尾島飛行場跡地 [├空港]
2009年6月 訪問
中島飛行機の創設者、中島知久平の出身地は、群馬県新田郡尾島村字押切(現在の群馬県太田市押切町)。
「これからは航空機の時代である」との信念の元、海軍を辞して地元に戻り、ヒコーキ工場と飛行場を造ります。
2つ前記事の「中島新邸」のすぐ近くに作ったデコボコの滑走路こそ、尾島飛行場。
後に中島飛行機は爆発的な発展を遂げ、太田市に巨大工場群と太田飛行場という立派な飛行場を作ります。
「中島飛行機」というと、この太田市の大工場と飛行場に目が向きがちですが、
中島飛行機が発足したばかりの時期、できたヒコーキを飛ばしていたのはこの「尾島飛行場」でした。
この尾島飛行場、終戦まで使用していました。
ヒコーキ製作の会社を立ち上げ、記念すべき第1号機が完成し、
早速尾島飛行場に運んでテスト飛行を開始したのですが、
当初は失敗の連続で、なかなか満足に飛ばすことができませんでした。
そのため当時太田の町では、
「札はだぶつく、お米は上がる、何でも上がる。上がらないそい中島飛行機」
「飛行機乗りには娘はやれぬ 落ちたヒコーキで芋を掘る」
などという落首が流行ったのだそうです。
ところで尾島飛行場の敷地は群馬県、埼玉県にまたがっており、ほとんどが県の所有地でした。
そのため両県の知事に許可を求める必要がありました。
テスト飛行開始翌年の大正8年、
埼玉県内地域が2月12日付、群馬県内地域が2月20付で飛行場として正式に認可されました。
これを祝して4月25日に尾島飛行場開場式が行われました。
大正8年4月26日付の上毛新聞には、「尾島飛行場の開場式盛大に挙行」として、
「新田郡太田町日本飛行機製作所尾島飛行場開場式は、25日、利根川原なる同飛行場において盛大に挙行されたり。
数万の観衆が見守る中、練習用125馬力中島式5号にて絶技を演ず」。
という記事が載りました。
ところでこの尾島飛行場の場所なのですが。
いろいろ資料を探したのですが、地図上で場所を明示したものを見つけることができませんでした。
尾島飛行場の場所については、いくつかの資料に場所を特定する手掛かりがあって、
・尾島村押切部落の先
・土手を越えた河川敷
・敷地は群馬と埼玉の県境にまたがっている
と書かれています。
この条件でいくと、前記事の尾島RCスカイポートのすぐ東隣がほぼこの条件に当てはまります。
(厳密には「押切部落の先」よりちょっとズレている)
尾島RCスカイポートに見学でお邪魔するまで、「尾島飛行場は大体この辺だろう」。と考えていたのですが、
地元の六十台位の方に教えていただいた場所は、それより1.3キロほど下流(もっと東)側の地点でした。
上の写真の左右に分かれる道に挟まれた部分が、地元の方に教えて頂いた場所。
左の道を進むとほどなく中島新邸があります。
ここが飛行場跡地だったとすると、画面手前から奥に向かって滑走路が延びていたはずです。
ところで、「ここが尾島飛行場だ」。と断言するには気がかりな点が1つあって、
繰り返しになってしまいますが資料には飛行場の場所について
・尾島村押切部落の先
・土手を越えた河川敷
・敷地は群馬と埼玉の県境にまたがっている
となっていて、この場所は1番目と3番目の条件は申し分なく満たしているのですが
ここは「土手を越えた河川敷」ではありません。
以下オイラの想像なのですが、
国土地理院で閲覧できるこの地域の最古の写真は1946年のもので、
この部分が鮮明に写っているのが1947年のもの(下記リンク参照)なのですが、
当時のこの場所を見ると、かなり大きめの構造物が3つ密集していて、
そこから土手の向こう側に続くアクセス道路のようなものが写っています。
地元の方が「尾島飛行場はココ」とピンポイントで示した場所が、この構造物のある場所なのでした。
土手向こうの河川敷は、滑走路の形跡は写っていないものの、滑走路に十分なスペースがあります。
ついでながら尾島RCスカイポートの付近は川の流れが変化したらしく、
当時はとても滑走路を作れるほどのスペースがありません。
ということで現在のホンダエアポートのように、滑走路は河川敷にあり、
主要な建物、格納庫等は増水時の危険があるため土手の外側にあったのではないか。というのがオイラの想像です。
どなたか情報お持ちの方がおられましたら教えていただけると嬉しいです。
その後の尾島飛行場に関しては、ほとんど資料が残っていません。
市史に「1945年7月28日 関東地方に来襲したP51 240機が太田、尾島、生品、赤堀各地を銃撃」
という記録が残っている程度です。
生産が拡大すると、中島飛行機は太田市中心部に拠点が移動してしまい、
中島飛行機についての記録もそちらに話が移ってしまいます。
飛行場の場所を教えてくれた方によると、尾島飛行場には戦後ほどなく酪農家が入植し、今に至るのだそうです。
尾島飛行場:map■
群馬県・尾島飛行場
尾島飛行場 データ
設置管理者:中島飛行機
所在地:群馬県新田郡尾島村字押切(現在の群馬県太田市押切町)
座 標:N36°14′46″E139°20′17″
滑走路:700mx300m 緊急時には1,000mx600m
磁方位:07/25?
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出
沿革
1917年 測量
1918年 整備され、滑走路使用可能の状態に。中島一号機のテスト飛行始まる
1919年04月25日 尾島飛行場開場式
1945年 終戦 入植
この記事の資料:
太田市史通史編 近現代
群馬の戦争遺跡
歴史のなかの中島飛行機
国土地理院 1946年6月当時の写真(USA M159-A-5 99)■
国土地理院 1947年10月当時の写真(USA R256-No1 120)■
(■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)
2013/10/25追記:PUTINさんから情報いただきましたm(_ _)m
米軍の日本本土の軍事目標に関する偵察写真情報の一部
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4011093
上記の483コマ目に高高度から撮影したOTA飛行場の写真があります。
取材お疲れさまでした
日本の飛行機の歴史全然知らないから
勉強になりますφ(.. )メモメモ
他にも戦争の空爆とかで
潰されてしまった飛行場あるのでしょうね
by sak (2009-07-06 08:46)
航空機の時代であると着眼したところは、昔の日本人は偉いと思うのですが、「戦争で使える」ことを世界に証明しちゃったところが日本軍の敗因なんですよねー。^^;
by ジョルノ飛曹長 (2009-07-06 12:29)
ホントに行動範囲が広いですね
大小の飛行場は全国に相当数あったのですね
当時はどこも軍事的に作ったのですかね
by ヘ音 (2009-07-06 20:57)
皆様 コメント、nice! ありがとうございます。
■Krauseさん
nice! ありがとうございます。
■ぴーすけ君さん
nice! ありがとうございます。
■sakさん
オイラも知らないことだらけですので~^^
潰されてしまった飛行場、たくさんあるみたいですよ。
■shinさん
nice! ありがとうございます。
■わかって建築家さん
nice! ありがとうございます。
■xml_xslさん
nice! ありがとうございます。
■カンクリさん
nice! ありがとうございます。
■ジョルノ飛曹長殿
>証明しちゃった
そういうことか~!(☆Д☆)
一連の群馬県の記事、オイラでなくて飛曹長殿に作って欲しいです^^
■Takashiさん
nice! ありがとうございます。
■御心さん
nice! ありがとうございます。
■picaさん
nice! ありがとうございます。
■U3さん
nice! ありがとうございます。
■qoo2qooさん
nice! ありがとうございます。
■今造ROWINGTEAMさん
nice! ありがとうございます。
■ヘ音さん
この辺りはオイラの自宅から車で1時間圏内なんですよ。
当時の飛行場、仰るとおりほとんど軍用ですね~。
■masaさん
nice! ありがとうございます。
■miffyさん
nice! ありがとうございます。
by とり (2009-07-06 21:35)
■hiro78さん
nice! ありがとうございます。
■m6324さん
nice! ありがとうございます。
■そらまめさん
nice! ありがとうございます。
■こけもも:さん
nice! ありがとうございます。
■夢空さん
nice! ありがとうございます。
by とり (2009-07-07 20:34)
大正時代に飛行機に目をつけるなんて、すごいですね。
by koume (2009-07-07 22:07)
■OILMANさん
nice! ありがとうございます。
■koumeさん
先見の明ですね~^^
by とり (2009-07-08 03:22)
>場所を特定する手掛かり
まるで宝探しの地図に書かれてるヒントみたいですね^^;
うまくいくまで住民からは理解されてなかったのはライト兄弟と同じですね
まさに歴史ありですねー
いい調査です☆
by コスト (2009-07-08 21:15)
■コストさん
>宝探しの地図
そんな感じですね~。
こういうのが面白いです^^
■seirenさん
nice! ありがとうございます。
by とり (2009-07-15 20:05)
尾島の飛行場まで15分の太田市に住んでおります。
以前調査した事があります。
格納庫の基礎、診療所、飛行機のマークが付いている石踏み等が在りました。
近くに中島知久平の新邸と旧邸、そしてお墓がありました。
以上
by 黒田疾風 (2011-04-11 11:44)
■黒田疾風さん
返信遅くなって申し訳ありません
貴重な情報ありがとうございました。
by とり (2011-04-17 06:54)
こんばんは。以前に生品飛行場の記事に関し、リンクいただいたげきさかです。中島飛行場の記事読みました。飛行場の位置が不明とのことです。私も位置は分かりませんが、先日(2011年11月6日)、中島知久平邸の見学会に参加し、中島邸の内部を見てきました。そこで、以下のような話を聞きました。参考までに書き込みます。
中島邸の大広間の前には、広大な前庭があります。広間から窓越しに庭が見えました。普通、屋敷の庭には植木を植えたりするものですが、中島邸の前庭は更地で何もありません。解説の方の説明によると、中島が客を招いた際、客に飛行場の滑走路を見せられるように見通しを良くするため、庭には何も植えなかったそうです。ということは、中島邸の大広間から滑走路が見えたということであり、つまりは、中島邸の南側に滑走路の一部があったことになります。
長々と書きましたが、とりさんの研究の参考になればと思います。
by げきさかのぼる (2011-11-11 20:57)
■げきさかのぼるさん
尾島飛行場の正確な位置はずっと気になっております。
滑走路が見えるように何も植えなかったのですね。
貴重な情報ありがとうございますm(_ _)m
by とり (2011-11-12 05:37)
厳密には中島邸から飛行場(格納庫など)が遠望できるようにってことだと思います。滑走路は土手の向こう側ですし。今日、行ってみましたが、中島邸から尾島飛行場まで真っすぐ続く小道(高規格畑道?)がいい感じでした。格納庫の基礎とかはどこにあるのかわかりませんでしたが。
by 旅する野良猫 (2011-12-30 15:42)
尾島飛行場の格納庫の基礎コンクリートやエプロン?の一部は酪農家の方の北西にありますね(某ブログ情報)。
尾島飛行場の滑走路は土手の向こう側なのは分かりますが、飛行機はどっちからどっちに飛んだり着陸したりしたのですか?
やはり風向きを考えて、南東から北西に向けて(赤城おろしに向かって)飛んだのでしょうか?
by 旅する野良猫 (2014-06-15 08:45)
■旅する野良猫さん
二年半前にもコメント頂いていたのですね。失礼致しました(汗)
跡が残っているのですね~。
離着陸の向きのことですが、仰る通り「風上に向かって」が基本です。
ただ空港で離着陸を眺めていると、大した追い風でなければ、
飛んで行きたい方向、飛んできた方向、駐機位置からどっちの滑走路端が近いか等で、
この基本は簡単に覆されてしまいます。
それでも、群馬県の枕詞になる程ですから、やはり赤城おろしに向かう方向になることが多かったのではないかと
想像します。
by とり (2014-06-18 20:02)
某市の来年度の社会科副読本の編集をせよとの命が下り、「郷土を開拓した先人たち」の小単元で「中島知久平」のみを取り上げることになりました(私の強い希望もあり決定)。
8月辺りに写真史料などをいただきに富士重工業に行く予定です。
私としては、小単元の導入部では「尾島飛行場跡と青空」もしくは「太田飛行場と金山と青空」の写真を採用したいと思ってます。
→尾島飛行場の滑走方向の質問はこのため
史料が少ないと言われている尾島飛行場の写真史料も発掘したいと思ってます(依頼するだけですが)。
できれば、どさくさに紛れて、ご一緒したいですね(本気で)
尾島飛行場跡を市の史跡に指定しなくとも、案内板くらいは設置してほしいとも思います。
※尾島飛行場の滑走路って河原のどこらへんかもわかってませんが
by 旅する野良猫 (2014-06-20 21:34)
■旅する野良猫さん
おお、旅する野良猫さんてやっぱり偉い方だったのですね。
「中島知久平」のみを取り上げるとは素晴らしい( ´ ▽ ` )b GJ!
>どさくさに紛れて
お声を掛けて下さり光栄です。
万一発覚した場合、旅する野良猫さんの輝かしい経歴に傷をつけることになると思いますので、
お気持ちだけ頂きますm(_ _)m
中島飛行機関連の露出が非常に少ないのは、中島氏自身の意向によるものですよね。
富士重工業さんがどの程度の資料提供して下さるか分かりませんが、
社会科副読本編集のための実り多い取材となりますようお祈り致します。
by とり (2014-06-21 11:19)
いやいや、ただ駆り出されただけですよ。
中島知久平を教材化するとすると、尾島飛行場時代→呑竜工場時代→新工場&太田飛行場って流れになりますが、上毛新聞の記事も使えますが、やはり写真史料がほしいと(小学4年生対象ですし)。
いろんなサイトに掲載されている写真以外の貴重な写真を掲載したいと考えています。
→尾島飛行場ってのがわかる写真とか
工業都市太田の礎を築いた中島知久平をどのように教えるか、なかなか難しいですね…
尾島飛行場の追加調査&中島知久平旧亭を見学するときは呼んでください♪
by 旅する野良猫 (2014-06-21 17:16)
■旅する野良猫さん
ご謙遜しておられますが、大変重要なお仕事に携わっておられるのですね。
単なる焼き直しにしたくないという志が素晴らしいです。
どうかどうか、頑張ってください。埼玉より応援しております\(^o^)/
by とり (2014-06-22 17:04)
とりあえず、尾島飛行場時代の写真とか黎明期の貴重な史料を提供していただこうと思います。
尾島飛行場の格納庫跡に何やら怪しげな遺物がありますので、一緒に調査したいですね。
by 旅する野良猫 (2014-06-22 19:59)
■旅する野良猫さん
>一緒に調査
それではもし都合が合いましたら宜しくお願い致します。
by とり (2014-06-23 04:51)
中島知久平新邸、かなりいいです。
しかし、案内人の方が「庭から中島飛行場の飛行機が」と言っていたりします。
→はっきり言って、尾島飛行場については無知
都合がつく日をいくつか教えていただければ合わせますよ~
by 旅する野良猫 (2014-08-01 16:28)
■旅する野良猫さん
ご親切にどうもありがとうございますm(_ _)m
それではお言葉に甘えまして。。。
9/3(水)~9/8(月)の中で旅する野良猫さんご都合の良い日はありますでしょうか?
by とり (2014-08-03 13:19)
9/6(土)がいいかも
by 旅する野良猫 (2014-08-04 12:41)
■旅する野良猫さん
9/6(土)了解しました。
私はその日は何時でもOKですので、集合場所と時間が決まりましたら
ご連絡くださいませ。
by とり (2014-08-06 06:53)
■旅する野良猫さん
その週はドタキャンの可能性が非常に高くなってしまいました。
大変申し訳ありませんが゛今回の話は見送りにさせて下さい。
本当にすみませんm(_ _)m
by とり (2014-08-09 04:27)
返答が遅くなっちゃってすみませんでした。
了解ですが、当日は特に予定がないので「逆ドタキャン=いきなり行きましょう」ってのも大丈夫ですよ。
尾島の図書館で『富士重工三十年史』を読んでいたら、一番最初の「飛行機研究所」だった養蚕小屋の写真がありました。
で、前小屋の岡田権兵衛さんのこの養蚕小屋があった家を現地で発見しました。
その養蚕小屋がまだあるのかは不明ですが、場所は尾島飛行場からはちょっと距離があります(尾島飛行場と飛行機研究所の中間に航空ページェントをする場所があります)。
また、中島知久平新邸の北側にある中島知久平旧邸の場所も確認できました。
建物はなく、雑草だらけ。外壁だけが立派なのですが倒壊寸前です。
養蚕小屋らしき古い建物がちらりと見えたような気もするので一緒に「歴史発掘」したいですね。
by 旅する野良猫 (2014-08-16 20:41)
■旅する野良猫さん
本当に申し訳ありません。
その週は本格的に駄目になってしまいました。
すみませんm(_ _)m
by とり (2014-08-18 06:55)
了解です。
「銀翼遙か」に尾島飛行場関係の手記があり、呑龍工場から牛沢県道経由で尾島飛行場まで飛行場を転がしてきたとありました。
おかげで牛沢県道はいつも整備されていてどこよりも良い道だったとのこと(→太田飛行場ができてからは普通の砂利道になってしまった)。
尾島飛行場や中島知久平の生家跡や新邸、養蚕小屋を調査する機会があったら誘ってくださいね。
by 旅する野良猫 (2014-08-18 19:10)
■旅する野良猫さん
今回はお騒がせしてしまい申し訳ありません。
その節はどうぞ宜しくお願い致します。
by とり (2014-08-21 05:56)