2016年3月26日00時12分
■特派員リポート 坂尻信義(機動特派員)
外務省で語り継がれている「檄文(げきぶん)」がある。
2009年に入省することが内々定した学生たちに配られた。そこには、人事担当者が後輩たちに寄せた熱い期待と覚悟を求める言葉が記されている。
「敢(あ)えて言うが、諸君は多数の志望者の中から選ばれた、どこに出しても恥ずかしくない立派な人材である。採用にかかわった我々は、外務省の幹部に対し、他省庁に対し、またひいては国民に対し、我々が選んだ君たち28名を誇ることができる」
「諸君は既に『公的な人材』である。自分自身のためだけに生きるという人生は、もうすぐ終わる」
「(前略)諸君には義務がある。国益の一部を担うに足る人材に成長する義務がある。常に謙虚さを忘れないことを肝に銘じながら、自己鍛錬し、人を率いていくために必要な能力と人徳を培っていく義務がある」
A4判いっぱいに書かれたメッセージは、内々定者たちに「傲慢(ごうまん)なエリート意識」を持つことなく、「国際社会における日本の国益のために働くこと」を求めた。
この「檄文」を受け取った同期の何人もが、パソコンや携帯に写しを保存している。そのうちの一人は「くじけそうになったり、流されそうになったりしたとき、この文面を見返して初心を思い返しています」と話した。
これを書いたのは、当時、人事課の首席事務官をつとめていた松田誠さん。3月20日、都内の寺院で一周忌がとりおこなわれた。1年前、海外出張から戻って週末を過ごしていた自宅で倒れた。心不全。49歳だった。
桜の花びらが風に舞う中、外務省の斎木昭隆事務次官は告別式での弔辞で、松田さんの死を「日本外交にとって、痛恨の極み」と表現した。この言葉は決して大げさに響かず、参列者たちは心の中でうなずいた。
私が松田さんと出会ったのは、2003年。ともにワシントンに駐在していた。松田さんは条約局法規課員として日朝国交正常化交渉にかかわり、02年に当時の小泉純一郎首相が訪朝したときは、朝鮮半島を管轄する北東アジア課の中核として局長や課長を支えた。ワシントンに赴任するとき課員たちが成田空港で松田さん一家を見送ったこと、また、そうしたことは極めて珍しいことなのだと、あとになって知った。
記者にとって、「ミスターX」と呼ばれた北朝鮮の高官との極秘交渉の内幕は、何はさておいても知りたい。松田さんに尋ねたときの返事を、鮮明に覚えている。
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朝日新聞国際報道部
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