他人に気を遣ってると疲れるんですよね。
気を遣うと周りを常に伺うようになってしまう
相手を思いやるのは確かに大切です。
人は他人の支えなしに生きていけませんからね。
しかし、その他人への気遣いが過度になってしまうと自分を犠牲にするようになってしまうのです。
ぼくは時々、丁寧すぎるくらいのメールをもらいます。
相手のことを気遣う余りにもう表現が堅苦しく、3、4行で終わる内容なのにそれの倍以上の文字が書かれている。
こういう文章をいただいた時、ぼくは「あーこの人は普段から周りに気を遣いまくって生きてるんだなー」と思うわけです。
確かに法人などにメールするんであれば、多少堅苦しくなるのはわかるんですけど、個人へのメールでましてや知人であればそこまでギチギチに堅くする必要ないとおもうんですよ。
大概、こういった人は自分のことを「ワタシなんか」と表現することが多いんですよね。っで、実際会ってもやっぱりそうなんです。
自己肯定感がとても低い。
はっきり言って他人に気を遣ってばかりいると自分を消耗させて気持ちがすり減ってしまいます。
どこかで精神病にかかってもおかしくないレベルです。
気が利かす人間になり、したたかに生きよう
気を遣うのではなく、気が利かす人間になりましょう。
気を遣うのと気が利かすの違いは何なんでしょう?
それは気を遣うのは「相手のために」ということに過度に重きが置かれる行為なのに対して、気を利かすのは「お互いのメリット」を考えてのフラットな行為だということです。
ほら、漢字も「利益」の「利」が入ってるでしょ。
相手にとって役立つことをやっているにもかかわらず、実は自分にとっても有益なことをしていること。これが気を利かす行為です。
例えば、ぼくはよく人生相談に乗ったりするんですけど、これは一見相手のためにやっているように見えます。
しかし、これはぼくにとって相手に信用を売る行為でもあるわけです。
他人に信用を売っておけば、ぼくが何か困った時に助けてもらえるかもしれないじゃないですか。
ですから、ぼくはできるだけ相手にとって役立つ発言をするように心がけているし、相手の言葉に真剣に耳を傾けます。そして様々な人たちと人間関係を形成していき自分のセーフティーネットを作っていこうと考えています。。
気が利く人間は、言い方を変えれば自分中心に考えている計算高い、したたかな人間ということです。
計算高い、したたかという表現は聴こえはとても悪いですが、こういった人間がぼくは信用できる人間ですし、仕事もできる人間だと思ってます。
だって、お互いのメリットをしっかり考えられるわけですからね。
相手のために重きを置くことは素晴らしい綺麗な行為にも見えますが、いつかうまくいかなかったり、相手に裏切られたりした時に相手を恨むようになる残酷な結果が生まれたりします。
そうなった人間は人間不信になり、いずれ社会を本当の意味で呪うようにもなるかもしれません。
ある尊敬する起業家が「人は究極、誰もがメリットを求めている」とぼくに教えてくれたんです。
無償の愛で誰かに尽くせる人間なんていないと。
みんな自分にメリットが欲しい。それは当然のことなんです。
ですが、気を遣う人はそんな「自分のためのメリット」というのを見失いがちです。
そんな自己肯定感が低い状態だと、人にいいように利用されることもあるかもしれません。
どんなことでも相手のメリット、自分のメリットをちゃんと見定められる人間になりましょう。
そして、自分を犠牲にさせることだけはよしてください。本当に精神病になります。
相手に気を遣わず、相手に気を利かす人間になってください。
人はもっと計算高くしたたかに生きていいのです。
相手のためではなく、自分のために生きましょう。
わっしょい!