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 国際NGO(非政府組織)の呼びかけで「核と被ばくをなくす世界社会フォーラム」が24、25日、いわき市内で開かれた。フランス、ウクライナ、インド、韓国など10カ国から約120人が参加、東京電力福島第一原発事故の被災地を視察、集会では海外の原発労働者が体験を報告、県内の廃炉作業員らと交流した。

 チェルノブイリ原発事故時、原発4キロ圏内に住み、原子炉制御装置運転員だったバレンティン・ヘルマンチュクさん(65)は高線量下で事故収束作業に従事した。38時間後に家族と60キロ西に避難できたが、その後、高血圧の発作や頭痛、神経疾患などを患い、10歳と0歳児だった子どもたちは原因不明の鼻血や突然の失神などに苦しんだ。

 医師からは原発事故との関連は否定され、一方的に「放射能恐怖症だ」とされた。不十分ながらも国の補償を受けられるようになったのは、事故から5年後の91年のチェルノブイリ法制定以降だったという。