製品にはターゲットとなるユーザーを決めましょう、というお決まりのベストプラクティスがある。あらゆる本にそう書いてあるから、そうしたらよさそうなのはわかりきっているんだけど、実際にそれをやるとなにが起こるのか、また、それでどの程度効果があるのかは、本を読んだだけでは絶対に知ることができない。自分でやってみて、ああやっぱりうまくいくんだなとか、思ってたのと違うぞ、と実感することが大事だと、特に最近しみじみ感じる。だから、自分でやってみて、実感したことをこれから書く。
それで、ターゲットユーザーというとなんとなくよそよそしいので、ええと20代男性で、週末はバーベキューが趣味で、などと、なんとなく決めてしまう。これだと、よそよそしいままの、ふわふわしたターゲットが完成する。このやり方では、本当にそんなやつが実在するのか確証がないので、本当にそいつが製品を使うのかも確かめようがない。そうではなくて、もっと自分が確証を持てる言葉に置き換えると、かなりすっきり考えられるようになった。
ターゲットとかの言葉は使わないで、単純に、これは誰のために作ったものなのか、を考えるようにしている。もっと言うと、自分は誰を愛すか、ということでもある。ターゲットもとい愛したい人がはっきりすれば、私が好きな人はxxな人である、だから、その人のために○○を作りました、と言える。こっちのほうが明らかに親近感が湧くし、真剣に考えられる。好きな人が喜ぶものを作ればいい。
そして、僕は「誰それのために作ったものです」という情報を意図して目立つ場所に公開している。過去に自分が作ったものは、お遊びとか練習用に作ったものを除いて、ほとんどがそうなっているはずである。Illustfolio 然り ZEN 然り最近作った Solo 然り、あと konel も同様。
公開すると、実感としてメリットがある。なかでも大きなメリットは、こちらから好きだと主張したほうが、相手からも好きになってもらえる可能性が高まる点である。「好きと言われたから好き」は一見おかしなように思えるが、ごく普通の感情で別におかしくはない。
なにかお気に入りのブランドなり製品なりを思い浮かべてみると、おそらくそのブランドは、自分の性格や生き方を肯定し、受け容れてくれるはずである。クリエイティブな人がAdobeを好きなのはAdobeがクリエイティブな人を(多分)好きだからだ。Adobeを引き合いに出したことに深い意味はないけど。その一方で、好きかどうかは関係なくて他の理由、安かったからとか、なんとなく、みたいな理由で、特にこだわりなく製品を選ぶこともよくある。どちらも、製品を結局選んだこと自体は同じだが、後者が本当のファンになることはほぼ無い。製品のファンでないユーザーは、今より安いとか、便利なものが登場すると、迷いなく乗り換える。この状態では、価格競争するしかなくなって、どんどん消耗していく。それは避けたい。
絵を描く人を応援したい、日記書く人に喜んでもらいたい、そういう気持ちが出発点であるわけで、別にやましいことじゃないので隠す必要なくて、僕はあなたがたが好きです、と毎回言っている。逆にそれを定めなかった場合は大抵いまいちな結果になった。
このような、好きな人を定めてつくる方法には、自分の好きでない人に向けた製品が作れないという欠点があるけど、そもそもそんなものを作っても嬉しくないと思う。