日本より年棒高い?! 元Jリーガーが東南アジアリーグを目指す“理由”

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(更新 2016/3/26 16:00)

アルビレックス新潟シンガポールの是永大輔CEO

アルビレックス新潟シンガポールの是永大輔CEO

 話は4カ月ほど遡る。2015年11月、日本代表はW杯アジア2次予選を戦うため、シンガポールとカンボジアに乗り込んだ。12日にシンガポールを3-0で下すと、翌日はチームもカンボジアに移動したため、いつもなら同じスケジュールでカンボジア入りするところだが、旧知の友人でアルビレックス新潟シンガポールのCEOを務める是永大輔君(38)から、「翌日はチームのリーグ最終戦があるので、ぜひ見に来て下さい」と誘われ、シンガポール滞在を一日延ばした。

 アルビレックス新潟シンガポールは、J1所属のアルビレックス新潟の下部組織で、2004年からシンガポールのSリーグに所属し、選手は全員が日本人だ。昨シーズンは最終戦で敗れてリーグ戦は3位。しかし、シンガポールリーグカップとシンガポールカップの2冠を達成した強豪でもある。

 試合後、スタジアム近くの屋台で、ギンギンに冷えたビールを飲みながら、東南アジアのサッカー事情を聞かせてもらった。屋台には、アルビレックス新潟シンガポールの選手も家族同伴で訪れ、長かったシーズンを和気あいあいと振り返っている。すると、彼らと離れて一人で食事をしていた青年が是永CEOにあいさつに来た。

 彼の名は足立原健二君(31)といって、かつてアルビレックス新潟シンガポールに所属していた。2009年にはチームトップの16ゴールを挙げる活躍からベストイレブンに選ばれると、翌年はインドネシアのクラブへ移籍した。エースストライカーとして活躍し、2009-2010シーズンから2年連続で得点ランク4位の活躍をみせた。現在は、左膝の大ケガのためリハビリ中だが、驚かされたのは彼のピーク時の年俸だ。流経大付属柏高から流経大に進んだものの、Jリーグからの誘いはなく、福島県内の一般企業に就職しながら当時、東北2部南リーグのビアンコーネ福島でプレーを続けた。そこで、得点王となり、チームの1部リーグ昇格に貢献。その後、JAPANサッカーカレッジ(北信越1部リーグ)を経てアルビレックス新潟シンガポールに移籍した。


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