江沢民はチャイナスクールを通じて「天皇を訪中させ謝罪させろ」と要求した。
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引用:http://www.newsweekjapan.jp/stories/assets_c/2015/08/endo20150831-thumb-720xauto.jpg


「天皇謝罪事件」など、日中関係を最悪なものに貶めたとされているチャイナスクールは、尖閣騒動で権力から追放された筈だった。

だが安倍政権はチャイナスクールの主要メンバーの横井裕を大使に任命し、中国との関係を修復しようとしている。


チャイナスクールと中国ルールが復活

日本と中国が深刻な対立関係になる原因を作ったのが、外務省のチャイナスクールだったと言われている。

チャイナスクール出身者は事実上中国の為にスパイ活動を行い、日本に不利益をもたらした。

天皇謝罪事件、教科書問題、中国暴動、天安門事件、尖閣問題、靖国問題とあらゆる事で日本を非難し、謝罪と賠償を求めた。
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チャイナスクール出身者は一連のスパイ活動の責任を追及され、要職から追放されたが、何故か安倍首相は中国大使に任命しました。

日本の中国大使はずっと中国側が指名した人間を日本が任命していて、尖閣騒動で更迭された丹羽宇一郎まで続けられた。


2012年10月にフレンチスクールの木寺昌人が着任するという異例の人事が行われたが、再びチャイナスクールが中国大使に復帰する。

大使には決まった任期は無いようで、今までの大使は3年から長くて5年で交替している。

丹羽宇一郎が2年で交替したのは明らかに更迭だったが、後任の木寺昌人は3年半なので通常の交替と言える。


中国政府が指名した人間以外、中国大使に指名しないという無法なルールは尖閣騒動で撤回された筈でした。

しかし横井裕をどこからどう観察しても、中国政府が指名した人間なのは明らかです。

外務省は再び元の謝罪外交に戻ろうとしているのではないか、という見方もできる。



チャイナスクールの悪行

チャイナスクールは外務省出身者で、政治家の加藤紘一が有名でした。

加藤は南京事件、慰安婦、靖国、領土問題、歴史問題などあらゆる事で中国を支持し、日本を批判し続けた。

ところでチャイナスクールとは元々、外務省に入省した新人教育に、中国に派遣して中国語を習得させた連中を指しています。


同じようにフレンチスクール、アメリカンスクールなど世界の主要国に派遣してスペシャリストを育成しようとしました。

ところが大学を卒業したばかりのまっさらな青年達を「敵国」に預ける事で、各国のスパイや工作員を育成してしまいました。

ニュース番組などで「元外交官」などを名乗る人達が、外国の立場だけを代弁して日本を批判するのに、違和感を感じた事はないだろうか。


アメリカンスクールの連中はアメリカを「地上の楽園」のように言い、チャイナスクールの連中は中国の代弁者になっている。

中国に派遣された純朴な青年達はまず、中国共産党と中国政府に生涯の忠誠を誓わせられます。

ここでもし中国から「不適切な人物」だと苦情が来て日本に返されたら、彼の一生のキャリアはそれで終了します。


こうして飼い犬同然の青年達は中国のスパイとして養成され、日本に帰国後も中国の為だけに働くようになりました。

また外務省職員だけでなく、同じように中国に忠誠を誓った連中を「チャイナスクール」と呼んでいる人も居る。

彼らが日中関係でどんな役割りを果たしたかは、とても興味深い。


河野洋平とチャイナスクールも深い関係にある
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引用:http://blog-imgs-45-origin.fc2.com/y/u/k/yukokulog/kono_danwa.jpg



中国に忠誠を誓った外交官

外務省がチャイナスクール制度を始めたのは1970年代なので、彼らが地位と権力を握ったのは1980年代以降です。

その頃から中国は日本のあらゆる事に難癖をつけるようになり、手始めが慰安婦問題でした。

1980年代に中国やアジア各国で慰安婦が問題視され、タイやフィリピンなどでも大騒ぎしていました。


中国も問題視し、チャイナスクールを通じて情報を得て、日本に謝罪を求めるパターンが定着した。

続いて教科書問題、毒ガス問題、靖国問題など次から次に、無限とも思えるほど問題が噴出しました。

実はこれらの問題は、チャイナスクールの外交官らが中国政府に告げ口をして、対日戦略を指南していました。


例えば小泉首相が靖国神社を参拝しそうだという情報があれば、いち早く中国に告げ口して日本を非難してもらうのです。

その見返りにチャイナスクールの人間は中国大使に指名してもらうなど、出世の道を中国から保証されています。

日本の中国大使を中国政府が指名してくるのは、こうした取り引きを行っているからだとされています。


チャイナスクールの権勢が絶大なものになったのは平成4年(1992年)の天皇訪中事件でした。

1989年6月4日に起きた天安門事件の影響で、当時の中国は現在のロシアのように、欧米から経済制裁を受けていました。

中国政府はチャイナスクールを通じて天皇を訪中させて謝罪させ、制裁を解除させるよう画策しました。



「俺が天皇を謝罪させてやった」

当時の内閣は自民党最後の内閣になった宮沢総理で、河野談話の河野洋平が大きな影響力を持っていました。

自民党には後に総理大臣になる橋本龍太郎など親中国派が揃っていて、天皇訪中に強い圧力が掛かった。

当時の週刊誌には「天皇に南京市を訪問させ、人民裁判に掛けて土下座させる」などセンセーショナルな予想が踊っていた。


結局南京訪問は天皇自身が拒否し、謝罪と受け取られる発言は一言も発しなかった。

だが中国側は「天皇が謝罪し罪を詫びた」と全世界に発信し、チャイナスクールは「俺が天皇を謝罪させた」と中国側に取り入った。

欧米は一斉に制裁を解除し、この時の関係者は皆中国政府に徴用され、今も中国通としてテレビの報道番組で活躍している。


この後も日本の政治家が何か発言する度に、チャイナスクールは中国側に告げ口をし、問題視するよう要請したとされている。

なぜこんな事をするかというと、日本の政治家を引きずり降ろす権力を握ることで、自らの出世に役立つからです。

政治家は中国を刺激するような発言をしなくなり、チャイナスクールを政府内で重用するようになりました。


こんな関係がずっと続いた結果、溜まったマグマが噴出したのが「尖閣騒動」でした。

「尖閣諸島は中国の主権の範囲だ」「日本は中国に配慮しろ」「日本が中国を怒らせて戦争になる」

こんな発言を繰り返す丹羽宇一郎大使に、実情を知らなかった多くの日本人も、中国との異常な関係を察する事になった。

そのチャイナスクールの横井裕を、安倍首相は中国大使に任命する事を決めてしまいました。

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