大津地裁の仮処分決定で、関西電力高浜原発(福井県)の運転が差し止められた意義をいま一度しっかり考えたい。とりわけ原発を推進する立場の人たちは、司法判断の背後にある国民の不安を直視すべきだ。

 推進側では不満が渦巻く。関西経済連合会の角和夫副会長は「なぜ一地裁の裁判官によって国のエネルギー政策に支障をきたすことが起こるのか」と憤り、関電の八木誠社長は一般論と前置きしつつ、「逆転勝訴すれば(住民側への)損害賠償請求は考えうる」と発言した。

 一方、国は静観を続ける。

 決定は、原子力規制委員会の新規制基準や、政府が了承した住民避難計画の妥当性に疑問を投げかけた。だが田中俊一規制委員長は「基準は世界最高レベルに近づいている」と反論。政府も避難計画は見直さず、「規制委の判断を尊重して再稼働を進める」と繰り返すばかりだ。

 5年前の東京電力福島第一原発事故後、裁判所が原発の運転停止を命じたのは大津で3件目だ。九州電力川内原発では昨年、住民側の申し立てが却下されるなど、司法判断も一様とはいえないものの、事故前に比べ、より積極的な役割を果たそうとする傾向は明らかだ。

 エネルギー資源が乏しい日本に原発は欠かせず、事故後、国は規制委をつくって専門的なチェックを強めた。電力各社も安全性向上に取り組んできた。だから裁判所の口出しは余計だ――。推進側の反応からはそんな考え方が透けて見える。

 だがそれでは、国民も裁判官も納得しない時代になっていることをもっと理解すべきだ。

 「原発の安全性は専門家の意見を踏まえた行政の判断に委ねるべきだ」という92年の最高裁判決を逸脱している、との批判もあたらない。四国電力伊方原発をめぐるこの判決はそういう考えを示す一方で、原子炉等規制法に基づく安全規制の目的について「深刻な災害が万が一にも起こらないようにするため」としている。

 福島では、専門家任せの安全網がもろくも崩れ、「万が一」が現実になった。再び原発を動かすとき、備えは十分か。法の番人である裁判所が、できる限り独自に確かめるのはむしろ望ましい姿勢といえよう。

 なぜ事故後に積み重ねた対策でも国民の信頼が得られないのか。司法からの警鐘は、それを問い直すきっかけにすべきだ。

 原発事故を経て、国民の意識は変わった。司法もその影響を受けている。原発を推進してきた側も、変わるべき時だ。