今回は雑記です。
定期的な価値観の脱皮期間って?
1年か2年ごとに自分の考えとか価値観を一新したくなるタイミングが出てくる。自分ではこれを勝手に「脱皮期間」とか名付けてる。
生活のこと、やっていること、いつもの日常に慣れすぎると急にその全てを変えたくなる。衝動的に。なんでかって?いやぁー自分でもよく分からないんだけど。
でも少なからず自分の中では悪いことじゃないと思っていて、捨てなきゃ新しいものは手に取れないってよく言ったりするけどまさにそうだと思う。
過去の考えとか、こうすべきだ、こうあるべきだという固まった価値観とか考えを一度ぶち壊したくなる。
本当にこのままでいいのか?とか思ったりしちゃう。結果的に自分を変えようとする原動力になる。
何もしてなくて、知ったかぶったように論理を並べることだけは正直やりたくない。生きる上で言い訳とかあるべき論なんて邪魔なだけだと思う。目の前の生活とか人生とかどうやって面白くするか。
やっぱり考え方一つなんだろうなと思うわけです。
人生の時計で自分の残り時間を定期的に確認
自分のことを常に考える、いわゆる自己中心的な自我ってのが非常に強い。
そんな自分が定期的にやっていることがある。
自分の残り時間を確認することだ。
これって僕の中では一つの儀式というか恒例になっている。
1日に例えてもまだ朝を迎えたばかり、これからお昼になる。まだまだやれることあるなぁって思える。
それから日数も確認しておく。
こっちの方が衝撃的かもしれない。80年間の寿命で計算してみる。
365日 x 80年 = 29290日
ええー!めちゃくちゃ短いやん!
俺こんなふうにぽけーっとしてていいのかよ!
僕の時間はもうすでに10000日に達しようとしてる。
交通事故とか自分の身に何が起こるか分からない。
自分に拍車がかかる。というか、面倒くさがりな性格だからこそこうやって数字にすることで、頭で思っているより人生って短いってことが直感的にわかる。
これって大事。
自分を変えなきゃという強迫観念
どうしても怠惰な自分が出てしまう。それは避けられない。だって堕落してぼけーってしてる方が楽だしそっちの方がいいってなる。
でも、逆にこのままじゃダメかもっていう強迫観念も同時にある。
僕の好きな本で「努力しない生き方 」ってのがあるんだけどその中でハッとさせられた一言がある。
「命は何よりも大事なものと言われたりするがそれは違う。その命に何をかけるかが最も大事で意味のあることなのだ」
確かにそうだと思う。僕は何をかけた人生を突き進みたいのか。それって一生賭けて考えていくべきこと。一体なんだろう。
それをずっと考えてる。考えながら生きてくのもいいなと思ってる。
過去になんてとらわれてる暇はない。思いっきり生きてやる。そんな潔さが身についてきている。
脱皮期間に新しいものを取り入れる
というわけで自分のことを定期的に確認し、ここは嫌だなと思うこと、なんとなくでやっていることを思いっきりやってみる。
僕が今回やったのは「カメラ」を買ったこと。
これは自分に対する挑戦の意味も込めている。写真とかスマホでいいやん!と思っていたけれど、あえて買った。
もっと旅行に出るために。もっと新しい価値観に触れるために。新しいものを買って自分を意識づける。
使わなければお金払ったという事実が残るだけ。
価値のあるものにするか、無駄使いかは自分次第だしそのことにきちんと責任を持つ。
まぁ写真が撮るのはもともと好きだったし、僕は「時間」を撮りたいと思ってたからをれもある。
時間は取り戻せないけど、写真を見返したときの思い出ってなんとも言えない。
それから自分の持ち物で古いものを捨てる予定。使ってないもの、埃まみれのものはなくしていく。
終わりに
ブログを書くことにも慣れてきて60記事を書くことができている。ちょっとずつ、一歩ずつやっていきたい。もちろん仕事にも熱中したいし、旅も、おいしいものも食べたい。すべては長く続けていくことって大事だよね。でもその中でずっと同じやり方でやっていくことは考えてないし、常に新しいことに挑戦していきたい。自分で自分を変えていく。
そんな中で発見したこと、思ったことを引き続きブログに書いていきたい。