向き肯定するかのような一文を書きながらも、その実「中国には「上に政策あれば下に対策あり」という言い方があるが、政府のほうも「下に対策あれば上にも対策あり」というわけで、いかにも実利主義の中国らしいやり方だと思う」と日本の非実利主義を暗に指摘するあたり、痛快でなりません。

    #つまり日本人の国家に対する信頼は実利の上に成り立っていないかもしれないという。

    そのような意味で「一方、移民もできず、逃がすほどの資金もない圧倒的多数の人々は、上の世代のようにゼロから資産を構築する方途も見えず、日々強まる閉塞感に苛立ちを強めている」という結論にも説得力があります。わたしの周囲の中国の人たちもやはりそんな感じですね残念ながら…

    この機会に、中国現地の情報を正確に伝える上質なコラムを執筆くださっている田中氏とWISDOM編集部への謝意とエールをお送りしつつ。

    2016年03月28日 13:31

  • 初老人さん

    【中国という国にはかつて、確かに夢があった。】のでは無くて『野心家が野望を達成出来る混乱があった』のではないでしょうか。その時期が過ぎて『野心家では無い国民が普通に暮らせる社会主義国家』を目指す時期が来た今、『一帯一路』という明確な経済・外交 圏構想を打ち出して野心家達に外向きな野望を提示し、国家求心力維持を図ったかと考えていましたが『中華再興』という夢を国民は共有したがらないのでしょうか。
    幼い頃から愛国を教えられてきた国民が国家より私利を重く考えてしまうのはやはり『どちらが得か』を重んじる国民性が勝るのでしょうか。そのあたりの事情を知りたいと考えます。

    2016年03月28日 11:41

  • ndavidさん

    悪夢の「文化大革命」再来に中国人が警戒していると言っても過言ではない。中国の4回の移民ブームは上述の警戒心によるものである。中国の富裕層というと、官(政府高官から一般の公務員を指す)が絶対な数を占めている。よって、中国の公務員もこの移民ブームに入っていたのである。自分の祖国を愛しない公務員たちがやはり悪夢の「文化大革命」の襲来に恐れている訳である。

    2016年03月25日 11:54

コラムニスト・プロフィール

田中 信彦たなか のぶひこ

中国・上海在住。1983年早稲田大学政治経済学部卒。毎日新聞記者を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動 に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、 ...

プロフィール詳細



バックナンバー一覧を見る
Link People, Link Business一覧へ

【講師:石川善樹 (いしかわ よしき)氏】予防医学研究者 1981年、広島県生まれ。世田谷学園中学校、筑波大学附属駒場高校、東京大学医学部健康科学・看護学科 ...

第189回はLINEの元社長 森川亮さん。日本テレビ、ソニーを経て現在のLINE株式会社に転職後、社長に就任。現在は同社顧問およびC Cannel株式会社代 ...

プレミアムコンテンツ第18回は、今年2月にNEC本社ビルの共創型ワークショップスペースで行われた、WISDOM共創ワークショップ「アジアでの新しいビジネスを ...

第188回は小説家の藤沢周さん。1998年に『ブエノスアイレス午前零時』で芥川賞を受賞。現在は法政大学経済学部で教授も務められています。グローバル社会といわ ...

「命を刻む彫刻家」と呼ばれる彫刻家・はしもとみおさん。生きている動物たちを彫刻に残すことをライフワークとし、作品をつくり続けています。ペットを彫刻にして欲し ...

WISDOMログイン

LINK会員登録

WISDOM LINK会員(無料)にご登録いただくと、豊富な会員限定記事をご覧いただけるほか、プレゼント応募やセミナー申込みなどの特典サービスもご利用いただけます。

Follow WISDOM一覧へ
アクセスランキング 評価ランキング
Copyright ©NEC Corporation 1994-2016. All rights reserved.