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青猫文具箱

青猫が集める、本と文具と思考のかけら。

旅で人生観が変わったら楽しいような悲しいような話。

本と日常

DQ3をちまちまと進めてます。ダーマ神殿でLV20になった魔女っ娘に、賢者へ転職してもらってきました。

ダーマ神殿で転職すると、LV1からの再出発になるんですねこれ。冒険進めるつもりが、戦力がた落ちになったのでレベルアップに励む羽目に。元魔女っ娘な賢者さん、がんがんレベルが上がります。LV22になった勇者さんにはもうとんとレベルアップの祝福音が訪れてないのに、賢者さんには1戦闘で2、3回あの効果音が鳴る。必要な経験値が少ないので当たり前なんですけれど。

この時の勇者さんの心情を想像してみたりすると楽しいです。強くてニューゲームな賢者さんががんがんレベルアップして強くなるのを見て、最初は微笑ましくともだんだんジリジリ焦り始める勇者さんとか。無邪気に強くなることを喜んでる賢者さんとか。ふふふ。でもまさか勇者さんだって今更だいおうガマのおかげでレベルアップとか嫌だろう。

そうして戦闘力の均しも落ち着いてきたので、冒険を再開して船を手に入れました。船手に入れてから一気にできることが増えて、でも何していいかわからない感楽しい。勇者さんが本当の意味で勇者になるのってこの海の冒険を経てって気がしてます。それくらい密度濃そう。

最後の鍵も手に入れ、今、ラーの鏡を取ってきたところで、でも他の2人もLV20越えたのでダーマ神殿で転職してもらって、またレベルアップ特訓始めました。待っててね、サマンオサのみなさん。

 

今週SNS見てたら「旅で人生観は変わらない!」「いや変わるだろう」「変わる人もいる」みたいなお祭りで、流れてきたのをつまみ食いで読んだら楽しかったのですけど、ここでいう人生観って、ダーマ神殿での転職のように、自分ががらりと変わる奴なんですかね?それともレベルアップぐらいの感覚かな。

ダーマ神殿で転職するレベルで人生観が変化する旅はしてみたい気がするけれど、今やってることを投げ出すつもりもないのでそれが落ち着いたら...でもその頃には年齢も重ねているから体力が追いついていかない気もするな...じゃあもしも人生に2回目があるならその時に。

レベルアップするレベル(変な表現)で人生観が変化する旅も、もちろん歓迎するのだけれど、でもそれで軽々しくレベルアップしてしまったら今までの自分何だったんだ、て悲しい気分になりそうです。10年冒険者がスライム倒してレベルアップしたら何となく悲しいのと一緒で。

何となく以前同じようなことを書いたなというか読んだな、と思いだしてまた引用するんですが、「wonder wonderful」の一節で、

wonder wonderful 上・1 (レガロシリーズ)

wonder wonderful 上・1 (レガロシリーズ)

 

主人公はいつだってなにか使命を背負っていて、次々と襲ってくる困難にも負けず、いつしか心を許しあう頼もしい仲間たちと笑ったり怒ったり傷ついたりしながら成長して、最後にはその使命を全うするのだ。 

……冗談じゃない。

そんなものは、十代の柔らかな心だけが吸収し、耐えることのできるシナリオだ。 

私にそんな元気な真似はできないし、胸打つ心の成長にだって限度がある。と言うより、ここで私の心が大いに成長を遂げてしまったら、かえって悲しい。今までなにやって来たんだってことになる。

つまりそういうことです。ここで自分の心が大いに成長を遂げてしまったら、今まで何やってきたんだってことになる。だから自分は過去の自分の積み重ねをそれなりに信じてる的な。

でもべつに旅で変わらない自分、みたいな優越に浸りたいわけでもないんですよね。だって、必要経験値が多いのでレベルアップしにくい、なら良いけれど、レベル上限に達しているのでいくら貴重な経験しても響かないとかだと悲劇じゃないですか。いきなり変わらないだけで、チリツモはちゃんとあって欲しい。

そんなわけで勇者さんにはこれからも仲間たちががんがん転職してレベルアップしても落ち込まずに地道に頑張って欲しいなと言う話です。

 

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