HISTORY

ABOUT SUBARU

HISTORY

空から地上へ。舞台が変わっても変わらないDNAと革新の歴史がそこにある。 空から地上へ。舞台が変わっても変わらないDNAと革新の歴史がそこにある。

航空機メーカーをルーツとするSUBARUは、安全性、走り、機能性、信頼性を基本とした
「確かなものづくり」を貫き、革新の歴史を刻んできました。SUBARUの根底に流れるもの、
それは安全をどこまでも追い求めチャレンジし続ける航空機開発のDNAです。

SUBARUのルーツは航空機メーカー

人の命を乗せて空を飛ぶ、飛行機の開発でもっとも大事なこと、それは安全。
万が一墜落したら乗る人の命にかかわる飛行機の開発は、そんな万が一の状況を想定して、危険な状況に陥らないための工夫をほどこし、安全をどこまでも追い求めるものです。安全に対するSUBARUの想い、DNAはクルマの開発にもしっかりと受け継がれています。

例えば、1958年に発売され日本の自動車の発展と普及に大きく貢献したスバル360。そこには、徹底した軽量化と合理的なパッケージングという航空機開発のノウハウが詰め込まれていました。
また、SUBARUの代名詞ともなっている水平対向エンジン。それは、走りの愉しさを実現するだけのものではありません。エンジンが左右対称でバランスがよく安定していることで、より安全に走ることができる。SUBARUの安全へのこだわり、水平対向エンジンを磨き続ける理由がここにあります。

空から地上に舞台が変わっても変わらない、飛行機づくりから培われたSUBARUの安全へのこだわり。独自の技術を磨くことで、SUBARUが目指すのは「安心と愉しさ」をお客様にお届けするNo.1ブランド。
SUBARUの挑戦、革新の歴史に終わりはありません。

1917年

航空機メーカーがSUBARUのルーツ

現在の群馬県太田市に設立された「飛行機研究所」がSUBARUのルーツです。
同研究所は、日本最大規模の航空機メーカー、中島飛行機となり民間機、軍用機合わせて25,935機の飛行機と46,726基の発動機を生産しました。
SUBARUの安全思想の根底にあるのは、航空機開発のDNAです。

1953年

富士重工業株式会社設立

航空機生産と自動車の開発を開始。

1958年

航空機開発のノウハウを活かした「スバル360」発売

“大人4人がゆったり乗れて、小型車に負けない性能のクルマ”を目標に開発した軽4輪乗用車。
徹底した軽量化と合理的なパッケージングには航空機開発のノウハウが活かされていました。
スバル360は、お客様の圧倒的な支持を得て、日本の自動車の発展と普及に大きく貢献しました。

1966年

水平対向エンジンを搭載した「スバル1000」発売

水平対向エンジンを縦置きに搭載したFF車「スバル1000」を発売。
現在、SUBARUがつくるクルマには全て「水平対向エンジン」が搭載されており、理想の安全、走りを実現するために、進化させ続けています。
(2015年水平対向エンジン生産累計1,500万台)

1972年

乗用4WD「レオーネ4WDエステートバン」発売

日本で4WDといえばジープタイプであった時代に発売した、乗用4WD。
その後、4WD技術を磨き続けて実現したシンメトリカルAWDはSUBARUのコアテクノロジーです。

1989年

質の高い走行性能を実現した「レガシィ」発売

レガシィは10万キロ世界速度記録を達成し、その高い走行性能と耐久性を証明しました。
また、ステレオカメラを使った運転支援システムの開発をスタートしました。

1995-97年

WRC(世界ラリー選手権)3年連続マニュファクチャラーズチャンピオン獲得

1990年に本格参戦を開始したWRC(世界ラリー選手権)で、
インプレッサWRカーが日本メーカー初の3年連続マニュファクチャラーズチャンピオンを獲得しました。
SUBARUでは、モータースポーツで得られる情報や知見を、市販車の開発にフィードバックし、気持ちよく、そして安全に走るクルマづくりに活かしています。

2003年

レガシィが’03-’04日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞

レガシィが’03-’04日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞しました。
また、アイサイトの前身となるADAでは、レーダーとカメラを併用したセンサーフュージョン技術を世界で初めて採用しました。

2014年

進化し続ける運転支援システム「アイサイト(ver.3)」をレヴォーグに搭載

ステレオカメラで前方を監視し、必要に応じて自動ブレーキなどの制御を行うアイサイトが更に進化。プリクラッシュなどの従来の機能を進化させるとともに、ステアリング操作のアシストなど危険回避の領域を広げました。(2015年アイサイト国内累計販売台数30万台)