習志野の歴史と年表
更新:2015年9月10日
旧石器時代〜弥生時代
習志野市内では、今から2万数千年前の旧石器時代から人類の痕跡が確認できます。このころは、かなり寒冷な気候だったようです。海面は現在より100メートル以上低く、東京湾は陸地でした。人々は一カ所に長期間住むことはなく、短期的な滞在と移動を繰り返しながら狩猟と植物採集により食料を得て暮らしていたと考えられています。谷津貝塚という遺跡の市立第一中学校周辺の地点で、この時代の石器や火をたいた跡が発見されています。
縄文時代になると、気候は温暖化していきました。人々は一定の場所に比較的長期間住み着くようになります。地面を掘りくぼめた竪穴住居で暮らしていました。市内では、縄文時代早期の花咲新田台遺跡をはじめとして、実籾3丁目遺跡・実籾霊園遺跡(前期)、藤崎堀込貝塚(中期〜後期)、藤崎3丁目南遺跡(後期)などで集落の跡が見つかっています。縄文時代は、土器づくりがはじまった時代でもあります。遺跡からは縄文土器や石器など、当時の暮らしを物語る多くの遺物が出土しています。また、人々が食用にしたあとの貝を廃棄した貝塚が作られました。藤崎堀込貝塚は、貝塚の中でも規模の大きなもので、千葉県指定文化財(史跡)に指定されています。
弥生時代の遺跡は、市内では今のところ確認されていません。
古墳時代〜平安時代
古墳時代は、支配者層が生まれ、各地域で政治的なまとまりが形作られていった時代です。支配者たちの大型の墓である「古墳」が造られたのがこの時代の特徴です。市内には、鷺沼城址公園周辺に鷺沼古墳という古墳時代後期(6世紀後半)の古墳群があります。このあたりを支配した豪族の墓であると考えられます。もう少し古い時代では、実籾霊園遺跡などで石製模造品の工房の跡が見つかっています。石製模造品とは、やわらかい石で勾玉などの形を小さく模造したもので、副葬・祭祀に使われるものです。
奈良時代・平安時代には、JR津田沼駅の南側の台地を中心として集落の跡が確認されています。特に、平成19年度から平成25年度にかけて本調査が実施された(整理作業を含む)谷津貝塚では、7世紀末から10世紀前半にかけての拠点的な集落の跡が明らかになりました。二百数十年間に建てられた建物跡は、竪穴住居跡400軒以上、掘立柱建物跡200棟以上にのぼります。海に面する台地上に立地し、農耕と
中世(平安時代末〜戦国時代)
鎌倉時代末に編纂されたと考えられている歴史書『
室町時代〜戦国時代の合戦を描いた軍記物語(『房総里見軍記』『関八州古戦録』など)には、鷺沼源吾・鷺沼源太・鷺沼七郎兵衛といった名の武士が出てきます。「常総軍記」(赤松宗旦『利根川図志』に引用)では千葉勝胤(天文元年(1532)死去)の家臣として「鷺沼に木村十太夫」が配置されていたと記されています。ただし、これらの軍記物語は江戸時代になってから作られたもので、明らかな誤りや創作も多いため、こうした記事を歴史的事実としてそのまま信用することはできません。中世、習志野市域は千葉氏一族の勢力下にあったと考えられますが、当時の文献はほとんど残っていないため、どのような村があって誰の支配下にあったのか、といった実態は不明です。
市内ではまだ明確に中世の集落跡といえる遺跡は発見されていませんが、中世の遺跡としては、実籾3丁目遺跡では道路跡・地下式坑を伴う台地整形遺構が発見されました。また、実籾城跡では土塁や堀などが確認されており、砦として使われたのではないかと考えられます。したがって、実籾本郷に中世の集落があった可能性は高いと思われます。
江戸時代初期、市域では谷津・久々田・鷺沼・藤崎・実籾本郷に村があったと考えられますので、中世には、それらの村のもととなった集落がおそらくは形作られていったのではないかと推測されます。
近世(江戸時代)
戦国時代末期、後北条氏の支配下に入った千葉氏は、天正18年(1590)に後北条氏とともに滅亡。その後、徳川家康が関東を領有するようになり、慶長8年(1603)に江戸幕府が開府しました。
江戸時代の市域には、谷津村・
村々は大消費地江戸近郊の生産地として発展していきます。海岸沿いの房総往還(千葉街道)や本市を東西に横断する東金(御成)街道は、幕府の役人や住民の通行、物資輸送のために利用され、街道沿いには集落が成長していきました。海上輸送も盛んに行われ、江戸との間を多くの船が行き交いました。
また、現在の東習志野地区は幕府の直轄牧場である小金牧の一部、
近代(明治時代〜終戦)
明治6年(1873)、今の習志野市・船橋市・八千代市にまたがる小金牧の一部が陸軍の演習場となり、明治天皇が「習志野原」と命名しました。明治22年には谷津・久々田・鷺沼・藤崎・大久保新田の5村が合併して人口約4千5百人の津田沼村が誕生し、明治36年には津田沼町となります。実籾・屋敷は幕張村、のち幕張町の一部となります。
演習場に引き続き、明治29年に高津廠舎(日露戦争・第一次世界大戦中にはロシア兵・ドイツ兵の捕虜収容所が置かれる)、明治32年に大久保の騎兵旅団、同40年津田沼の鉄道大隊(のち鉄道第2連隊)が置かれるなど軍関連施設が建設されました。一方、明治28年の総武線津田沼駅、大正10年代の京成線各駅の開業など鉄道も発展します。こうした軍隊と鉄道の存在は、町並みの発展に大きな影響を与えました。
| 西暦 | 和暦 | できごと |
|---|---|---|
| 1868年 | 慶応4年 |
・明治維新 市川・船橋戦争 |
| 1869年 | 明治2年 | ・葛飾県設置 |
| 1870年 | 明治3年 | ・佐倉藩に編入 |
| 1871年 | 明治4年 | ・廃藩置県、佐倉県のち印旛県に |
| 1873年 | 明治6年 | ・明治天皇観閲のもと大和田原で陸軍近衛兵の演習 演習後に「習志野原」と命名され、正式に陸軍の演習場に |
| 1874年 | 明治7年 | ・藤崎学校・鷺沼学校・大久保学校(それぞれのちに−小学校)設立 |
| 1875年 | 明治8年 | ・谷津学校(のちの谷津小学校)設立 |
| 1877年 | 明治10年 | ・コレラ流行 |
| 1878年 | 明治11年 | ・谷津村・久々田村が連合、藤崎村・大久保新田・鷺沼村が連合、実籾村・長作村・天戸村・花島村が連合し、それぞれ連合戸長役場を設置 |
| 1879年 | 明治12年 | ・コレラ流行 |
| 1880年 | 明治13年 | ・教育令改正、藤崎小学校が鷺沼小学校の分校になる |
| 1882年 | 明治15年 | ・実籾・天戸・長作小学校が合併、長作小学校になる |
| 1887年 | 明治20年 | ・鷺沼・菊田・藤崎・谷津・大久保の5小学校が合併、三輝尋常小学校(のち菊田尋常小学校と改称)となり、鷺沼・藤崎・谷津・大久保は分校となる |
| 1889年 | 明治22年 | ・津田沼村誕生 久々田・谷津・鷺沼・藤崎・大久保新田の5村が合併 |
| 1894年 | 明治27年 | ・総武鉄道市川−佐倉間開通、本所−市川間開通 |
| 1895年 | 明治28年 | ・大久保尋常小学校が独立 |
| 1896年 | 明治29年 | ・大久保及び三山に陸軍第1師団経理部が習志野秣倉庫を設置 |
| 1899年 | 明治32年 | ・塩業調査所津田沼試験場設置 |
| 1900年 | 明治33年 | ・久々田に株式会社津田沼商業銀行設立 |
| 1901年 | 明治34年 | ・騎兵第1旅団(騎兵第13・14連隊)・第2旅団(騎兵第15・16連隊)の編成完了 |
| 1902年 | 明治35年 | ・津田沼郵便局・久々田郵便局開設 |
| 1903年 | 明治36年 | ・津田沼村が津田沼町になる |
| 1904年 | 明治37年 | ・日露戦争(〜1905) 騎兵第1旅団・第2旅団出征 |
| 1905年 | 明治38年 | ・習志野俘虜収容所設置 ロシア兵捕虜を収容(〜1906) |
| 1907年 | 明治40年 | ・総武鉄道国有化 |
| 1908年 | 明治41年 | ・津田沼尋常高等小学校設置、菊田・鷺沼・大久保・谷津・藤崎の各尋常小学校は分教場となる |
| 1910年 | 明治43年 | ・津田沼尋常高等小学校校舎を新築 |
| 1911年 | 明治44年 | ・京成電気軌道、津田沼・大久保地区等への電灯供給事業開始 |
| 西暦 | 和暦 | できごと |
|---|---|---|
| 1912年 | 大正元年 | ・吉野茂助、私立大正学館を創立(〜1933) |
| 1914年 | 大正3年 | ・第一次世界大戦(〜1918) 鉄道連隊第3大隊が青島に出征 |
| 1915年 | 大正4年 | |
| 1917年 | 大正6年 | ・9月30日夜〜10月1日未明、暴風雨及び高潮により海岸部が大きな被害を受ける |
| 1918年 | 大正7年 | ・鉄道第2連隊編成(鉄道連隊第3大隊が昇格、千葉の鉄道連隊は鉄道第1連隊となる) |
| 1921年 | 大正10年 | ・京成線船橋−千葉間開通、谷津遊園駅(現谷津駅)・京成津田沼駅開業 |
| 1922年 | 大正11年 | ・兵頭精(伊藤飛行機研究所練習部卒業生)が三等飛行機操縦士免状を取得 日本における女性飛行士第1号 |
| 1923年 | 大正12年 | ・関東大震災 陸軍高津廠舎に避難民収容 鉄道第2連隊が総武線の運転、避難民の収容、救援部隊・救援物資の輸送、鉄道・橋梁の復旧 習志野衛戍病院は負傷者治療、軍医・看護兵が東京方面に出動して治療活動 |
| 1924年 | 大正13年 | ・鉄道第2連隊の編成完了 |
| 1925年 | 大正14年 | ・谷津遊園開園 |
| 1926年 | 大正15年 |
・津田沼町立津田沼青年訓練所・幕張町立幕張青年訓練所設置 |
| 西暦 | 和暦 | できごと |
|---|---|---|
| 1927年 | 昭和2年 | ・菊田・鷺沼・谷津・藤崎分教場が津田沼尋常高等小学校本校に統合される |
| 1931年 | 昭和6年 | ・阪東妻三郎、谷津遊園内に大日本自由映画プロダクション阪妻関東撮影所を設置(〜1936年) |
| 1932年 | 昭和7年 | ・阪妻関東撮影所、火災により現像室・フィルム整理場・試写室を全焼 |
| 1933年 | 昭和8年 | ・津田沼町農業補習学校設置 |
| 1934年 | 昭和9年 | ・谷津遊園内に谷津球場建設 日米野球の合同練習が行われる |
| 1935年 | 昭和10年 | ・総武線、船橋−千葉間の電車運転開始 両国・千葉間の電化完了 |
| 1936年 | 昭和11年 | ・大久保分教場、藤崎に移転 |
| 1937年 | 昭和12年 | ・鉄道第6連隊編成 |
| 1938年 | 昭和13年 | ・篠原機械製作所、埼玉県越谷から実籾に移転 |
| 1941年 | 昭和16年 | ・国民学校令施行 尋常・高等小学校が国民学校に改称 |
| 1942年 | 昭和17年 | ・田中航空機製作所、津田沼町に工場設置 |
| 1944年 | 昭和19年 | ・鉄道第10連隊・第11連隊・第12連隊・第15連隊編成 ・大久保国民学校創立 |
| 1945年 | 昭和20年 | ・鉄道第17連隊編成 |
現代(戦後〜)
第二次世界大戦後、旧軍施設は学校・住宅・工場などに変わりました。習志野演習場跡地も開拓され、現在の東習志野地区のもとが形作られました。
昭和29年(1954)8月1日、津田沼町と千葉市の一部が合併し、習志野市が発足しました。この後、習志野市は、高度経済成長下に急激な変貌を遂げます。昭和40年代の第1次埋立て、同50年代の第2次埋立てによって住宅地の造成が進み、一方では市立習志野高等学校の設立(昭和32年)及び野球部・吹奏楽部などの活躍、千葉工業大学・日本大学生産工学部・東邦大学付属東邦中学校・高等学校の転入、習志野文化ホールの開館など、「習志野市文教住宅都市憲章」(昭和45年)にふさわしい文教住宅都市として、また首都圏のベッドタウンとして発展しました。昭和61年には米国アラバマ州タスカルーサ市と姉妹都市提携を行い、国際交流を深めています。
| 西暦 | 和暦 | できごと |
|---|---|---|
| 1945年 | 昭和20年 | ・習志野原開拓開始 |
| 1946年 | 昭和21年 | ・船橋市・津田沼町・幕張町などによる市町村組合立習志野農業学校が二宮町薬園台に創立(〜1950年) |
| 1947年 | 昭和22年 | ・津田沼国民学校・大久保国民学校を津田沼小学校・大久保小学校に改称 |
| 1949年 | 昭和24年 | ・津田沼中学校、第一中学校・第二中学校に分離 |
| 1950年 | 昭和25年 | ・津田沼小学校谷津分校設置 |
| 1951年 | 昭和26年 | ・谷津小学校創立 |
| 1952年 | 昭和27年 | ・千葉工業大学、鉄道第2連隊跡地に移転 |
| 1953年 | 昭和28年 | ・二宮町、船橋市に合併 |
| 1954年 | 昭和29年 | ・市制施行、習志野市誕生 |
| 1955年 | 昭和30年 | ・『広報習志野』創刊 |
| 1956年 | 昭和31年 | ・実籾保育所開所 |
| 1957年 | 昭和32年 | ・市立習志野高等学校創立 |
| 1958年 | 昭和33年 | ・習志野消防署発足、常備消防開始 |
| 1959年 | 昭和34年 | ・実籾塵芥焼却場完成 |
| 1960年 | 昭和35年 | ・鷺沼白鷺荘(白鷺園)開園 |
| 1961年 | 昭和36年 | ・鷺沼保育所開所 |
| 1962年 | 昭和37年 | ・杉の子幼稚園開園 |
| 1963年 | 昭和38年 | ・若松保育所開所 仲よし幼稚園開園 大久保東小学校創立 |
| 1964年 | 昭和39年 | ・習志野市役所庁舎完成 |
| 1965年 | 昭和40年 | ・日本大学第一工学部(現生産工学部)設置 |
| 1966年 | 昭和41年 | ・藤崎保育所開所 |
| 1967年 | 昭和42年 | ・村小旗・藤崎堀込貝塚が千葉県指定文化財に指定される |
| 1968年 | 昭和43年 | ・市立図書館開館 谷津保育所開所 |
| 1969年 | 昭和44年 | ・営団地下鉄東西線東陽町−西船橋間開通、津田沼乗入れ |
| 1970年 | 昭和45年 | ・文教住宅都市憲章制定 |
| 1971年 | 昭和46年 | ・東習志野幼稚園開園 菊田公民館開館 |
| 1972年 | 昭和47年 | ・習志野高校サッカー部が全国サッカー選手権で優勝 |
| 1973年 | 昭和48年 | ・津田沼幼稚園開園 あじさい学園開園 |
| 1974年 | 昭和49年 | ・藤崎小学校創立 袖ケ浦東幼稚園・屋敷幼稚園開園 |
| 1975年 | 昭和50年 | ・マラソン道路開通 |
| 1976年 | 昭和51年 | ・新栄幼稚園・袖ケ浦幼稚園開園 本大久保第二保育所開所 |
| 1977年 | 昭和52年 | ・屋敷公民館開館 |
| 1978年 | 昭和53年 | ・第五中学校・第六中学校創立 県立津田沼高等学校創立 |
| 1979年 | 昭和54年 | ・実花公民館開館 |
| 1980年 | 昭和55年 | ・秋津小学校・第七中学校創立 秋津幼稚園開園 |
| 1981年 | 昭和56年 | ・香澄幼稚園開園 香澄小学校創立 |
| 1982年 | 昭和57年 | ・さくらの家・いずみの家開設 |
| 1983年 | 昭和58年 | ・県立実籾高等学校創立 |
| 1984年 | 昭和59年 | ・プラネタリウム館開館 |
| 1985年 | 昭和60年 | ・習志野高校男子バレーボール部、全国高校バレーボール選抜優勝大会男子の部で優勝 |
| 1986年 | 昭和61年 | ・京葉線西船橋−千葉みなと間開通、新習志野駅開業 |
| 1987年 | 昭和62年 | ・習志野市国際交流協会設立 |
| 1988年 | 昭和63年 | ・秋津公園平和の広場完成 秋津テニスコート開設 |
| 西暦 | 和暦 | できごと |
|---|---|---|
| 1989年 | 平成元年 | ・谷津南保育所開所 |
| 1990年 | 平成2年 | ・東部連絡所を東習志野コミュニティセンター内に開設 |
| 1991年 | 平成3年 | ・まろにえ橋完成 |
| 1992年 | 平成4年 | ・新習志野図書館・新習志野公民館開館 |
| 1993年 | 平成5年 | ・藤崎図書館開館 |
| 1994年 | 平成6年 | ・東部保健福祉センター開設 |
| 1995年 | 平成7年 | ・生涯学習地区センターゆうゆう館開館 |
| 1996年 | 平成8年 | ・谷津コミュニティセンター改築 谷津図書館開館 |
| 1997年 | 平成9年 | ・習志野高校第二グラウンド移転 |
| 1998年 | 平成10年 | ・第五中学校吹奏楽部、こども音楽コンクールで文部大臣奨励賞 |
| 2000年 | 平成12年 | ・特別史料展「ドイツ兵士の見たNARASHINO 習志野俘虜収容所」開催 |
| 2001年 | 平成13年 | ・習志野郵便局移転 |
| 2002年 | 平成14年 | ・旧陸軍演習場内圍壁が国の登録有形文化財に登録 |
| 2003年 | 平成15年 | ・廣瀬家住宅主家・蔵・倉庫・井戸上屋が国の登録有形文化財に登録 |
| 2004年 | 平成16年 | ・下総三山の七年祭が千葉県指定文化財に指定 |
| 2005年 | 平成17年 | ・旧鴇田家住宅が千葉県指定文化財に指定 |
| 2006年 | 平成18年 | ・東習志野こども園開園 |
| 2007年 | 平成19年 | ・谷津干潟自然観察センター等の指定管理者による管理運営開始 |
| 2008年 | 平成20年 | ・消防本部に高機能消防指令センター開設 |
| 2009年 | 平成21年 | ・JR津田沼駅南口連絡所開設 |
| 2010年 | 平成22年 | ・中央公園橋完成 |
| 2011年 | 平成23年 | ・東日本大震災 液状化等による被害 |
| 2012年 | 平成24年 | ・市民プラザ大久保開設 |
| 2013年 | 平成25年 | ・3年連続日本一を達成したアメリカンフットボールチームのオービック・シーガルズに市民栄誉賞 |
2014年 |
平成26年 |
・アメリカンフットボールチームのオービック・シーガルズが4年連続日本一を達成 |
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