2015年5月公開
海でおなじみの水の動きといえば、まず海流でしょうね。日本の太平洋岸には、世界最強の海流である「黒潮」が南から北に向かって流れている。黒潮については、この「知って楽しい海の話」でも何回か取り上げている。
海には、もうひとつ特徴的な海水の動きがあります。渦ですよ、渦。海の中は渦だらけだ。その大きさも、数センチ・メートルの小さなものから数百キロ・メートルにもなる巨大なものまで。すぐに消えてしまうものもあれば、何か月も持続するものもある。
まえにNHKスペシャルで、「流氷"大回転"」という面白い番組をやっていた。冬になって流氷が押し寄せてきた北海道のオホーツク海沖に、差し渡し20キロ・メートルにも達する巨大な流氷の渦模様が出現する。その映像を撮影する苦心談だった。
今回は、海にできるこの巨大渦の科学的な側面についてお話ししよう。
流氷が見せてくれる海の動き
有名な鳴門の渦潮は、規模が比較的小さくて動きも激しいので、海面が白く泡立って渦巻いている。脇から見ていれば、「ああ渦だな」とわかる。渦を見物するための観光船も出ている。
だが、このオホーツク海沖の渦は、そうはいかない。
まず、大きい。たとえば富士山を、車で簡単に行ける5合目のあたりで水平に輪切りにしても、断面の直径はせいぜい10キロ・メートルにしかならない。麓の富士五湖のあたりでそっくり輪切りにすると30キロ・メートルくらい。つまり、オホーツクの渦は富士山クラスの大きさがある。
それに、渦の巻く速さは、速いところでも秒速1メートルになるかならないか。大きくてゆっくり回転する水の渦は、容易には見ることができない。
そこで流氷の登場だ。この渦は冬だけの現象ではないのだが、流氷の季節だと、氷が水の動きに沿って模様を描くので、ちょうど池の水の動きが水面に浮いた落ち葉でわかるように、海の巨大な渦が流氷で「見える」ようになる(※)。この渦が「流氷渦」とよばれることがあるのも、それが理由だ。
この流氷渦、人工衛星からだと見事にわかる。北海道のオホーツク海岸から沖合20〜30キロ・メートルのあたりに、巨大な渦がいくつも並んでいる。渦の巻く向きは、どれもおなじだ。一帯が渦で埋めつくされているかのように見えることもある。なんとも美しい自然の造形ではないか。
巨大渦が並ぶワケ
「この渦の科学的な面白さは、ひとつだけ単独でできるのではなく、いくつも列をなしてつぎつぎに発生する点なのです」。北海道大学低温科学研究所の大島慶一郎教授は、そう説明する。
北海道のオホーツク海岸には、最北の宗谷岬と樺太の間にある幅30キロ・メートルほどの宗谷海峡から、宗谷暖流が流れ込んでくる。宗谷暖流は、そのまま岸にへばりつくようにして、300キロ・メートル近くにわたり南下する。海岸の全域で沖合に向かって徐々に深くなっていく単純な海底地形が、この独特の流れ方を生んでいる。流氷渦は、宗谷暖流の沖側の縁のあたりにできる。
この流氷渦の列が、なぜ科学的に面白いのか。それは、渦の列ができる理由を、「流れの不安定」とよばれる物理学の理論で見事に説明できるからだ。複雑そうに見える自然現象をシンプルな理論で説明できると、科学者はとてもうれしい。
水や空気などの流れが、渦を作らず「安定」して流れるか、あるいは、じっとおとなしく流れずに「不安定」になって渦を作るか。「流れの不安定」理論では、それをつぎのようにして考える。まず、流れに小さな乱れが発生したと仮定する。そして、もともとの流れがどのようなときにこの乱れが成長していくか、その条件を調べる。言い換えると、大きな渦ができるには、まず小さな乱れ、つまり渦の「種」が発生し、もともとの流れがその種を育てる条件を満たしていればよいというわけだ。
この考え方は、現実をよく表している。水や空気が勢いよく流れると、その脇には乱れが生まれる。エアコンの噴き出し口にも、無数の乱れができている。ふつうは、水や空気の摩擦でエネルギーを失い、消滅する。だが、この乱れを生んだもともとの流れの流れ方によっては、流れから乱れにエネルギーが供給されて、大きな渦に成長する。この考え方を数式でまとめたのが「流れの不安定」理論だ。
大島さんによると、オホーツク海岸の流氷渦の「種」は、樺太の南端でできるのだという。西の日本海側から海流が宗谷海峡を通り抜けようとするとき、樺太の南端で海流は強くこすられる。満員の電車から多くの客が降りようとするとき、ドアの中央にいれば、流れに乗って降りられる。だが、ドアの端にいると、客の流れとドアの縁にはさまれて、もみくちゃになる。乱れるのである。宗谷海峡でこうしてできた乱れに宗谷暖流からエネルギーが供給され、乱れは成長して渦になる。
なぜ、この海域で流氷渦が列となって発生するのか。水槽を使った実験で流れの条件をいろいろ変えてみたところ、いくつかのヒントがみつかった。そのひとつは、樺太の先端部がとがっていること。とがっているために、やがて成長して巨大渦となる「種」ができやすい。そして、海底の傾きや海流の速さ。海流が安定して海岸沿いに流れ、かといってあまりに整然と流れるのでもなく、「種」にエネルギーを与え続けて巨大渦に成長させるのにちょうどよくなっている。大島さんのコンピューターシミュレーションによると、巨大渦は、宗谷暖流が宗谷海峡から南下を始めてわずか1〜2日でできあがるらしい。
この流氷渦の列は、「流れの不安定」のうちでも、とくに「シア不安定」とよばれている現象だ。この渦を30年前から研究してきた大島さんは、「単独の渦は海のあちこちで見られるが、海流からエネルギーが供給され続けて四つも五つも並ぶのは珍しい。渦と渦の間隔も、シア不安定の理論と合致している」という。巨大渦が列をなして発生するという風変わりな自然現象を、物理理論できちんと説明できた。めでたし、めでたしである。
式を覚えるのが物理ではない
最後に、ちょっとだけオマケを。
物理学は、自然現象がどのような仕組みでおきているかを、できだけ単純に説明しようとする学問だ。自然現象はふつう複雑だから、それを単純に説明しようとするたびに、科学者は「ほんとうにコレでよいのだろうか」と悩む。自分の説明をさまざまな角度から検討して、「うん、これで大丈夫だ」というところまでなんとか高めて論文にする。そして喜ぶ。オホーツクの流氷渦は、それがうまくいった典型例だと思う。
物理は単純さを求める。大学受験の物理だってそうですよ。「物理はたくさん式を覚えなきゃならない」と勘違いしている高校生が、ときどきいる。でも、それは違います。大学受験で覚えるべき式は、せいぜい10個かそこいら。単純なのです。これくらいなら、練習問題を解いているうちに覚えられるでしょう。あとは、この基本の式をもとに、その場その場で考えていくだけ。覚えることが嫌いなものぐさに相性のよい科目かもしれない。
感動も味わえる。振り子などの振動を表す式と電気回路を流れる電流を表す式が、まったく違う現象を表しているのに、おなじ形の式になる。そんなことって、ありえるのだろうか。もしかすると、神の差配なのか。
受験勉強ながら、これはもう「お勉強」の域を超えた感動だ。芸術の感動とも似ている。そういえば、物理学者のアインシュタインはバイオリンを弾いていたっけ。物理と音楽は、求めるものが似ていたのだろうか。
ある高校の先生に、物理がいま不人気なのだと聞いた。人類の代表的な英知に若者が触れずにいるなんて、もったいない。物理は、けっして難しい科目ではないんだよ。ということで、蛇足を加えさせていただきました。
(※)水や空気のように流れる物体の性質を調べる物理学の分野を、流体力学という。水や空気は見えにくいので、流体力学の実験では、流れをどうやって見えるようにして観察するかが大問題。だから、流れを「可視化」する研究も、ずいぶん行われている。いま世間では、可視化というと、犯罪の取り調べを録画したり録音したりして記録にとっておくことも指しますね。こちらは、ほんとうは簡単に見られるのに、密室に閉じ込めてあえて見せなかったもの。見ること自体が難しい流れの可視化とは、ずいぶん違う可視化です。
(文責:海洋アライアンス上席主幹研究員 保坂直紀)