北海道と本州を結んだ青函連絡船の廃止から28年。連絡船の元乗組員、田中章さん(64)=北海道函館市=はJR北海道の運転士として青函トンネルも走った。田中さんは「海と陸で40年、緊張感でいっぱいだった」と振り返り、後輩たちの仕事を見守っている。
函館出身の田中さんは1973年、旧国鉄に入り、連絡船の乗組員になった。連絡船は安全性を高めた新型に切り替わる最中だった。乗組員は必死で新しい技術を覚え、安全な航行に努めた。「船は1人では動かせない。みんな一致団結して活気に満ちていたね」
海底では青函トンネルの工事が進み、88年3月、トンネル開業に伴い連絡船は廃止された。田中さんは札幌で列車の検査や修繕の業務に就いたが「もう一度、故郷で働きたい」と運転士免許を取得。函館へ戻り、2001年から津軽海峡線を運転した。
引退した寝台特急「北斗星」「カシオペア」、急行「はまなす」にも乗務。沿線は坂道やカーブが多く、長い客車をけん引する機関車の運転に苦労した。冬は吹雪で前が見えず「緊張しながら運転していた」という。
田中さんは12年3月に定年を迎え、今は函館港に係留されている青函連絡船記念館「摩周丸」で働く。「新幹線で来たお客さんにも、海峡の歴史を知ってもらいたい」と話している。〔共同〕