すべてがメディア化する時代、「伝える中身」に興味がないのは不思議です

2016.3.25 FRI

「SNS、オウンドメディア、コミュニティなどなんでもメディアになって、日常に溶け込む時代。情報を発信し受け取る、ぼくらのメディアはどこにある?」

このような問いを掲げて、2015年7月にはじまった講談社「現代ビジネス」とサイボウズ式のメディアコラボレーション「ぼくらのメディアはどこにある?」。半年以上にわたり、「メディア化する◯◯」では「個人」「企業」「場所」を取材、「往復書簡」ではメディア界の先輩たちにこれまでとこれからのメディアを聞いてきました。

その集大成として、2月12日、サイボウズ社にてイベントを共催。ゲストに編集部と世代が近く、社会へのアクションを続ける税所篤快さん(NPO法人「e-Education」創業者)と国内最大のクラウドファンディングサービスを展開する米良はるかさん(株式会社READYFOR代表取締役)を招き、メディア化する個人・企業について伺いました(文・佐藤慶一/写真・三浦咲恵)。

途上国の教育支援とクラウドファンディング――。

お二人の取り組みは一見、メディアの範疇に入らないと思うかもしれません。しかし、行動や想いが伝播し、誰かを動かし、社会を変えているのであれば、「媒体・媒介」としての役割を大いに担っていると捉えることもできるでしょう。

まず紹介するのは、学生時代から途上国を中心に世界中を飛び回り、DVDを通じた教育支援をおこなってきた税所さん。あるときはパレスチナ・ガザ地区、あるときはソマリランドに入り、プロジェクトを実行してきました。この恐ろしい行動力の背景にはどんな考えがあるのでしょうか。

「3分だけお時間いただきます」

税所さんはそう言って、「僕とメディアとREADYFOR」と題したスライドを見せながら話をはじめました。ふとスクリーンに目をやると、「186枚(!)」との表示。これまでの軌跡を、スピード感のあるエネルギッシュなプレゼンで知ることができました。 

税所篤快(さいしょ・あつよし) 国際教育支援NPO「e-Education」創業者。1989年生まれ、東京都足立区出身。早稲田大学を卒業後、英ロンドン大学院(UCL)へ留学。19歳で失恋と一冊の本をきっかけにバングラデシュへ。同国初の映像教育であるe-Educationプロジェクトを立ち上げ、最貧の村から国内最高峰ダッカ大学に5年連続で合格者を輩出する。同モデルは世界銀行のコンペティションで最優秀賞を受賞。2014年、アフリカの未承認国家ソマリランドで同国初の大学院JSOUを立ち上げるも過激派青年からの暗殺予告を受けてロンドンに亡命する。著書に『前へ! 前へ! 前へ! 』『「最高の授業」を世界の果てまで届けよう』『ゆとり世代の愛国心』『突破力と無力』。Twitter: https://twitter.com/AtsuyoshiGCC

バングラデシュの奇跡からソマリランド大学院まで

「この5年ほど、『五大陸ドラゴン桜」をテーマに活動してきました。これを実行するうえで欠かせない大事なパートナーが米良ちゃんとREADYFORだったんです。まずバングラデシュでプロジェクトをはじめる際にREADYFORを利用して以来、これまで6回資金調達にチャレンジしてすべて成功し、総額は約350万円にもなります。

そもそもの活動のきっかけは、失恋でした。その後、本を読んだことで、バングラデシュに行き、グラミン銀行で修行をすることに。その修行中に村の人たちから、学校の先生が足りていないという話を聞き、なにかできないかと思い立ちました。

そのとき、自分が高校生のころ、東進ハイスクールの映像授業のおかげで早稲田大学に合格できたことを思い出したんです。だから、バングラデシュでも最高の先生の授業をDVDに収録すれば、地方の生徒でも有名大学に進学できるのではないかと考えました。

ただ、問題がありました。先生への謝礼や活動費をどう捻出するのかということです。ちょうどこのときに米良ちゃんに声をかけてもらい、READYFORのリリース時のプロジェクトのひとつとしてチャレンジしました。それで40万円ほど集まり、プロジェクトを実施でき、へんぴな村の生徒たちが次々と大学進学を決めることになったんです。

このことが新聞で『バングラデシュの奇跡』といったかたちで取り上げられ、ほかの国や地域でも横展開できるのではないかと思うようになりました。その後、国を広げるたびにREADYFORを利用してきました。

最後におこなったプロジェクトの地は、未承認国家で海賊でも有名なソマリランドです。外務省が即刻退避してくださいと言っているなか、『未承認国家初めての大学院を作るぞ!』と。そんなときにも、頼りになるのはREADYFORです。

現地の教育大臣を巻き込み、READYFORでは約200万円を調達しました。この謎のチャレンジは、最終的に副大統領をも巻き込み、ソマリランド中から支援の声が集まりました。なかには『お前を殺す』といった殺害予告めいた声もFacebookで寄せられましたが……。

そこで傭兵を雇い、開校式を実施しました。この大学院は無事オープンし、いまでは起業家が2名生まれています。ソマリランドのプロジェクトについては『突破力と無力』をご覧ください(笑)」

アイデアをアクションに変える

READYFORを6度も利用し、「頼りになる存在」と語る税所さん。米良さんはREADYFORのはじまりのころについて語ってくれました。

「2011年、READYFORは6つのプロジェクトを掲載してスタートしました。そのうちの1つが税所くんで、もう一つが現代の魔法使いとして知られている落合陽一でした。落合は同い年で、税所くんは1個下。同世代の人たちが5年前に出会って、それぞれが挑戦を続けて、プロジェクトを実現しているのがすごく素敵なことだと思っています。

小さい思いに対して多くの人たちが寄り添い支え合い、アイデアをどんどんアクションに変えていき、それがこうやって色んな方々をワクワクさせることにつながっている――。そういう瞬間を生み出せていることが、私がREADYFORというサービスを提供するなかで、いちばん幸せなことです。

READYFORは資金調達の手段ではありますが、実行者さんに寄り添い、一緒に冒険を味わうことができます。その冒険をよりたくさんの方にワクワクしてもらうためにどう伝えていくのか、というところもお手伝いさせていただいています。そういう意味では、READYFORは新しい価値をもつメディアとしての役割を果たしている部分はあるのかなという風に思います」

米良はるか(めら・はるか) 株式会社READYFOR代表取締役。1987年東京都生まれ。2010年慶應義塾大学経済学部卒業。2012年同大学院メディアデザイン研究科修了。大学院在学中に米国・スタンフォード大学に留学。帰国後、2011年3月にWebベンチャー・オーマ株式会社の一事業として日本初のクラウドファンディングサービス「READYFOR」を設立。2014年7月に株式会社化し、NPOやクリエイターに対してネット上での資金調達を可能にする仕組みを提供してい る。2012年には世界経済フォーラムグローバルシェイパーズ2011に選出され、日本人として最年少でダボス会議に出席。St.Gallen Symposium Leaders of Tomorrow、内閣府国・行政のあり方懇談会委員など国内外の数多くの会議に参加。 http://readyfor.jp/

共感を広げるためにメディア化した

税所さんと米良さんのそれぞれの活動を踏まえたうえで、「メディア化」について考えを聞きました。スケールの大きな野望をもち、それに見合ったアクションをとる税所さんは自分自身をどのようにメディア化してきたのでしょうか。

「やりたいことを思いついても、1人では何もできないと感じています。だから、いつもどうすれば仲間が集まってくるだろうかと考えていて、単なる途上国の教育支援ではなく『五大陸ドラゴン桜』のように人目を引くかたちで発信することが大事だと思います。

そうしないと共感が集まらない、認知が広がらない、READYFORでも支援が集まらない――。どうやって、自分自身を、そしてプロジェクト自体をメディア化して伝えていくのかは常に考えています。

ただ、伝える以前に、なにをやるのかが重要です。ぼくは思いついたことにビビッときたらすぐに実行・行動するのを続けてきました。だから、ソマリランドにも実際に行って、プロジェクトをおこないました。最悪死なないように頑張る。ギリギリのラインを守りつつ、面白いことはできるだけやりたいと思っています」

企業のメディア化で、価値を広げる仲間が集まる

税所さんの行動はスケールが大きいものの、そこにはちゃんと共感を呼ぶためのメディア化の意識がありました。この話をふまえ、米良さんにメディア化する企業について聞きました。

READYFORは志や思いを持つ人がプロジェクト実行者としてプロジェクトページを立ち上げ、ネット上でお金を集めることができるサービス。ページ作成や資金調達など情報の伝え方とお金の集め方について、キュレーターが伴走者としてサポートしています。

「サービスとしてはもうすぐ5年、会社としてはまだ2期目ですが、本当にまだまだという感じです。このまま順調に成長できるかどうかは誰にも約束できないですが、それでもビジョンに共感して人が集まってくるのはとても嬉しいことです。

旧来の求人サイトを通じて人が集まるのではなく、SNSなどでREADYFORのことを知っていたり、ずっとフォローしていたりする人こそが、この会社の価値を一緒に広げてくれる仲間なんです。そうなるためには、企業のメディア化が必要になるのかなと思います」

「メディアに行きたい」発言に足りないこと

モデレーターを務めたサイボウズ式 編集長の藤村能光さんは企業のメディア化を進めるなかで、その流れがさらに広く浸透しつつあるといいます。

「この企画を通して企業、個人そして場所、さまざまなメディア化を見てきました。SNSが出てきた当初は、人と人がコミュニケーションする段階でしたが、最近では企業の情報に関心をもつ方も増え、共感を集めることができるようになったという実感があります」

これまで一般的に「メディア」というとマスメディアを指すことが多かったように思います。ただ、「ぼくらのメディアはどこにある?」は、メディアが個人、企業、場所などに広がり、生活にまで浸透しているのではないかという問題意識ではじまりました。そもそも、ゲストのお二人にとってメディアとはなにを指すのでしょうか?

米良さんは「メディアと聞いたとき、それがマスメディアを指すとはあまり思わない」と語ります。

「就活生と話す機会も多いですが、そのときに『メディアに行きたい』とよく言われます。でも、その意味がよくわからないんです。誰かに何かを伝えるのがメディアだとすると、そういう人たちには『何を伝えたいのか』『何をしたいのか』という視点が抜け落ちているんです。

現在はマスメディアだけが力をもつ時代ではないと思います。個人がコンテンツをつくって発信できる時代なのに、伝える中身よりも『媒体』に興味がある人が多いのはとても不思議です」

メディア化ならでは苦労・葛藤

「実は数週間前に米良さんに人生相談に行って……」

税所さんはそう切り出し、自身の経験に由来する「メディア化する個人」のリスクを指摘しました。

「さっきのプレゼンだけ聞くと何も考えてないで、どんどん前に進んで行く、アホなヤツだと思われるんですが、こう見えて常に悩んで行動していて、ガラスのハートの持ち主なんです。

だから、個人をメディア化しすぎると、そういう本当の姿がなかなか伝わないことがあって、常に前進しているイメージが先行して勝手にそういうことを期待されるのはしんどいなあと思います。

あと、ソマリランドのプロジェクトのとき、メディアは諸刃の剣だと感じました。READYFORで共感とお金が集まり、それ以外でも応援してくださる方がいて、プラスの反応ばかり集まっていると思い込んでいたんですが、ソマリランドのテレビや新聞を通じて活動を伝えると、殺害予告をはじめ、けっしてプラスの反応ばかりではありませんでした。

たぶん、ソマリランドでは大々的にやるべきではなく、静かに粛々と準備してやれば、殺すなんて言われなかったはずなんです。だから、自分が置かれた状況をしっかりわきまえたうえでメディア化しないと、足元をすくわれると思っていて……。

後になってそのことに気づきましたが、そもそもソマリランドに行ったのは仮説があったからです。未承認国家なので、ぼくみたいな外国の若者が行ってもすぐに大臣や閣僚にアクセスできるんじゃないかと。実際、最初の滞在2日目で教育大臣に、2回目の滞在で副大統領に会うことができたので、この仮説は正しかったんです。だから大学院の設立にこぎつけることができました。

でも、それで少し調子に乗ってしまったので、殺害予告されたのかもしれないです。当然、現地の政治家を巻き込むとなると、反政権派の存在を考慮しないといけなかったんですが、当時は冷静に考えられませんでした。そういうところで、メディア化のむずかしさを肌で感じました」

最近ではテレビ番組でも特集されるようになったREADYFOR。意外なことに、メディアに取り上げられる回数は一定ペースなのだそう。ただ、取り上げられる側としての葛藤もあったと米良さんはいいます。

「立ち上げた当時は23歳だったので、『若き女性起業家』といった取り上げられ方をよくされました。そのたびに変なプレッシャーとしてのしかかり、1年くらい悩みました。

でも、2年目くらいから徐々に事業が回り始めて、このサービスを大きくしていく事業オーナーとして生きていくと強く思ったときに、少しすっきりして。すべての人たちがチャレンジできるような環境づくりを提供する、その価値を伝える手段としてメディア(取材)があると捉えるようになりました。

ただ、目的が定まるまでは、自分の名前だけが一人歩きしていく感じがすごく怖かったです」

メディア化せずに生きることはできるのか

個人と企業――ふたつのメディア化についての実情を知ったうえで、最後に藤村さんが「自分がメディア化せずに生きていくことって可能ですか」と問いかけました。

税所さんは「ぼくの挑戦スタイルは、常に自分で物語を作って、自分をメディア化するというものでした。自分の志を達成するためにはメディア化はとても有効でしたが、危ない側面もありました。挑戦ありきのメディア化だったので、メディア化しなくても生きていくことはできると思います」と回答。

一方、「不可能だと思って生きたほうがいい」というのは米良さん。

「たとえば採用方法を見ても、SNSと連携したサービスやダイレクトリクルーティングみたいな方式になりつつあるので、その人がどういうふうに生きてきたのか、その環境の中で何を志してどんなタグをつけてきたのか、などが見られるようになっています。

将来的には個人がそれぞれ価値を提供する人になろうとしなければ、生きにくくなるような時代になるんだろうと思います。自分が何のために何の価値を提供する人間なのかを常に自問自答しながら、社会で生きていかないといけないし、だれかが自分のことを『こういう人なんだ』と認識した瞬間、もう個人がメディアになったということだと思います。

だから、メディア化を意識して生きていかないとキツイ一方で、それを意識して生きていくとどこでも生きていけるような人になれるのではないかと思います」

セッションの最後には質疑応答をおこないました

編集後記――「ぼくらのメディアはどこにある?」を振り返って

佐藤慶一(現代ビジネス編集部)
SNSの登場で「メディア化する個人」は自分の実感としても身近なものでした。「ぼくらのメディアはどこにある?」では、ファッションデザイナーのハヤカワ五味さんが「個人としてメディアである」「作っているプロダクトがメディアである」ことに自覚的なのが強く印象に残っています。取材対象がひとりでも、個人やモノといった複数のメディア化が垣間見えたことが発見でした。

(前編)自分も品乳ブラもメディアといえる――20歳・ハヤカワ五味の「人に影響を与える」という仕事
(後編)「自分でやったほうが早い」は10代で捨てた――ファッションデザイナー・ハヤカワ五味が5つの肩書きで働く意味
藤村能光(サイボウズ式 編集長)
いちばん印象に残っているのは、松浦弥太郎さんです。クックパッドというレシピサイトを運営する会社に、「暮しの手帖」編集長を長年やってきた松浦さんが入って、「くらしのきほん」という新メディアを立ち上げました。ビジネスが盤石なクックパッドさんがあえて「企業のメディア化」に取り組んでいることに興味がありました。松浦さんが「メディアも、くらしのきほんも、人のくらしと同じように毎日少しずつ変化していくものだ」とおっしゃっていたのが印象的でした。

(前編)世の中に必要とされたいあなたへ――松浦弥太郎が考える「愛される人間」のきほん
(後編)24時間「人間味」を感じられる場を発明したいーー松浦弥太郎「スマホ時代のメディアのきほん」
徳瑠里香(現代ビジネス編集部)
メディア化する場所として取り上げた、「仏生山まちぐるみ旅館」の岡昇平さんがいちばん印象に残っています。仏生山ではいろんな場所の空間を作ることで人が集まり、井戸端会議みたい会話が繰り広げられています。この町を1日歩いて、同じような価値観や雰囲気に惹かれた人たちが集まっていて、まさに場所も1つのメディアだと感じることができました。

(前編)1度きりの消費よりも、めぐる関係をつくる──まちおこしをしない高松・仏生山はなぜ人を惹きつけるのか?
(後編)仕掛人もブームもいらない―「年1%成長」を望む高松・仏生山の100年続くまちづくり戦略

2015年7月から続いた「ぼくらのメディアはどこにある?」もこれで終了となります。メディア化する個人・企業・場所を取材した記事を読んだ方にとってメディアが身近であり、すでに自分がメディアであることを少しでも実感できる機会になったのであれば幸いです。

おわり。