March 27, 2016

戸田山和久『科学的実在論を擁護する』書評


戸田山和久『科学的実在論を擁護する』名古屋大学出版会 2015
http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0801-3.html

本書は戸田山氏による本格的な科学的実在論の研究書である。
まず、日本語でよめる実在論論争史の紹介として、現時点で本書がもっとも充実したものだということは間違いない。20世紀における論争の紹介内容は、シロスのScientific Realism: How Science Tracks Truth (Psillos 1999)という定評ある研究書を下敷きにしていることもあり(これについてはあとで触れる)、信頼性は非常に高い。また、21世紀になってからの動きとして、チャクラバティの「半実在論」(semi-realism)やスタンフォードの「新しい帰納法」なども紹介されている。あるいは、国内の実在論論争の紹介でめったに触れられることのなかったギャリーの観点主義(perspectivism) なども紹介されている。熱素を使った事例研究も、シロスの事例研究をただ紹介するだけに止めず、自分なりの検討も付け加えて充実させてある。
第二に、本書は戸田山氏の科学的実在論についての立場をはじめてきちんと展開した本となっている。本書の第三部で展開される、「モデル」の概念を使った科学的実在論の構想は、『科学哲学の冒険』や雑誌『RATIO』でのわたしとのメール対談連載など、何度か小出しにされてきたが、これまでは簡単なスケッチが提示されるに留まっていた。今回の本でようやくその全体像をわれわれは見ることができたわけである。
ところで『RATIO』の連載は、わたしのイントロダクションと戸田山氏の「感想戦」をつけて出版される予定だったのだが、戸田山氏が感想戦を結局書かなかったために出版計画が立ち消えになってしまった。そのときは戸田山氏も忙しいことだししかたのないことだと思ってあきらめていたのだが、こんな本格的な著書を書く時間はあったということであれば、時間がなかったのではないのだろう。まあわれわれの共著は戸田山それほど気乗りのしない仕事だったのだろうなと今になって思う。

大きな点

1 シロスの本に対するクレジットの必要性
本書前半の記述は、戸田山氏自身頻繁に引用していることからも伺えるように、シロスのテキストをかなり参照しながら展開されている。しかし、中にはこれはシロスの要約であることを明示した方がいいのではないかと思われる箇所もある。それは第二章である。ここで戸田山氏はスマート、マクスウェル、ボイド、ファインのボイド批判、ファインの対案、ファン=フラーセンという順番で奇跡論法をめぐるさまざまな議論を紹介していくが、この順番はシロスの本の第四章の流れそのままだし、それぞれの著者からの引用箇所も、シロスを踏襲している場合が多い。しかも、スマートとマクスウェルの議論がファン=フラーセンには有効ではないとか、ファン=フラーセンの自然選択的議論が表現型レベルの説明であるとかといった分析の部分までシロスを使っている(シロスを引用しながら書いてある箇所もあるが、今の2つのケースは引用せずに利用している)。
論争のまとめなのだから誰がまとめても同じようなものだと思うかもしれない。しかし、シロスはあまり引用されない文献なども掘り起こしながら議論を整理しており、この場合は議論の整理のしかた自体にかなりのオリジナリティがあると思う。ましてや個々の議論の評価は他人の評価を参考にしたならそれを明示するのが引用のきまりである。第二章の記述は「本章は事実上シロス第四章の要約である」という断りをつけない限りは、アカデミックオネスティ的にアウトだと思う。第二章ほど露骨ではないものの、前半の他の章にもそういう箇所は多々見られる。
ただ、シロスの著作はテクニカルな細部にわたってかなり詳細に論じているので、この論争に詳しくない読者にとってはあまり読みやすいとはいえない。その意味で、シロスの本から大事なエッセンスだけを取り出して日本語で提示してくれる戸田山氏の本は、それ自体としては大変ありがたい整理となっている(きちんと断ってくれてさえいれば)。

2 ファン=フラーセンの立場の変化
第五章で戸田山氏はファン=フラーセンの立場を紹介するとともに批判的に検討している。134-135ページにおいて、戸田山氏は珍しくシロスのファン=フラーセン解釈に異をとなえる。シロスがファン=フラーセンは反実在論が実在論と同じくらい良いオルタナティブであるという立場をとっているというのに対し、戸田山氏はファン=フラーセンが「明らかに構成的経験主義者の科学像の方が、実在論者のそれよりも優れていると考えているらしい」と言い、それは「科学や科学活動を実在論によるよりも一層理解可能なものと」する、という主張の部分だという。
さて、たしかに1980年の『科学的世界像』ではファン=フラーセンはそういうことも言っているのだが、1989年の『法則と対称性』ではファン=フラーセンはその主張をひっこめ、実在論も反実在論も同じくらい合理的だという立場に撤退している(その主張のために「主意主義的認識論」なる認識論まで発明している)。
それを踏まえるなら、戸田山氏が142-145ページまでで独自の批判として展開している論点は、本人も30年近く前に放棄した立場の死体に鞭打つようなものとなっている。それ以外の、ちゃんと現在のファン=フラーセンの立場とかみあった批判はすべてシロスの批判をそのまま紹介している箇所である(ここはちゃんと引用しながら紹介している)。
このミスはそれ自体では些細なものではあるが、もし本当にファン=フラーセンの立場の変化を知らなかったのだとすれば、本書のような本を戸田山氏が書くことの適格性が疑われるし、また、いずれにせよ現在の論争状況について読者を大幅にミスリードする結果となっており、影響は大きい。

3 公理系アプローチの重要性の見誤り
戸田山氏は第10章で論理実証主義が「公理系アプローチ」をとったことが科学的実在論論争に影響を与えていると主張する。「こうした経験主義的バイアスに加え、論理実証主義はもう一つのバイアスを実在論論争、あるいは科学哲学全般に持ち込んだように思われる。それは科学をまずは文の集まりもしくは公理系としてモデル化して考えるという方法である。それを公理系アプローチと呼んでおこう」(237ページ)。
そして、「公理系アプローチの限界」や「公理系アプローチが科学的実在論論争にもたらしたバイアス」を数ページにわたって詳細に論じていく(240-247ページ)。この箇所は戸田山氏のオリジナルな視点が本書の中でもかなり強く出ている箇所であると同時に、本書の中でもかなり問題を含んだ箇所だと思う。
そもそも、科学理論(科学ではなく)を文のあつまりとしてとらえる「文パラダイム」とか「統語論的アプローチ」とかと呼ばれる立場と理論を公理系としてとらえる「公理系アプローチ」は別物である。公理系アプローチは文パラダイムを前提にしてはいるが、そのかなり特殊な応用例の一つである。この両者をまるで一つのものであるかのように扱うのは読者を混乱させるだけである。さらには、「公理系アプローチでは、科学理論という文の集まりが何かを説明する力をもつのは、そこに含まれる法則が普遍的で必然的だからだと考える」(243-245ページ)と、文パラダイムとも公理系アプローチとも違う立場(普遍法則主義?)までごっちゃにして提示している。説明項が何らかの普遍的で必然的なパターンでなくてはならないというのは文パラダイムとすら独立な考え方である(意味論的アプローチでも同じ主張ができるという意味で)。
公理系アプローチとして批判の対象になっているネーゲルの還元主義は、この意味では公理系アプローチではなく文パラダイムに属するものである。ただし、文パラダイムを採用すると還元についてネーゲル的な考え方をしなくてはならないかといえばもちろんそんなことはない。実際、ネーゲル流還元主義は支持者がほとんどいないのに、批判の対象として手頃なのでよく持ち出される理論の典型である。そして、ネーゲル流還元主義を批判してきた哲学者の多くは文パラダイムを受け入れていただろう(90年代まではいわゆる意味論的アプローチを採る哲学者は非常に少数だった)。戸田山氏はヘンペルやネーゲルのモデルへの批判が「両者が共通して前提していた公理系アプローチじたいへの批判へとつながっていった」(240ページ)と言うが、これは科学哲学の歴史の認識としてもあやしいし、現実の科学哲学者たちがそういう思考の筋道を辿ったとしても、その思考の筋道自体が本当に筋が通っているのかどうか疑問に思うべきところである。
「公理系アプローチが科学的実在論論争にもたらしたバイアス」として戸田山氏が列挙する論点は、確かに本来の意味での公理系アプローチが持つ問題点の指摘となっていると思う。ただ、批判の対象となっているのは、公理以外のもの(公理がどのくらい理想化を含むかについての解釈や、公理に含まれない形而上学的コミットメント、公理に含まれる語の解釈など)を科学から完全に排除しようという本当に極端な公理系主義の立場である。たしかに科学をそんな意味での公理系ととらえるなら、公理系を全体として一体のものとして扱うよりほかなく、個々の語に対応する実在物を想定するような科学的実在論をとるのは難しいだろう。しかし、そんな極端な公理系アプローチをとっている科学哲学者がいったい幾人いるのだろうか。論理実証主義自体においてすら、かなり初期の段階で科学の公理化の野心は放棄されているように見える。戸田山氏がシロスに依拠して引き合いに出すクレイグの定理(二つの語彙群からなる公理系から片方の語彙群を消去して公理系を構築しなおすことができるという定理)は科学を公理系として扱っているが、これはどちらかといえば科学哲学の本流からはずれた論理学に近い分野の業績である(シロスの本でこれが取り上げられているのは、これが論争の焦点となってきたからというよりは、シロスの博識ぶりを示すものである)。そうしたマイナーな研究領域が科学的実在論論争全体に影響しバイアスを与えていたとは非常に考えにくい。
公理系アプローチが科学的実在論論争に反実在論よりのバイアスをかけていると考えにくい理由はもう一つある。われわれが現在知っている科学的実在論論争はファン=フラーセンの構成的経験主義の提案からはじまっている。(それ以前から同じような論争が実在論対道具主義で展開していたと考えるのは錯覚である。初期の論理実証主義者たちはラッセルやマッハの形而上学の影響もあり、現在われわれが知るような道具主義の立場をとってはいなかった。その後スマートやポパーらが個別に実在論的な議論をしていく中で、道具主義という立場が遡及的に再構成されていったようである。論争らしい論争は1970年代なかばまで存在していなかった。)ファン=フラーセンは言うまでもなく意味論的アプローチの代表者で、文パラダイムや公理的アプローチにはむしろ反対する立場である。これもまた、戸田山氏が考えるようなバイアスが働いていると考えにくい理由である。
結局、この箇所は科学的実在論論争と関係ないもの(ネーゲル流還元主義、普遍法則主義、極端な公理系アプローチなど)を批判して、あたかも科学的実在論論争における反実在論を批判したかのようなふりをしているだけである。他にもこの箇所に関して細かい批判点はいろいろあるがそれはあとにまわす。

4 モデルの導入は何の助けになるのか
さて、戸田山氏は「公理系アプローチ」に対して理論の本体をモデルととらえるアプローチを導入することで実在論を取りやすくなる、と考え、第11章で持論を展開する。モデルを導入することの利点を戸田山氏は以下のようにまとめる。「公理系が直接に記述するものは抽象的な集合論的対象としてのモデルだが、このモデルは、実在システムを理想化したレプリカになっており、モデルと実在システムの間にはさまざまな程度の類似関係が成り立つ。このことにより、公理系は間接的に実在システムについて、理想化を含みつつ何ごとか近似的に真なことを語ることができるようになる。」(263ページ)この引用から見えてくるのは、極端な公理系アプローチに陥っているのは、他ならぬ戸田山氏自身だということである。極端な公理系アプローチを採るならば、公理以外の言語的手段は科学から排除されてしまうために、公理系と現実世界との橋渡し役として理想化・抽象化されたモデルが必要になる。しかし、普通の文パラダイムの下では別にそんな難問は抱え込む必要はない。「この式は近似式である」とか「この式はかくかくの理想化を前提としている」とかと言葉で補足すればよい。実在論論争においてモデルに期待する役割がその程度のことであるなら、意味論的アプローチなど仰々しく持ち込む必要は何もない。

5 戸田山流構成的実在論は実在論側の立場なのか
第12章で戸田山氏はギャリーの立場なども踏まえて、自らの立場として「構成的実在論」を主張する(295-296ページ。ギャリーの同名の立場と区別するために以下戸田山流構成的実在論と呼ぶ)。簡単にまとめるならば、さまざまな観点からさまざまなモデルが作られることを認めつつ、成功しているモデルはなんらかの点で世界の一つの側面と類似していると考えよう、という立場である。
一見して気がつくのは、戸田山流構成的実在論は対象実在論や認識論的構造実在論と同じく選択的実在論の一種だということである。科学者がモデルの中に組み込んださまざまな特徴のうち一部が「実在性」を持ち、悲観的帰納法で例として上がるのは「実在性」を持たない部分だった、というわけである。ただ、戸田山氏はモデルのかなりの部分が実在との対応以外の理由で構築されていることを認めるので、非常に反実在論に近い選択的実在論になる。戸田山氏が下敷きにするギャリーの観点主義も事実上反実在論といってもよいくらい、モデルに弱い実在性しか認めておらず、戸田山氏自身そのことを指摘している(278ページ)。
しかし、既存の選択的実在論が科学理論のどの部分に存在論的にコミットすべきかを明示しようと苦労してきたのに対し、戸田山氏はモデルのどこにコミットすべきかということを明示しない。その結果、これが本当に実在論に落ち着くのかがはっきりしない。つまり、戸田山流構成的実在論でコミットできる部分をつぶさに調べて行ったら、世界の観察可能な特徴をモデル化している部分だけになるかもしれない。そうなった場合戸田山流構成的実在論はファン=フラーセンと実質的に同じである。そうなってしまわないようにこれまで他の選択的実在論の立場が苦労してきたのに、そこをスキップできると考えるのは気楽な話である。
より具体的には、戸田山氏の立場が結局ファン=フラーセンと同じ立場ではないか、という疑義を晴らすためには、「このモデルのこの側面は観察可能な対象を超えて実在性にコミットすべきである、その理由はこれこれである」というような形で主張をする必要がある。そのときにはじめて、その理由がエーテルや熱素にも当てはまるかどうか、当てはまるのなら結局戸田山流構成的実在論も悲観的帰納法を回避できないのではないか、ということが検討できるわけである。
おそらく戸田山氏は、すくなくとも検出可能な性質については実在性にコミットすべき、というチャクラバティの路線を踏襲するものと思われる(295ページあたりの検出可能な性質についての説明のしかたからして)。ただ、検出可能な性質なるものが本当に観察可能な規則性と区別できるのかは疑問である。とりわけ、さまざまな検出可能な性質が、一つのモデルをなすのではなく、いろいろなモデルにばらばらに埋め込まれており、それらのモデルは実在性と関係のないさまざまな配慮にもとづいて構築されると戸田山氏は考えているようであり、そうなるとますます観察可能な規則性の背後の「検出可能な性質」を実在的なものととらえる理由は薄くなる。


もう少し細かい点について

13ページ
「ヒュームの影響によりカント主義を捨てたエルンスト・マッハの感覚主義」
41ページでも同趣旨の発言が繰り返されているが、マッハがヒュームの影響でカント主義を捨てたというのは典拠はなんだろうか。マッハ自身は『感覚の分析』で自分の立場を確立してからヒュームと出会ったと説明していたはずである。

22ページ
ヘンペルが「ベルリンのグループ」ではなく「ウィーン学団」に分類されているが、ウィーンには一時滞在しただけで基本はベルリングループの中心メンバーだったはずである。

29ページ
「センスデータという考え方は、後述するマッハの感覚主義に由来する」
センスデータ論は一時期のラッセルの立場で、後期ラッセルやマッハの中立的一元論とは別の立場なのではないだろうか。マッハの立場を感覚主義と呼ぶのも違和感がある。戸田山氏自身は理解して使っているようだが、マッハを一種の現象主義ととらえるよくある誤解を強化してしまいそうである。

40ページ
「消去的道具主義という一つの考え方の典型として要素一元論を取り扱う」
マッハの中立的一元論のような特殊な存在論を現代の科学的実在論論争における道具主義の一種ととらえるのはやめた方がいいのではないか。どちらかというとデュエムの方が消去的道具主義の典型的イメージに近いかもしれない(ただしデュエムも「自然分類」の概念など、単なる反実在論に留まらない主張をしている)。

44ページ
「論理実証主義、そして現代の科学的実在論論争はマッハ主義の直接の影響下にスタートしたのである」
論理実証主義に対しては新カント主義の影響もマッハの影響に劣らず強かったということが最近は指摘されるようになっている。そして戸田山氏の強調する「公理系としての科学」は新カント派の影響が指摘される側面である。マッハの影響だけを強調するのはミスリーディングである。さらに、すでに簡単に触れたように、論理実証主義が立ち上げられた時点では、現在われわれが知っている科学的実在論論争はまだ存在していない。

52ページ
「運動としての論理実証主義は十年にも満たないうちに解体してしまう。」
「運動として」という言葉で何を意味するのかよく分からないが、論理実証主義者たちが行った「運動」として有名な統一科学運動はすくなくともノイラートの死(1945)までは一定の求心力をもって継続していたはずなので「十年にも満たない」はさすがに短かすぎではないか。この直後で戸田山氏がふれる、ゲルマン科学運動への対抗という側面などとあわせて、ReischのHow the Cold War Transformed Philosophy of Science で詳しく論じられている。

66-67ページ
ボイドの説明主義的な実在論擁護に対し、ファインは最善の説明への推論を擁護するのに最善の説明への推論を使うのは循環ではないか、と批判する。この批判に対して戸田山氏が(シロスをここでは明示的に引用しつつ)規則における循環は悪循環ではない、という議論を展開する。しかし、前提における循環にくらべて規則における循環の方が問題が少ないと考える理由はあまりないように思われる。規則における循環が特に問題ないのだとすれば、たとえば、「どんな前提からも、その前提と矛盾しないかぎりいかなる結論も導いてよい」という推論規則を使って、任意の前提から「「どんな前提からも、その前提と矛盾しないかぎりいかなる結論も導いてよい」という推論規則は信頼できる」という結論を導出することができたりするだろう。
もちろん、われわれは最終的には何らかの循環論証に訴えざるをえない、と開き直ることはできるかもしれないが、そうやって許容される循環論証が上で紹介したような議論と何が違うのかくらいはきちんと示しておく必要があるだろう。
ちなみに、このあとで戸田山氏が展開する、その規則がうまく行っているかぎりは使う(69ページ)という基準は循環的正当化とは別の種類の正当化であり、これをやるのならわざわざ規則による循環を擁護する必要はなかったはずである。

76-77ページ
ファン=フラーセンの自然選択的説明(現在生き延びている科学理論が成功しているのは自然選択に似たプロセスの結果なので不思議ではない)という対案に対して、これが実在論的説明と両立する、と答えるのはピントがずれている。以前のメール対談でも使った例だが、ファン=フラーセンがやっているのは、科学における成功というのはビンゴゲームにおける優勝みたいなものかもしれない、という可能性の提示である。ビンゴゲームでAさんが優勝した理由を「たまたまAさんがいいカードを持っていた」以上に求めるのは見当違いな説明要請であるが、実在論者は同じような見当違いな説明の要請を行っている可能性がある、というわけである。ここは戸田山氏が下敷きにしているシロスも同じような捉え方をしているので、戸田山氏だけが理解が浅いというわけではない。

80ページ
「したがって、現在のところきわめて成功している理論も将来には誤りであることが判明するだろう」
これは戸田山氏による悲観的帰納法の定式化の一部で、この箇所の典拠としてLaudan 1981が挙げてあるのだが、私の理解する限り、Laudan1981は明示的にこの結論を導いてはいない(Laudan 1984に類似の議論はあるが、これも微妙に違う)。Laudan 1981の主な目的は収束実在論と呼ばれる立場を論駁することであり、現在の理論が誤りかどうかについて判断することではない。戸田山氏は同じページのあとの方で「こうしたラウダンの議論」とも言っているが、そのあたりで紹介されている立場も同じ理由であやしい。実際にはここで戸田山氏が整理するような形で「悲観的メタ帰納法」を整理したのはパトナム(Putnam 1978)だったはずである。

88ページ
「直接観察できないものの検出に関して、われわれは過去に比べてそうひどい間違いは犯しにくくなっていると思っていいはずだ。」
近年の加速器の発達などを紹介したあとで戸田山氏はこのように結論するのだが、新しい加速器のどういう特徴がこういう結論に繋がるのかをちゃんと説明すべきである。何が本質的に変わったのか。

118ページ
「熱素は、ラウダンが考えていたほどには中心的な措定ではなかった」
ラウダンは熱素がどのくらい「中心的」だと思っていたのか、「ラウダンが考えていたほど」というからにはラウダンの考えにあたるものを引用などして対比すべき。

118ページ
「理論の意味論的なコミットメントと科学者の認識論的なコミットメントを区別することが重要」
奇跡論法を使う実在論者がこれを反実在論者に対して偉そうに言うのはまったくお門違いである。奇跡論法はある対象が成功した理論の意味論的なコミットメントであるということを利用してその対象の存在を導こうというものであった。だから反実在論者はそうした意味論的なコミットメントなど何の保証にもならないと反論しているわけである。この区別が重要だということは奇跡論法はもう使わないという趣旨だと理解してよいのか。

119ページ
「さらには[ラウダンは]理論の観察証拠は、理論が主張するすべてのことに対する証拠だという全体論的見解を実在論者は受け入れねばならないと考えているようだ」
大事な解釈上の論点ならば「ようだ」では困るのであって、具体的にそう読み取れる箇所を指示する必要があるだろう。また、ここも実在論者が奇跡論法を使う際にこういう想定を必要としている、という背景がまずあることをおさえておかねばならないだろう(「全体論的見解」を受け入れないなら、奇跡論法は非常に弱い議論になる)。

122ページ
不可知論的経験主義
ファン=フラーセンの立場を「不可知論」と特徴づけることに対する疑念は前にも戸田山氏に伝えたことがある。ファン=フラーセンは観察共同体にミクロの目を肉眼としてそなえたエイリアンが加わることでミクロの対象が「知りうる」対象になる可能性などは許容しているので、ミクロの現象について「知り得ない」というのは、あくまで現在の観察共同体に相対的に、である。これを「不可知論」と呼ぶのは私の語感としてはミスリーディングである。

123ページ
「観察文は直接に検証できるが、理論文は間接にしかできないとか、あるいはそもそも観察文は検証可能だが理論文はそうではないといった具合に両者の線を引くことは可能か」
戸田山氏はこれに「どうも無理そう」と答えるのだが、検討するのは「あるいは」以降のタイプの議論だけで、直接検証対間接検証という対比は検討している様子がない。結果として、一番論駁しやすいものだけ論駁して全体を論駁した気になっているきらいがある。

129ページ
「しかし、これは、われわれが外界の情報を取り入れる唯一の仕方が意識経験を通してであると決めてかかっている点で、論点先取を犯している。」
戸田山氏がこれを論点先取だというとき、他の可能性として挙げるのが「途中に顕微鏡などの装置が介在」するような状況なのだが、当然ながら顕微鏡を使っても最後は自分の目で顕微鏡を覗かないと顕微鏡を通した情報はとりこめないわけで、まったく反例になっていない。むしろ反例として挙げるべきは脳に電極を刺して直接情報を書き込むようなシチュエーションだろう。

161ページ
「[SU] Tはすべての可能な観察証拠によって同様にサポートされるライバルを持つ」
SUは決定不全性から反実在論を導き出す際に必要な強い決定不全性のテーゼとして戸田山氏が(ラウダンらに依拠しつつ)まとめるものだが、実際にはここまで強いものは必要ない。たとえば
「どの与えられた証拠群Eに対しても、T+AH1(Tと現行の補助仮説群)と同様にその証拠群によってサポートされるT'+AH2(ライバルとそれに応じた補助仮説群)が存在する」
くらいでも十分であるし、実際デュエムのもともとのバージョンもこんな感じの内容である。
また、現にわれわれが受け入れている科学理論について反実在論をとる根拠としては、「すべての可能な観察証拠」などについて考える必要すらなく、「われわれが当面手に入れることがありそうな観察証拠」くらいで十分強力な反実在論が導けるはずである。

232ページ
「これまでの科学的実在論論争では、両者が明確に区別されたことはほとんどなかった。支持しうる科学的実在論のバージョンが、そのままわれわれが採用すべき形而上学でもあるかのように議論は進んできたからである。」
 両者というのは半実在論など特定の実在論の主張と、それをサポートする形而上学的枠組みのこと。しかし科学的実在論論争が全体としてそのような前提で進んできたとは考えにくい。むしろ、世界が全体としてどうなっているかについては興味が無い、ないしは最初から論じないというのが特に1980年代の科学的実在論の特徴だったように思う。90年代になってカートライトやレイディーマンなど、積極的に形而上学を展開するタイプの議論が目立つようになってきたが、それでもシロスをはじめ、80年代の議論の枠組みを継承している論者も多かった。現在でもそうした見取り図はそれほど変わっていないと考えるのだがどうだろうか。

245ページ
「公理系として形式化された科学理論では、どんな理論的対象が存在するかを述べるのも公理、その対象がどんな性質を持っているかを述べるのも公理、というわけで同格に扱われる」
細かいが、25−26ページでのまとめでは、公理となるのは自然法則と対応規則だったはずで、「どんな理論的対象が存在するか」を述べる公理には触れられていなかった。いずれにせよ、どんな対象が存在するかを述べる文を公理に含めるかどうかは公理系の組み立て方次第だと思うのだが、戸田山氏は誰のどの公理系を具体的にイメージしているのだろうか。

247ページ
「公理系アプローチは全体論的にすぎるのである。…公理系アプローチを採用した論理実証主義以降の論争過程が相対主義、反実在論的傾向の強いものになったのは、偶然ではない。」
論理実証主義は操作的定義や部分的還元文を使って、個々の概念に個別に意味を与えようとしていた。むしろクワインの「2つのドグマ」やファイヤアーベントなど、論理実証主義を批判する側が意味の全体論を導入して反実在論や相対主義の基礎としたというのが科学哲学史の常識である。さすがにそれを論理実証主義のせいにされるのは論理実証主義者たちも迷惑だろう。


254ページ
メアリ・ヘッセと表記しているが、普通は「ヘッシー」と発音されている。

255ページ
「相互作用説をとるならばメタファーによって原型領域も第二領域も変わっていく。狼のメタファーが使われたのちには、人は以前よりも狼に似て見え、狼は人に似て見えるようになる。」
相互作用説はおもしろい考え方だが、「そういうこともある」というレベルのもので、メタファー全般の一般論とするのは無理があるのではないか。気体をビリヤードボールで例えたあと、気体がビリヤードボールに似て見えるというのはいいとして、ビリヤードボールが気体に似て見えたりするだろうか。

290ページ
「経験主義者が前提している認識論的枠組みが古すぎて、到底科学的知識に適用できるようなものではないのではないか、という批判」
戸田山氏がいう古すぎる認識論的枠組みというのは個人主義的内在主義である。科学が集団的営みである以上、個人主義的内在主義が適用できないというのはそうだろう。しかし、それは非個人主義的内在主義(自分たちの信念の正当化の責任を個人ではなく認知共同体に求める立場)に移行すればすむことである。戸田山氏の批判は単なる揚げ足取りにすぎないように思われる。

298−299ページ
異星人から見た地球の科学の奇妙さ
ここの問題提起は非常に興味深い。ただ、この問題をつきつめて考えるなら、われわれの思考の制約の下で作られたモデルのなんらかの側面に実在性を認める理由はまた一つ減るように思われる。ここまで反実在論的議論を展開しながら「実在論」という肩書に戸田山氏がこだわる理由がよく分からない。

308ページ
「科学的実在論論争に決着の付け方があるとするなら、一つの有力な仕方は次のようなものだろう。科学の営みについて観察される重要な事実に、経験主義と実在論のどちらが適切なモデルを与えているかを競い合う。」
反実在論者は、一時期の気の大きくなっていたファン=フラーセンを除いて、その土俵で実在論に勝てるなどと主張はしていないし、そもそもそれを科学的実在論論争の主な論争点と考えてはいない。相手が興味を持ってもいない自分に有利な基準に相手も同意させることで「決着」しようというのはあまりに虫がよすぎて笑ってしまう。

310ページ
「だとすると、世界そのものからの制約と、認知リソースの制約の均衡点に位置する共同作品としての科学的世界像から出発し、それに含まれる個々の構成要素について、どの程度どちらから制約を受けていると考えるのが合理的なのかということを腑分けする作業として、実在論論争を捉え直すことができるだろう。」
実在論論争のそれぞれの立場がそれぞれにこの腑分けを行っていると見ることに異論はない。しかし、それぞれの立場がそれぞれに異なる「合理性」の基準に基づいてその作業を行っているので、論争自体がそういう作業だととらえるのは難しいのではないだろうか。


iseda503 at 00:16│Comments(0)TrackBack(0)

トラックバックURL

コメントする

名前
URL
 
  絵文字