「貧困ピアサポーター」ひきこもり

■またか

高齢ひきこもりの人たちを無理やり外に引っ張りだすやり方がテレビで紹介され、大反発を呼んでいるらしい。

そのテレビ番組は「TVタックル」で、大反発の経緯はこの記事にまとめられている(ひきこもりの部屋ドアを破壊、突入 「更生術」TV番組に精神科医からも抗議の声)。

ひきこもり支援の元祖である、精神科医の斎藤環さんなどは、BPO(放送倫理・番組向上委員会)に審査請求したそうだ。

僕もまったくの同感だ。こうした、ひきこもり当事者の部屋に強制的に侵入して暴力的に外に引っ張りだす手法は定期的に注目され、その「絵面」の過激さから、TVタックル的番組に時々取り上げられる。

僕としては、またか、という感じだ。

僕は15年以上ひきこもりの方たちを支援をしてきて、それなりに当事者のみなさんに社会参加していただいた経験をもつが、ひきこもり支援はこうした暴力的訪問行為を行なわなくても十分当事者たちを社会参加させることはできる。

その方法の第一は、ひきこもりを持つ親たちへの面談支援だ。

親たちへの面談の中で、まずは「地雷(仕事の話や親の死後の話題、また同級生の現在等)」を踏むことをやめてもらい(すぐには難しいが)、決して一足とびに就労を目指さず「スモールステップ」の中で徐々に社会に近づいていく。

この方法を親に提示し、常時揺れる(言い換えると「地雷」を踏む)親を支えながら、ひきこもる子どもたちの思いを代弁する面談を地道に行なっていれば、だいたい2~3年程度で短期間の非正規雇用であればできるようになる。

その非正規雇用には、若者サポートステーションや障がい者就業・生活支援センター(障がい者支援のルートを受容した場合)などの、他機関との円滑なネットワークが欠かせないものの、これらと二人三脚で支援していけば、何も無茶して訪問して無理やり部屋から引っぱり出さなくても、ひきこもりは解決する(少し古いが拙著「ひきこもり」から家族を考える―動き出すことに意味がある (岩波ブックレット NO. 739)や、斎藤環さんのいくつかの「ひきこもり本」をご参照ください)。

■暴力的にひっぱり出す必要なんてない

ただしこのオーソドックスな手法は時間がかかるので、一部の親たちは待てない。

もっと手っ取り早くひきこもりを解決してほしい。だから、上記記事のような暴力組織を頼ってしまう。

僕からすると、これは保護者の怠慢だ。よく言われる話だが、5年ひきこもっているとすれば、社会復帰には当然その分の時間、つまりは5年程度はかかる。10年ひきこもりならば、10年はかかるのだ。

人生とはそんなもの。

ひきこもりの解決には便利なトリックはなく、親が「地雷」を極力踏まず、スモールステップごとに社会に近づいていき、複数の支援機関が役割分担して支援していくしかない。

逆に、そうした「スモールステップ」さえ守っていれば、当事者たちは不器用ではあるが、確実にステップアップしていく。その段階は当然揺り戻しがあったりするだろうが(支援組織内での傷つきや親の「地雷」攻撃等が原因)、長期的には「社会復帰」している。

別に、暴力的にひっぱり出す必要なんてない。

なぜなら、長期間のひきこもり生活を一番なんとかしたいのは、当事者自身だから。当事者の発言的には諦めていたり投げやりだったり荒っぽかったりするかもしれないが、現状のひきこもり生活を変えて少しでも「他者」と出会いたいのは、何よりも当事者なのだ。

親は、その点を信じなければいけない。

■ 「高齢ひきこもり」との出会い

それどころか僕は、ひきこもり、特に40才程度の「高齢ひきこもり」当事者には、ある可能性が眠っていると期待している。

それは、長年のひきこもり生活で獲得した、「豊富なボキャブラリーと多様な価値観」という武器だ。

この、言葉の豊富さと多様な価値は、貧困10代とのコミュニケーションの中で非常に有効である。

アンダークラスの10代は当欄のこの記事(「貧困親」~アンダークラスのコアと再生産)でも触れたように、語彙の少なさと価値観の狭さという特徴がある。

アンダークラスになればなるほど、多くの若者は、言葉の量が少なくなり、紋切り型の価値を有する。その結果、荒っぽい断定と、「~して当然」という、社会のど真ん中の規範に則った会話が多くなる。

アンダークラスだからといって、価値までパンクであるわけでもなく、アンダークラスだからこそ限定された情報しか入ってこないため、通常の規範意識が強くなる。

たとえば、通俗的礼儀を重んじ、常識的生き方(異性愛に基づいた結婚等)を不思議に思わず、「友情」等のありふれたコミュニケーションを自明化してしまう。

この堅さを揺り動かすのは、具体的な他者との出会い、具体的には、言葉を持ち価値が多様な年上の元若者の存在だ。

その、ボキャブラリーが豊富で価値も多様な元若者の一形態として、ここでは「高齢ひきこもり」をとりあげている。

■高齢ひきこもりたちが貧困若者をピアサポート

高齢ひきこもりは、長年のテレビやゲームやマンガやネットを通した「文化体験」により、だいぶひねくれているとはいえ、「言葉の豊富さと多様な価値」を持っている。

これは、貧困若者の特徴である、言葉の「少なさ」と価値の「狭さ」とは対極の内面なのだ。

歪んでいるとはいえ(確かにだいぶ歪んでいるが)かなりの「豊富さと多様さ」を備えたこれらを武器に、高齢ひきこもりたちが貧困若者をピアサポートすることはそれなりに効果があるとこの頃僕は思ってきた。

貧困若者は、言葉の量を増やして価値を多様化させることで、貧困に伴う困難(10代出産や虐待等)の意味をメタレベルで捉えることができる。現在の自分たちが追いやられている困難さの原因が、自分たちの個人的問題にあるわけではないと納得できる。

それだけでも、言葉と価値の多様性は必要なのだ。

実際、実験的に僕も、高齢化した元ひきこもり40才を雇用しているが、彼の立ち居振る舞いや言葉は、なぜか10代たちに説得力ややさしさを持つようだ。

まだまだデータを集めなければいけないものの、「高齢ひきこもり」は「ピアサポーター」に変身してもらったほうがメリット大だと思う。

暴力は論外ですね。★