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710813 日本自作航空機協会
第1回フライ・イン
昭和46(1971)年8月13、14、15の3日間 日本自作航空機協会(会長 宮原
旭氏)
主催の飛行大会−フライ・インが群馬県館林市の大西飛行場で開催された。
日本自作航空機協会主催
(JEAA) 第1回フライングイン日程表 (予定)
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会場 群馬県館林市大西飛行場 昭和46年8月13日〜15日
8月13日 10:00
役員集合 参加者集合 参加機及ぴ出品物搬入
19:00 夜間(前夜祭)航空映画及びスライド映写
8月14日 10:00 開会挨拶 JEAA会長 宮原 旭
来賓挨拶 来賓
11:00
参加者 出品者紹介
13:00
参加物の説明及ぴ飛行
19:00
夜間航空映画及スライド映写
8月15日 10:00
参加機による飛行及ぴ出品物の説明
13:00
参加機による飛行及び出品物の説明
16:00 閉会挨拶 JEAA会長 宮原 旭 |
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日本に於ける記念すべき第1回大会 手作り航空機のお祭り。 大会について知ったのは
ライト航空ニュースによってで もっと前の日時で計画されたのが都合で延期されていて
この時期になったのだが おかげでちょうど航空局のの許可も取れて継続して安定して飛行
出来る段階にあった私としては 会員でなくてもOKとの事なので是が非でも参加して飛びた
いと思った。 今後の自分の仕事や生活の予定なども含めて検討して 機体を会場へ搬入
するついでに関連する資材や機材もこの際 岐阜から館林へ そして福島県郡山市へ運ん
でしまおうと計画した。
11日の夕方4:30−6:30 ジャパン・レンタカー から借りた2トンエルフ(¥18、000)に
友人同僚(増田 柴田 岩月)の手を借りて積み込んで夜半に出発。 12日の朝早く6:10
大西飛行場に到着。 だれもいなくて分からないままに 格納庫の前に駐車して休んでいると
しばらくしてから現れたのが ここタテバヤシ・エアロのオーナー社長大西勇一氏さんだった。
数年前に入間基地の(極東最大?)航空宇宙ショーでパブリカのエンジンを使った自作機で
高さ10mのジャンプ飛行したのを遠くから見たことが有るのだが その自作航空機の大先輩
大西さんが目の前にいた。 挨拶や自己紹介が済むとトラックの荷台に上がり込んでロープで
くくりつけられたままの機体を詳細に見始めた。 そして更にローター・ヘッドをじっくり眺めた
後に 氏は以前にジャイロは無動力のグライダーをさんざんやった事と「ジャイロはニュートラ
ルの感覚が掴めない、これを続けていると 何時か命を落とす」との判断で動力飛行はやらな
かった等の話が出た(注)。 ジャイロに関してはそれだけで あとは手作り航空機全般的な話
として 型式認定や耐空検査をパスしている実用航空機に比較すれば信頼性がないのだから
「長い時間飛ぼうとするな」だった。 なお大会当日の朝には 「こんなのが来ているよ」と大会
に於ける飛行許可書を手渡してくれた。
大会の実行委員長は石塚忠顕氏(下石神井神社の神主さん)。 来賓?として航空局の高橋
検査官 藤原検査官が調布飛行場から飛来して参加機を視察した。 大会役員と共に参加者
の集団を引き連れた格好で1機1機見て回って問題点を指摘したり質問したり〜私の所では
操縦系統の強度や剛性が話題になったと思ったら操縦桿をいきなり左右に大きく強く動かした
〜手荒い(失礼)洗礼を受けた格好だったが そのようなあれこれを一通り終えると再び機上
の人となって翼を大きく振りながら颯爽!と飛び去った。 帰り際に「気を付けてやって下さい」
と言い残したと聞いたが 後で関係者との話し合いの席では「どの機体も不合格」との事だっ
た。 もちろん実用機〜耐空証明がある航空機の基準で云っているのだが しかしこれは云
われるまでもなく私達ホーム・ビルダー自身の問題であって設計や製作技術なりワークマン・
シップの向上に努めなければならない。 それでも改修のたびに不要なボルト穴などが増えて
そのまま残っていたり 仕上げが悪かったりしていて完成度の低い自分の機体G6-2DKに関し
ては 会長の宮原旭氏から「まとめる事が大切ですね」とのお言葉!を賜って非常に恐縮 ま
た嬉しくもあった。 一方他のジャイロ愛好者から どこをとって見てもベンセン式とは違うとの
声があって これはG6型を進めてきた背景とのからみもあって我が意を得たりと思った。
約20機の完成機と未完成機が参加した中で半数近くがジャイロ 大西(固定翼のスバル・プ
レン) 国分(ジャイロ) 志水(ジャイロ)が動力飛行。3月に水上型ジャイロで右足骨折事故
怪我療養中の先輩 坂元さんも杖をついて参加した。
6月にはアメリカの PRA
大会の時期に ケン・ブロックが 特別装備無し道路地図だけを持っ
て 西のカリフォルニア州から東のノースカロライナ州まで約4,000キロのアメリカ大陸横断
飛行を成し遂げたニュースがあって みんな度肝を抜かれた一方で こちらは館林の空を2回
ばかり飛行したらモウそれで一応計画の全てが無事完了したとの思いに駆られて感無量 力
抜けて疲れも出て泣けてしようがなくてトラックの座席で帽子を顔にかけてしばらく寝ていた。
彼我の差甚大 比較にならない。

フライ・インに参加したジャイロ群〜館林の格納庫
G6−2DK
レンタル・トラックで・・・
大西勇一氏
私が知っている大西さんは 館林飛行場の開拓者 日本の自作航空機の草分けで 早い時
期にジャイロを手掛け(パワー飛行に移る前に手を引いた〜(注)) パブリカのエンジンを積
んだ自作機で入間基地の国際航空ショーで大観衆の前でジャンプ飛行を披露し(私も見まし
た) スバルの水冷エンジンを積んで伊豆大島往復飛行をやった(もちろんオスミツキ 許可
を得て) 更に模型用エンジンを6個使った多発モーター・グライダーも成功させた大先輩です。
注 : 大西さんは「ジャイロプレーンはニュートラルの感覚が掴めない、これを続けていると
何時か命を落とす」と言ってました。 事実大西さん及びその頃日本でやっていた方々に一般
的だったローターヘッド(Spindle type)にはその様な特性があり 縦(ピッチング)のトリムが取
れない〜手放し飛行が出来ない〜操縦が難しいかなと思われる物で
後年ベンセンは自伝的
著書 A Dream of Flight の中で 「 1) No clear
neutral feel in the control stick
・・・」と述べて
います。
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