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『おそ松さん』はTVアニメ復活の“のろし”となるか? 社会現象となった理由を徹底解剖

リアルサウンド 3月27日(日)7時43分配信

 TVアニメ界に「社会現象」と呼ぶことのできるギャグ作品が、久しぶりに現れた。赤塚不二夫の出世作となった、六つ子を主人公とした漫画「おそ松くん」三度目のアニメ化作品「おそ松さん」である。深夜アニメにも関わらず、女性ファンを中心にターゲット層を大きくはみ出し幅広い年代に認知され、現在も支持を拡大し続けている。なぜこのような昭和の香り漂う題材の作品が、短期間で爆発的な人気を得ることができたのだろうか。ここでは、その理由を徹底的に解明していきたい。

■お蔵入りとなった第1話「復活!おそ松くん」の衝撃

 新しくアニメ化が決定したことで、おそ松をはじめとする作中のキャラクターが、現代の視聴者に受け入れられるよう試行錯誤するというメタ的な展開が第1話の内容だ。六つ子やイヤミ、デカパン、ダヨーンなどといった往年の登場人物が、「ガチョーン」「お呼びでない」「シェー!」など昭和ギャグをかまして笑いを取ろうとする。比較的冷静なチョロ松は「こんな昭和ヅラをしたメンバーのギャグで、いまさら人気出るわけないよ」と、絶望的な状況に頭を抱える。この一連のシーンの面白さは、製作者の葛藤をそのまま作中のキャラクターにしゃべらせているところだろう。しかし、おそ松には秘策があった。平成以降の有名漫画・アニメをコピーすることで、人気を挽回しようというのである。彼ら六つ子は自分らの絵柄を「萌えキャラ」に刷新し、学園アイドルとなってイケメンの魅力を前面に押し出そうとする暴挙に出る。

 本作は、女性のアニメファンに人気があるイケボ(イケメンボイス)声優を六つ子に配役したことから、女子向け作品としてヒットさせようという仕掛けを施しているのは明白だ。だがこのエピソードでは、女子を喜ばせるような類型的な要素を誇張してギャグにしてしまうという過激な悪趣味さを見せる。その裏に感じるのは、現在のアイドルやアニメ作品の露骨なビジネスに対しての批判精神だ。この回は事情によりソフトに収録されず、お蔵入りとなってしまったが、本作はこの第1話において、現在のアニメを分析し、外から客観視するという「批評性」を獲得したといえる。そして、このファンから距離をとった批評性こそが、現在のTVアニメ界に最も必要なものだと感じるのである。

■TVアニメの面白さを復活させる、視聴者との「適切な距離感」

 日本は現在、アニメ文化が隆盛しているイメージがあるが、かつて毎日のようにアニメがゴールデンタイムを席巻していた時期から、ここ十数年は、少子化による視聴率の低迷、高額な番組提供料などの問題から、ごく一部の大人気作品や長寿シリーズを例外として、深夜の放送枠向けの作品が多く作られるようになってきた。それはアニメ存亡の活路を求めた大移動であったが、そこでターゲットとなる視聴者を変更した影響は、作品の表面だけでなく本質部分をも変化させてゆく。

 時間が経つにつれ次第にファンだけに通用するような独特なコードが生まれ、製作側もそのようなコードを踏まえた作品を提供し、作品が閉塞的価値観の内部でコピーし合い消費されていくことで、まとまったお金を落としてくれるコアなファンを生み出していく一方、万人に受け入られる普遍性は、全体的な傾向として希薄になっていった。そして、アニメを「見る人」と「見ない人」にはっきり分かれるという現在の二極化が進む状況を生んだといえる。

 そのような蛸壺(たこつぼ)的状況への危機意識の高い制作者も少なくない。例えば国内外の実写映画監督を招聘したり、ファッションブランドに衣装デザインをさせたりなど、アニメ畑の外からの力を積極的に取り入れるという試みも見られた。近年では「魔法少女まどか マギカ」や「TIGER & BUNNY」のような、もともと異業種であった脚本家による作品が、一般層から敬遠される最近のアニメのマイナスイメージである、セクシャルな表現や過度な商業主義を逆手にとって、批評的な視点を加えている。

 「おそ松さん」の藤田陽一監督が演出を手がけていた「銀魂」では、お笑い芸人を志望していた、バラエティー番組・放送作家の松原秀が脚本陣に加わったことで、作品に新しい風が吹き込まれている。そして「おそ松さん」では、彼がシリーズ構成を務め脚本の中核を担うことで、その色が強まる。第15話では、新しいおでんを作ろうと思い悩むチビ太の下に現れた「花の精」が「おでんのことしか知らない人が、おでんを作っても、それはただの縮小再生産」とアドバイスする。この問題について、脚本家の側も非常に自覚的なのである。

 本作では深夜アニメの規制の弱さを利用することで、社会批判や下ネタを含んだギャグが、「銀魂」からさらに過激になっている。とくに、多くのアニメ作品が避けがちである「ニート」や「非モテ童貞」、「痛い自意識」など、視聴者の多くが直面するであろう若者にとっての一般的で等身大の課題が、分析的にギャグとして描かれていく。現実と太く接続された作品世界で、それらが正面から批評され笑いの対象になるということは、馴れ合い慰め合うことで安心を与えがちであるアニメが、アニメファンと適切な距離をとったことを意味する。その距離感こそが「おそ松さん」が幅広い層にリーチすることができた大きな要因だと考えられる。

■六つ子達に熱狂する女子が続出する理由

 しかし、本作はコアなファンを捨て去っているわけでもない。本作の人気の起爆剤となったのは、六つ子達への女性ファンの熱狂なのである。男性ファン向けの美少女アニメ同様、アニメ独特のコードに沿った絵柄でイケメンを愛でる作品は数多くある。しかしそれは、熱狂的な女性ファンを生み出すためには必要不可欠なものでないことが本作で証明されたといえるだろう。カラフルな輪郭線を採用するというアップデートが施されたとはいえ、ベースは昭和の赤塚漫画の雰囲気を残しているのである。だが、絵柄がシンプルだからこそ、登場人物の内面が重要になってくる。

 そもそも原作漫画では、見分けのつかない主人公達のインパクトそのものが人気の原動力であり、連載後半はそのキャラの薄さが限界に達し、主人公がイヤミに交替され、おそ松達は申し訳程度に出るだけという現象が起きるほどだった。本作ではその試みを反転させ、シリーズ史上最も強烈な個性を六つ子に持たせたというのが大きな特徴だ。彼らの内面をテーマに描いたり、彼らの関係性にフォーカスした内容のエピソードも多い。

 アニメーションに限らず、単純な性格設定の映像作品では、登場人物が決まりきったリアクションしかしないものも多い。「おそ松さん」では、六つ子それぞれが、個性から派生する多面性を持っており、ときに意外な行動をとることもある。後でよくよく考えてみると納得させられることが多いのだ。精神分析的ともいえる、ゲスでクズなところまで克明に明らかにしていく容赦ない心理描写は、向田邦子や山田太一のファミリードラマすら髣髴とさせるほどに、彼ら六つ子達を立体的で「生きている」存在にしている。この六つ子とファンとの関係は、第1話で揶揄されていたような、アイドルグループとファンという構図を超えて、パーソナルな結びつきを与え、より共感を高める。運営側が提供するサービスを買うだけという、予定調和で事務的なシステムが崩されているのである。

■新時代のリアルヒーロー「ニート」

 童貞・無職・実家暮らし。しかもそれが成人した六つ子だという、彼らを養い世話をする両親からすれば悪夢のような状況が「おそ松さん」の設定だ。「いつまでもスネをかじって生きていたい」と公言してはばからない彼らだが、ふと、その三重苦の末路に危機を感じ、就職活動を始める前向きなエピソードも存在する。だが、彼ら各人が実際にひとりで働いたり就職活動を本格化させると、今まで際立っていたはずの個性が消えていってしまう。むしろ、徹夜でうだうだと麻雀卓を囲んでいたり、誰がストーブの灯油を補給するかで仁義なき戦いを繰り広げているダメなエピソードの方が、はるかに個性が輝き魅力的なのだ。これはどういうことなのか。

 経済的な効率が「正義」とされる現実の職場では、往々にして個人の有用な部分だけが利用されてしまう。感情も思考も必要とされない歯車として「誰が誰でもおんなじ」人間になることを強要されるのだ。兄弟の中で唯一、かすかに女子達とのパイプがあるトド松が、苦心して参加することに成功した合コンでも、彼は有用なものを「何も持っていない」ことで孤立してしまう。ここでは金、車、学歴などでしか人間の価値を判断できない社会の限界と、若者の自意識の高さとの埋めることの出来ない落差を描いている。

 しかし、ギャップに戸惑う若者には同情すべき点もある。本作における、大富豪となったハタ坊のように、なんだかよく分からない人間が、よく分からない仕組みで富と権力を独占している格差社会のなかで、「就職をすること」、「結婚をすること」が困難になってきていることは確かだ。その上、世間からは「経済に貢献しろ」、「結婚して子供をつくれ」という見えない圧力をかけられている。不利な状況にある多くの若者にとって、それら期待に応えることは、いわゆる「無理ゲー」になってきているのである。であれば、「俺達はそのゲームから降りるよ」という態度が、六つ子達のニートな生き方なのだ。それは「人並みの幸せ」という、かつて信じられていた概念にきっぱりと背を向けることで、格差社会の歯車になることから自由になることを意味している。同時に、以前ほどには若者達を正当に承認してくれない世の中、家庭を持つことすら困難になってしまった社会への精一杯の反抗であり、ささやかな復讐でもある。「おそ松さん」達がそれでも楽しく、現実と連結した作品世界の中で生きていてくれるということは、同じく厳しい社会に生きる我々にとっての希望でもあるのだ。

小野寺系(k.onodera)

最終更新:3月27日(日)7時43分

リアルサウンド

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