ボケーッと動画見てたら、もの凄いコメント欄が荒れてるものを発見した。「バイトのこと『仕事』って言うんじゃねえよ!」という怒りのコメント。動画内でバイトなのにそれを「仕事」と言ったがために怒りのコメントが溢れているっぽかった。別に仕事論とか全く関係ない動画なのに。「バイトのこと『仕事』って言うな!」論はよく見かける。大体みんな烈火の如くブチ切れている。
じゃあアルバイトとして雇用されている人間は、そのアルバイト先で行う接客や事務などの時給が発生する行動のことをなんと呼べばいいのか。これは「バイト」なのか。「バイト」という言葉には2つの意味があって、1つはその雇用形態、もう1つはその雇用形態における労働のことなのだろうか。だからあの人達は「あんたはアルバイトの身なんだから、あんたの働きは『仕事』とは言わずに『バイト』と呼べ」という意味で怒っていたのか。単純に、言葉そのものの言い間違いに対して怒っていたのか。だが、それにしては怒り方がオーバーすぎる。「雰囲気」を「ふいんき」と読んでるのを見かけたら烈火の如くブチ切れる人、というのはあまり見たことがない。言い間違いに対して怒っているという感じじゃなさそうだ。
「仕事」と「バイト」には明確な差がある。だからブチ切れる。「仕事」という言葉の辞書的な定義からすれば、アルバイトの人間であってもその働きのことを「仕事」と呼んでもいいはずなのに、どうやらそうではない。アルバイトが働くことを「仕事」と呼んではいけない、じゃあ働くことを「仕事」と呼んでいいのは誰だろうか。雇用形態の点から考えると正社員なんだろう。正社員が行うものが「仕事」であり、アルバイトが行うものは「アルバイト」。契約社員や派遣社員は…分からない。何にしても、「仕事」にも辞書的な定義とはまた別の意味が加えられているっぽい。
正社員とアルバイトの違いはなんだろうか。賃金が違う。時給換算でxxxx円以上ならば正社員というわけでもないし、サービス残業とか何やらで時給換算したらアルバイトよりも賃金が低い正社員も存在する。自分も一時期そんなんだったし。じゃあそういう人たちは正社員じゃないかと言うと違う。賃金の違いではない。業務範囲が違う。正社員はレジ打ち、アルバイトの人は品出しをやってください、みたいなそういうレベルの業務範囲の違いではない。アルバイトはレジ打ちや品出し、正社員はアルバイトの管理やらどうやったら売上伸びるか考えたりとか、もっと利益を上げるための業務が多い。その利益への貢献度の違いの副作用はなんだろうか。責任か。それの有無が大きく関わっているのだろうか。責任のある立場の人間とそうじゃない人間を一緒にするな、という意味合いなら、単純な言い間違いとは比べ物にならないくらいに怒りを露わにするというのは理解できる。立場の違い。その責任に加えて正社員は雇ったりクビを切ったりするのが面倒くさい。なので雇うのにお金も時間もかかる。その分の期待度が正社員とアルバイトでは違ってくる。アルバイトのお前の期待度と、正社員の俺の期待度を一緒にするな、という意味合いでの怒りなのだろうか。プライドの違い。それらの責任やら期待度やらを背負って正社員は働いている。それらを背負う覚悟があり、そして実際に背負いながら働いているのであれば、そうしていることへのプライドが生まれたり、そもそもプライドが無いとそれらを背負う原動力が生まれないということもあるのかもしれない。
と、色々回りくどく言ってみたけど、お察しの通り結局「バイトと仕事一緒にすんな!」という場面は、ちょっと背伸びをして『仕事』なんて言ってみたアルバイトを正社員の方々が「お前とは背負ってるもんが違うんだしそれを一緒にすんじゃねえ!」とブチ切れている構図がほとんどじゃなかろうか。実状どうなのかは会社にもよるんだろうけど、一般的には正社員というと、アルバイトに比べてそういう重みある立場という認識をされていることが多いんじゃなかろうか。いい歳してアルバイトだなんて…みたいな見方をする人は未だ多くいるだろう。正社員は責任と期待度とプライドが要求される立場であるという価値観があり、実際そんな価値観を持ちつつ正社員という立場にいて諸々背負ってる自分をそうでない人間と一緒にされるから、烈火のごとくブチ切れるのだろう。正社員としての責任とか期待度とかプライドとか諸々が「仕事」という言葉に込められている。だからアルバイトに「仕事」という言葉を軽々しく使われる事によって、自分の立ち位置というか価値観、社会的なアイデンティティを貶められているような感じになる。ブチ切れもするだろう。
が、そういうのを考えていると、天邪鬼としての血が騒いでくる。「バイトと仕事一緒にすんな!」というのは、正社員>>>アルバイトという価値観と「仕事」という言葉がその身分格差を支えているものの1つであるという価値観が前提にあって、その「仕事」という言葉が身分の低いアルバイトに使われることによって身分格差が縮まるように感じるから嫌なんだよ!というのが本心な気がする。正社員としての身分というか立場というか、その尊さを貶められるからこそ荒れて激論が起こるほどにブチ切れる人たちがいるのだろう。ある程度の社会的な立場を守りたいからこそブチ切れるのだろう。そうでなければ、タダの言葉の誤用にいちいち突っかかってくる人間はそういない。その言葉に重みがなければ、それの誤用に突っかかってきたり更には怒るはずない。ただ、アルバイトの問題はあるにしても、正社員というか仕事をしている人間を貶めるような言葉を使っている人間がたくさんいるじゃないか、まず怒るべきはアルバイトの言う「仕事」じゃなくて同じ立場の人間が使っている正社員・会社員を貶める言葉じゃないの?と思う。「社畜」という言葉。
「畜生」は人間や神以外をさす言葉だ。「家畜」はちゃっかり自分たちを神と同じ括りに入れてしまった人間様たちが飼い、使役する動物たちのことだ。そして、本来は神様人間様に使役される人間以外の生き物をさす部分が、何の因果か人間様に置き換わっているのが「社畜」という言葉。よくよく考えて見ればとんでもない言葉だ。だって、「人間でない生き物」を指す部分が「人間」になっているんだもん。この言葉を考案した人は相当な怨嗟の念を込めながら作ったのだろう…と思ったけど、調べてみるとどっちかっていうと社畜を使役している側の人間っぽいのが闇が深い。何にしても、この言葉はここ数年でかなりの勢いで浸透した。これだけ浸透したのは、この二文字に的確に表されるような状況がそこかしこにあり、多くの人間がそんな状況にいるからなんだろう。少しの自虐と皮肉に、それらとは比にならないただならぬレベルの怨念がなければ、社畜なんて名乗れないのではないのか。だって、人間様に使役される家畜と同じ状況を自分に見出してしまったのだから。そんな言葉がコンビニのスナック感覚でサクサク使われている。「ちょっと冴えないサラリーマン」というのを表す感覚で「社畜」を自称している人が多くいる。マジモンの社畜というべき人も多くいるのだろうけど。
とにかく、この言葉ほど会社員・正社員を貶める言葉は無いんじゃないのか。「仕事」という言葉に正社員としての立場の責任と誇りを持たせて、それを守ろうとしている横で、同じ立場の人間がその立場を家畜と同じだと表現する言葉を軽々しく使っている。アルバイトが言う「仕事」のほうが、よっぽどその立場を尊重しているのではないか。優先して駆逐すべきは「社畜」という言葉なんじゃないのか。「社畜」という言葉を使っている人に怒る人は見たことがない。アルバイトの言葉に厳しく、同じ身分の使う言葉が見逃されているような状況というのは、身分格差的価値観を持ちつつその身分を守ろうとしている姿勢の裏付けとも考えられる。
保育園に関しての記事は、共感を呼んだからこそあれほどまでに話題になったのだろう。だから社会問題にも成り得た。「社畜」という言葉も、そんな状況があるからこそここまで浸透したのだろう。「社畜」という言葉が流行りだした時のことは覚えていない。その時は、社会への怒りと怨嗟の言葉として「社畜」が使われていたのだろうか。そしていつしか、その怒りを持ってしても変わらぬ世の中への諦めから、単なる自虐ワードになり、今ではちょっとした面白ワードに成り果ててしまったのか。世の中を変えなかったのは誰なのか。変わろうとしなかったのは誰なのか。そして、いつしか怒りの言葉はただのウケ狙いの面白自虐ワードに成るのか。「保育園落ちた」という言葉も、遠くないいつの日かそうなってしまうのか。わからない。「仕事」という言葉が単なる労働だけでなく、それに関わる責任や価値の創出や誇りを含んでいながら、「社畜」という言葉はそのすぐ隣りで「仕事」なんてのは前時代的で古臭いものであり今やそんな誇りも何もないものだと嘲笑う。本当にその使い方に怒りを露わにするべきなのは、どちらなのだろうか。
※なお、この文章は無職が書きました。