反日はどこからくるの

反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。

タグ: 後藤忠政

後藤忠政氏は カンボジア人となって来賓席に座っていた 続き

宝島2014年1月号

別冊宝島後藤忠政後編6061
p60・61
別冊宝島後藤忠政後編6263
p62・63

後藤忠政(得度名・忠叡)元後藤組組長 独占インタビュー第2弾!
「日本はとことん息苦しい国になったな」
伝説の組長が語るカンボジア政府との親密な関係&日本の暴排ブーム

 先月号で紹介した元山口組後藤組組長・後藤忠政(得度名・忠叡)氏の本誌独占インタビューは大きな反響を呼んだ。

 武闘派の大物組長としてならした後藤氏が山口組を引退したのは2008年。5年とたたない間に、カンボジアという異郷の地で市民権を獲得、そればかりかフン・セン首相の与党・カンボジア人民党党員としても活動し現地での”貢献”(赤十字や孤児院、病院などに合計1億円の物品寄付)がみとめられてシハモニ現国王から爵位(オギャ=oknha)を授かっていた。ヤクザの世界を経て、第二の人生をこれほどドラマチックに歩む人物はいない。

 今号ではカンボジア定住を始めて2年半がたった後藤氏に、同国政府との関係や日本への思いを聞いた。

カンボジアでなぜ支援活動を?
ー今はどんな生活を?
後藤 日本にいる時とそれほど変化はない。ゴルフに行くこともあれば、お姉ちゃんと飯を食いにいくことだってあるよ(笑)。
 ヤクザを引退してから、「俺は何者だったんだ?」と考えてきた。それを確かめるため、カンボジアに住んでるようなもんだ。10カ国あるASEAN諸国のなかでも、カンボジアは最貧国とされている。けど、この国の国民は貧しくても希望を持ってるんだ。
 戦後の日本人は焼け野原に建てたバラック小屋から立ち上がった。その頃の日本人に似た目の輝きが彼らにはある。それが好きだし、彼らと接していると自分の原点に立ち返ったような気分にもなるんだよ。
 俺がこの国で、学生を相手にした日本語学校を支援しているのも、彼らの将来が少し楽しみだからだ。

ー支援のための資金は?
後藤 すべて俺個人で賄っている。なにも偉そうなことを言ってるんじゃない。大規模な養鶏場やトウモロコシ農園を始めたのも、事業として成功させて、そういった活動のための資金を現地の経済の中で作れなきゃ、真の意味での支援にはならないからだ。そうしなけりゃ長続きしないだろ?

伝説の大物組長がなぜ独裁政権与党に?
ー28年間独裁が続くフン・セン首相の人民党党員でもありますが、党員としてどんな活動を?
後藤 俺が市民権を取ったのは去年の5月だが、その翌月、統一地方選挙があった。人民党の幹部は担当地域を持たされる。俺の友達で人民党員でもある軍の陸軍大将がタイの国境に接する州の担当だったから、その選挙を手伝ったんだ。
 現役の頃は頼まれてよく票集めをやったもんだが、カンボジアの選挙運動のスタイルは日本とは違う。党員や後継者が500人くらい集まって乗用車、トラック、バイク、トラクターに分乗し、党の旗を掲げながら州内を行進するんだ。

ー今年7月には国政選挙(第5回国民議会総選挙)がありました。独裁が批判されたようですが。
後藤 野党の昔の党首(最大野党である救国党のサム・リャンシー党首)が、フン・センと反目になって海外に亡命していた。なにかの嫌疑をかけられてな。それが国王から恩赦を受けて帰国したもんだから、民主化運動が始まった。若い連中や低賃金の労働者たちが「チェンジ・フン・セン!」と叫んで大規模なデモを始めたんだ。プノンペンじゃあ、一時は10万人ともいわれる人間が集まったもんだから「中東の春」のようなことになるんじゃないかと、日本のマスコミも熱心に取材していたな。内戦時代を知っている世代の大半が、また大変なことになると思って、プノンペンから田舎に逃げ出す有様だった。
 ただ、俺は大事には至らないと思ってたよ。カンボジアはクメール人という民族の国で、宗教もほぼ仏教ひとつだ。中東のように多民族、複数の宗教が入り組んでない。人民党が力を持ち続けているといっても、王政は続いていて国民も国王を慕っている。
 選挙後「投票で大規模な不正があった」と野党が追及し始めたが、最後は国王が人民党と野党に話し合いを呼びかけて収まったな。

ー一方では28年も続く一党独裁が貧富の差を生み、国民の不満も強いのでは?
後藤 ちょっと経済が成長すると、格差が目立ってそういう不満が出てくる。ただ、独裁が必ずしも悪いものだとは、俺には思えないんだ。リビアを見るといい。カダフィの独裁が終わったのはいいが、ドンパチがいまだに収まらない。ああなると一番惨めなのは国民だ。そのことを、俺はこの国の軍人とよく話し、彼らもわかっているはずだ。
 カンボジアってのは8世紀ほど前までこのあたりの中心で、巨大な文明を築いていたわけだ。世界最大の宗教施設といわれるアンコールワットまで作ってな。その王朝がぐずぐずになって、後はずっとベトナムやらタイやらにやられっぱなしだ。アンコールワットはベトナム人の奴隷まで使って建てたんだろ?そういった祖先をもっていることに、カンボジアの国民は今でも強烈なプライドを持っているんだよ。今の日本とは大違いだ。

魔女狩りに明け暮れる日本のメディア
ー日本の近況についてはどうやって情報収集を?
後藤 知り合いが日本から訪ねてくるし、日本人の若い子たちとも話してる。バックパッカーっていうのか?旅をしてる若い子たちを一度家に泊めて飯を食わせて小遣いをやったら、それが噂になってな。「後藤さんのところに行くと、ただで泊まれて小遣いまで」って噂になった(笑)。上智や早稲田といった立派な大学を出た連中も来るが、話しを聞くと、国も職場もとにかく息苦しいそうだ。
 俺は毎日、NHKのニュースや新聞、週刊誌にも目を通してるんだが、週刊誌はもうどうしようもないな。人の悪口、アラ探しばっかりでまともな記事なんてない。みのもんたの息子が警察の世話になったからって、なんで親父が番組まで降りなきゃならん?高いところからモノを言ってるあいつのことは、俺もすきじゃないが、それとこれとは別だ。こいつは悪い奴、こいつはいい奴と魔女狩りごっこをやってるだけじゃないか。今の日本の縮図だ。
 今年、NHKを毎日見ていて鼻についたのが熱中症のニュースだな。俺たちが子どもの頃も夏は暑かったよ。でも熱中症なんて言葉はなかった。暑けりゃ水を飲んだり日陰に入ったりして、自分で調節したもんだ。それが毎日毎日、ニュースのトップで今日は何人倒れただのと大騒ぎしてる。「水分を十分補給してください」なんて毎回毎回言うことか?こっちは1年中暑いんだよ(笑)。でも誰も熱中症で倒れやせんぞ。
 カンボジアって国は、そりゃ遅れてるかもしれんよ。交通法規だってないようなもんだ。自動車やバイクを運転している者で免許を持っているのは1割くらいだろ。プノンペンではすごい渋滞が起こるから、我先に道を抜けようと対向車線に入ってくる。警察はそんなもの、取り締まらないよ。でも国民は法律で守られなくても、自分の能力で自分を守ろうとするんだよ。
 車の調子が悪くなっても、正規の部品なんてすぐ手に入らないだろ。だから、町工場のオヤジが、スパナ一本で大概の故障は治しちゃうんだよ。昔の日本の町工場みたいなもんだ。

暴排ブームの先には国民の魔女狩りが
ー引退から5年、日本では暴排条例が定着して、締め付けが厳しくなってます。
後藤 日本の国家からみれば、引退して5年が経過しようが俺は「ヤクザ」なんだ。俺自身はそれでもよろしいと思っているが、俺と一緒にやめた若い衆は、カタギになってもいまだに同じ扱いを受けている。実際にあった話だが、現役時代に銀行口座を作ったというんで、すでに辞めているのに詐欺で捕まってるんだ。
 こうなると、詐欺罪の時効は7年だから、カタギになっても7年間ヒヤヒヤしてなきゃならん。ヤクザの時代に偽名でゴルフをやっていたのが、今になってこれも詐欺でパクられてる。
 随分住みづらい国になったもんだな。せっかくカタギになったんなら、そいつが社会人1年生としてスタートするきっかけを考えてやるのだ、そもそも政治ってもんじゃないか。
 自民党の安部首相は、増税を乗り越えれば、次は憲法改正に進むだろう。憲法9条改正、俺も大賛成だ。しかしだよ、憲法21条改正ってのはどうなんだ。自民党の憲法改正草案の解説を読むと「交易や公の秩序を害する活動に対しては、表現の自由や結社の自由を認めない」とある。この「結社」にはヤクザも当てはまるな。これが認められた場合、ヤクザは地下に潜るしかない。辞めたってパクられるんだから、ほかに道はないだろ。
 マスコミや野党もうかうかとはしてられないぞ。権力批判のあり方によっては、反社会的と烙印を押されて、活動の制約を受けることになるんじゃないか。「反社会的」ってあまりにも曖昧な言葉だな。最近流行りのコンプライアンス(法令遵守)という言葉もそうだ。法令遵守なんて当たり前の話じゃないか。それをわざわざ持ち出して、みずほの融資の件じゃ頭取が国会で参考人招致までされてな。ヤクザが自動車ローンを組んでただけだろ?不正融資でもなんでもない。それと特定秘密保護法案の「秘密」ってなんなんだ?
 曖昧な言葉で正義と悪を仕分けする風潮はやがてエスカレートして、一般人が「反社会的」と烙印を押される日も来るんじゃないか。これじゃあ、まるで国民を粛清しまくったスターリン時代のソ連だ。
 義理と人情とおおらかさ・・・・これが日本のいいところだったんだがな。ますます息苦しい国になるな。

ーもう日本には帰りませんか?
後藤 俺の心は「さらば日本、されどアイ・ラブ・日本」だが、フン・セン首相や国会議長のヘン・サムリンたち政権トップとの交流も進んでるんだよ。もっといろんな事業に取り組みたいし、日本との架け橋にもなればいい。物事を動かすためには政治との関わりは不可欠なんだ。カンボジアという国家は、俺の存在を認めているわけだから、しばらくはここで頑張り続けることになるだろうな。

http://ozcircle.net/_uploader/163560517
http://ozcircle.net/_uploader/163570008  

山口組系後藤組元組長『憚りながら』の後藤忠政氏は カンボジア人となって来賓席に座っていた!
カンボジア武道祭
後藤氏が姿を見せた武道祭の開催を知らせるチラシ
(後援・日本カンボジア親善協会)

 カンボジア国防省と日本の空手道宗家家元会議が主催する「カンボジア&日本親善文化交流空手道武道祭が、9月22日、カンボジアのプノンペンスタジアムで開催された。

 空手は、カンボジアでも普及を始めており、空手流派のなかでも和道流、松濤館などはプノンペン道場を持ち、生徒を抱えており、生徒のなかには軍人も少なくない。そこで、両派の他、剛柔流、糸東流、フルコンタクトなどの家元、館長、幹部などが役員となって、空手道武道祭を行った。

 演武、交流試合、日本代表による記念演武と、親善大会はつつがなく進行して終わったが、関係者の注目を集めたのは、来賓席に元山口組系後藤組組長の後藤忠政氏が元気な姿を見せていたことだ。

2年半ほど前に日本を出てカンボジアで爵位を受けたとの噂
 2年半近く前、突如、日本を出国。「カンボジアで国籍を取得。事業を手がけ、爵位も受けている」という情報は流れていたものの、その姿が"公"に確認されたのは初めてといっていい。

 後藤氏は、バブル時代、「東京に進出した山口組の経済ヤクザ」としてその名を知られていたが、08年10月、6代目山口組の除籍処分を受け入れて引退。

 09年4月、神奈川県の浄発願寺で得度、「忠叡」と名乗るようになった。

 "表"に姿を現すようになったのは、10年5月、『憚りながら』(宝島社)というタイトルで回想録を出版してからである。

 同時に、私費を投じ、総合プロデューサーとなった映画『BOX 袴田事件―命とは』も、同年5月末から全国公開された。

 袴田事件は、今から47年前、静岡県清水市で起きた一家4人殺人事件である。

 逮捕、起訴されたのは元プロボクサーの袴田巌死刑囚(当時30歳)。袴田氏は、取り調べ段階での自白を覆し、公判では無実を訴えるが、80年に最高裁で死刑判決が確定。弁護側が再審請求の手続きを進めている。

 後藤組が本部を置いていたのは、静岡県富士宮市。そんな地理的な親近感もあってこの事件に興味を持ち、冤罪を確信、映画にして訴えることを決めたのだという。

表舞台に出ない間も多方面で活躍していた
「回想録」も含め、後藤氏は社会復帰への道を踏み出した。 山口組の"掟"によって、それまで表に出られなかったが、政治家にもパイプを持ち、創価学会とは因縁浅からぬ仲で、新右翼の野村秋介氏(93年に朝日新聞社で自決)と親交を結ぶなど、多方面で活躍しており、知る人ぞ知る存在だった。

 それだけに、『憚りながら』は20万部を超えるベストセラーとなり、取材も受けるようになったことから、私は『サンデー毎日』(10年6月6日号)で、「『最強武闘派』後藤忠政初激白『ヤクザと政財界の闇』」と題してインタビューを掲載した。

 ところが、それから半年も経たないうちに、後藤氏は"忽然"と姿を消した。

 さまざまに風評は流れたものの、最も説得力のある"推測"は、「真珠宮ビル事件が片付いておらず、まだ執行猶予中の身でもあり、執行猶予が解けるまで海外で過ごすのではないか」(後藤氏の知人)というものだった。

 後藤氏は、東京・渋谷のビル所有権を不正に登記した罪に問われ、懲役2年執行猶予4年の有罪判決を受けている。これが真珠宮ビル事件であるが、真珠宮ビルの地上げや所有権移転に絡む事件は他にもあり、捜査継続中の案件もある。

 それを避けての海外移住ということだが、本人は昨年末までにカンボジア国籍を取得、移住前から、フンセン政権とのパイプを誇るところから、今は、移住ではなく定住を決めているという。

カンボジアで与えられた称号は"アジャ"
「養鶏業など事業を始めており、順調のようです。政権人脈によって『アジャ』という称号ももらった。日本なら戦前の「伯爵」といったところでしょうか。

プライドが高い人なんで、"逃げた"と思われるのがつらい。だから、空手道大会があるというのでそれを支援、来賓の席に座った。武道祭実行委員会のなかには、日本の友人知人もいたことから旧交を温めたでしょう」(カンボジア事情通)

日本の後援組織は村上正邦元参院議員を会長とする日本カンボジア親善協会だが、空手の会派をまとめたのは朝堂院大覚氏。後藤氏は朝堂院氏との友好関係のなか、武道祭を支援した。

『サンデー毎日』のインタビューの最後に、後藤氏は「あと、何年、生きられるかわからないが、第二の人生を『元ヤクザ』ではなく、『後藤忠叡』として送れれば、それで十分だ」と、語っている。

 71歳となった今、カンボジア人となった後藤氏は「アジャ忠叡」と名乗っている。その名で、第二の人生を送る覚悟なのだろう。
伊藤 博敏・現代ビジネス2013.9.26
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37087 


独占撮影&インタビュー!カンボジア人になっていた後藤忠政元組長【前編】
プノンペンスタジアムに入場する後藤忠政
衛兵に迎えられカンボジア国王軍の施設「プノンペン・スタジアム」に入場する後藤元組長

 2008年に山口組を引退して得度。大ベストセラー『憚りながら』を上梓した翌年、忽然と日本から姿を消した元大物組長が、アジア最貧国のカンボジアで第二の人生を送る心境、そして去る9月22日に彼の地で空手の5大流派を集めて異例の武道祭を開いた真意を『月刊宝島』(12月号)誌上で明かした。

▼空手界の五大流派がカンボジアに集結
 「捧げ銃(つつ)」の衛兵に迎えられながら、軍楽隊の演奏に乗って赤い絨毯の上をさっそうと歩く1人の男性。隣には、かつて"参院のドン"と呼ばれた村上正邦元自民党議員、その後ろにはカンボジア国王軍の将官たちの姿が続く――。

 去る9月22日、2年半前に忽然と日本から姿を消した元後藤組組長・後藤忠政(得度名:忠叡)氏が、カンボジア国内の軍関連施設「プノンペン・スタジアム」で開かれた「親善文化交流空手道武道祭」に姿を現わした。写真はVIP待遇の来賓としてスタジアムに入る後藤氏を撮影したものだ。

 主催者はカンボジア王国国防省と空手道宗家家元会議。後援は日系投資会社「ソクドム・インベストメント・グループ」と「日本カンボジア親善協会」。この協会の会長を務めるのは、村上元自民党議員。初代防衛大臣の久間章生元自民党議員らも理事に名を連ねる。大会名誉顧問には、カンボジア国防省の現役国務長官の名前もある。そしてこの武道祭の開催を影で全面的に支援したのが、前述の投資会社「ソクドム」の会長も務める後藤忠政氏なのだ。

 後藤氏は、山口組屈指の武闘派として知られた後藤組の元組長。2008年10月、山口組内部で生じた軋轢から引退(後藤組も解散)し、翌年4月には神奈川県の浄発願寺で得度した。

 引退し、第二の人生を歩み始めていた後藤氏だが、なぜ日本から姿を消したのか、なぜ空手のイベントをカンボジアで支援することになったのか。独占取材で話を聞くことができた。

▼カンボジアで市民権を取得していた元組長
――震災直後から2年半の間、ずっとカンボジアに?
後藤: そう。一度も日本には帰ってない。それで去年の5月には、カンボジアの市民権を取ったんだ。

――カンボジアを定住先に選んだのはなぜですか?
後藤: 2年半前、東北大震災の直後に、福島県内に救援物資を送ったり、被災者の人たちを元気づけるために演歌歌手を連れていったりと、支援活動をさせてもらった。しかし世界がこの震災に大きく注目するようになって、国も動き始めた。もう我々がこれ以上、手助けする必要もないと思い、東南アジアの最貧国といわれるカンボジアの中で、もう一度自分を見つめ直してみようと考えたんだ。

――カンボジアとは、そもそもどんな縁が?
後藤: 現役時代からタイやミャンマー、フィリピン、そしてカンボジアにはよく来てたんだよ。特にカンボジアでは、軍や与党・人民党の上層部とも親しくしてきた。フン・セン首相とも、今では話ができる仲だ。

それから、これは『憚りながら』(小社刊)でも書いたことだけれど、俺自身が子どもの頃、家が没落して、納豆売りをやりながら小学校のノートを買ったりするような生活をしていたから、東南アジアの貧しい子どもたちを見ると、非常に懐かしく思えるんだな。

――プノンペン市内を回ると、まるで昭和にタイムスリップしたような活気です。
後藤: 昭和は昭和でも、日本が高度経済成長を迎える前、昭和27~28年くらいじゃないか。

 この国の人たちはもの凄い勢いで、将来に向かって生きてるんだよ。日本じゃ、そんな人間、いなくなっただろ? 今食えればいい、今何とかなりゃいい、と。ほかのことは全部国任せだ。

平成になって、そのまま20年が過ぎちゃったから、なんとなくだらけて、迫力のない国になっちまったな。

――2年半の間、カンボジアで何を?
後藤: 08年にヤクザを辞めて、社会人1年生になってから、ずっと考えてきたんだ。その延長で、少しでもカンボジアの教育や食料問題、つまり農業の問題に貢献できれば、という気持になってな。

▼カンボジア国王から爵位を授かる
 後藤氏はこの2年半の間、首都プノンペン市内にある「ソクドム・エデュケーション・スクール」を支援し、学生が無料で受講できる日本語教室を開設、またプノンペンから離れたコンポンスプール州に500ヘクタール、コンポット州に6ヘクタールもの膨大な土地をそれぞれ買い、養鶏場とトウモロコシ農園を運営するようになった。

 さらに、内戦時代の負の遺産「対人地雷」の被害者をサポートする軍関係の施設、病院、孤児院、赤十字などに累計1億円に上る物品等を寄付してきた。こうした貢献が評価され、後藤氏は今年2月13、カンボジアの爵位にあたる「オギャ(Oknha)」という称号を国王から直々に授与され、カンボジア国内では破格のVIP待遇を受けている。28年間首相の座にあるフン・センの人民党党員でもある。

▼なぜカンボジアで空手のイベントを?
―――空手の武道祭ですが、なぜカンボジアで?
後藤: 空手家の真樹日佐夫さん(漫画原作者・梶原一騎の実弟)が、カンボジアで子どもの間に空手を広めようとしていたんだが、去年の1月に亡くなったんだ。それで真樹さんの弟子筋の人間が遺志を継ぎたいというので、日本語学校の生徒に教えてもらうようになったのがきっかけだ。

 なんでも、カンボジアの軍でも空手を教えているそうじゃないか。それで軍の上層部にも話をして、日本とカンボジアの親善を目的に大会を開こうという話になった。日本の名だたる流派を集めて、日本の空手家の凄みを知ってもらいたいとも思ってな。各流派に声をかけたのは朝堂院大覚(世界空手道連盟総裁)だ。

 ただ、ちゃんとした民間の架け橋がまだないそうだから、村上先生や久間先生が日本カンボジア親善協会を設立していたので協力してもらうことになったんだ。

 武道祭の模様は後日、地元のメディアでも報道された。地元のテレビ局「バイオンTV」(フン・セン首相の娘フン・マナ女史が経営)、「国営TV5」も30分番組として放送している。

 後藤氏は現役時代、日本の政財界に広く人脈を持つことで知られていた。海を超えた異郷の地でも、同じように人脈形成していたとは驚くばかりだ。
(インタビューの後編は11月25日発売の「月刊宝島」1月号に掲載)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131025-00010000-takaraj-peo&p=1 

別冊宝島2013年1月号『タブー総決算』より
別冊宝島後藤忠政6061
p60・61
別冊宝島後藤忠政6263
p62・63
別冊宝島後藤忠政64
p64

http://ozcircle.net/_uploader/161680216 
http://ozcircle.net/_uploader/161690810 
http://ozcircle.net/_uploader/161700903  

続き
後藤忠政氏「日本はとことん息苦しい国になったな」 

ミトラmemo 朝鮮総連に署名を届ける、だと? 続き

ミトラさんのコメント
23. ミトラ 2013年10月01日 18:22
徐裕行が所属していたボランティア団体について。

組織名は「G-RISE日本」
リーダーは夏井辰徳、野村秋介の門下生だと紹介しています。
副リーダーは徐裕行
(野村秋介のパトロンは後藤忠正。2人がどれほど密接であったかは関連書籍や「代議士刺傷事件」で調べるとわかると思います。)
G—RISE日本の本部は静岡県富士宮市猪之頭。
後藤組本部も同じく静岡県富士宮市です。
ここで注目してほしいのがオウム真理教の本部。
麻原が拠点を置いていたのは上九一色村、富士宮市の隣町です。
更にオウムは富士宮市内にも第4サティアンや「富士山本部道場」を建設しています。後藤組は山口組系暴力団です。麻原は教団設立前に故郷の山口組に身を寄せていました。(高山文彦著「麻原彰晃の誕生」より出典。)本当に徐裕行は義憤に駆られて村井を殺したのでしょうか。徐の背景を調べると、不自然な接点が浮き彫りになってきました。

22目次
http://www.fujisan.co.jp/product/1224061/b/623248/#conetnts_area
月刊日本2011年04月22日発売号の目次
『被災地救援ルポ北北東に針路をとれ!いち早く被災地に乗り込んだ「G-RISE日本憚りながら支援者後援」』
(ちなみに画キャプにはないが目次末尾に
池口恵観 震災復興に求められる後藤新平の気概と胆力(池口恵観の日本救国論 第11回) なんてものがあったり...)
G-RISE日本憚りながら支援者後援
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2011/04/post-219c.html

憚(はばか)りながら
後藤 忠政
宝島社
2010-05-15

p271~273
オウム真理教と後藤組

「組織犯罪処罰法」は、宗教団体や政治団体などに擬装した団体や、暴力団やテロ組織など「反社会的集団」による組織的な犯罪に対する刑罰の加重と、犯罪収益のマネーロンダリング(資金洗浄)行為の処罰、犯罪収益の没収・追徴などを定めた法律。1995(平成7)年の地下鉄サリン事件をきっかけに制定された。適用範囲は広く、2人以上は「組織」と見なし、その罰則は、単独で犯行を行う者よりも厳しい内容となっている。

 実際にサツが、後藤組とオウムの間に、何か関係があるんじゃないかと見ていた時期もあったんだ。というのも、あいつら(オウム)は俺の地元(富士宮)にも進出してきたからね(それまで「オウム神仙の会」と名乗っていた教祖の麻原影晃=本名・松本智津夫死刑囚は87年、富士宮市内に「富士宮総合本部道場」を開設。以降、「オウム真理教」と改称した)。

 富士宮に進出してきた当初は、あいつら(オウム)も土地がいるんで、俺の知り合いの不動産業者の所に来たらしいわ。「農地を売って欲しい」とか言って。オウムとの「関係」といったって、その程度のことだ。不動産屋も、(オウム信者が)変な格好してるし、おかしな奴らだと思ってたようだが、宗教団体ってのは、だいたい土地を相場よりも高く買うんだな。広くてまとまった土地が欲しいし、そもそも「迷惑施設」といって、嫌われることが多いそうだ。だから農地でも宅地並みの値段で買ってくれるもんで、不動産屋にとってはいい客になるんだな。

 しかし、俺もあいつらが、あそこ(地下鉄サリン事件)までやるとは思わなかったよ。確かに、ウチの事務所よりも高い塀を作ってみたり(笑)、街の中を妙な格好して歩いたりしてたから、不思議な団体だな・・・・とは思っていたよ。そのうちに工場かなんか作り始めて、中でタイヤ何かをボンボン燃やして、地元じゃ「人を殺してやいてるんじゃねえか」っていう噂が立っていた。それがホントに殺してたとはなぁ・・・・。そんな奴らと「関係がある」って噂されたもんで、もう勘弁してくださいよって話だよ(笑)。

 坂本弁護士の一家が殺された事件でも、テレビで、あの「河上」(和雄・元検察官。現在は弁護士で、日本テレビ客員解説員などを務めている)とかいうヤメ検が、「あんな事件は素人ができるもんじゃない。ヤクザじゃないとできない。神奈川県警じゃ、後藤組の犯行と見ている」とか、堂々と言うんだもの。テレビのコメンテーターとかいう連中はホント、いい加減なこと言うよな。けど後から聞いたら、神奈川県警じゃホントに、ウチの関係者が関わってるんじゃないかって見てたオマワリも多かったそうだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

オウム真理教と後藤組の関係が疑われても仕方ないという状況はあったようだ

G-RISE日本本部
http://grisenihon.exblog.jp/15314457/ 
G-RISE日本 【本部】静岡県富士宮市猪之頭〇〇〇〇 

G-RISEインタビュー夏井・徐
【youtube】 福島県庁災害対策本部前で取材を受ける「G-RISE日本」夏井代表ー②

震災直後にヤクザが復興支援という報道がいくつかあり、「任侠」として持ち上げられていたが
その裏には何があるのだろう

瓦礫撤去、産廃処理から義援金詐欺、人身売買まで──ヤクザも訝しがる復興事業 
復興利権
貧困ビジネス
売春etc

まあこのあたりは想像がつくことだが

DARKNESSさん
『被災者の戸籍が大量に乗っ取られる危険な事態になっている』
http://www.bllackz.com/2013/09/blog-post_21.html
(こちらのサイトにはグロ画像もあるので苦手な方は閲覧注意)

「死んだはずの人間」が、よその県で次々と他市町に転入届が出されている。
最も危険なのは住民基本台帳が失われた宮城県南三陸町だが、東日本大震災で被害に死者を出した県はすべてが「要注意区域」となって、現在、警察と公安の監視下に置かれている。
何が起きているのか明白だ。誰かが「戸籍乗っ取り」をして「なりすまし」を行おうとしているのである。

「背乗り」か.....
(参考→薄気味悪い前原誠司

まあ憶測なんですが....

追記2013.11.20
カラパイアさんから
『外国人が調べ上げた日本のヤクザ10の事実』2013.11.4
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52144687.html
ヤクザの救援活動
8.やくざの救援活動
 2011年、東日本大震災が起こったとき、やくざはいち早く被災地に駆けつけた。1995年の阪神大震災のときもそうだった。やくざはスクーターやボートやヘリを使って、交通が寸断された神戸の町に支援物資を届けたのだ。こうした行為を、皮肉をこめて単なるピーアールだという人もいれば、やくざは法に縛られないから、必要なときにすぐに役に立つし、行政からの支援を受けられずに苦しんでいる人たちに自分たちの姿を重ねて同情的なのだと言う人もいる。警察がこうした慈善精神を見せるやくざを摘発するための協力を得るのは確かになかなか難しい。

 しかし、やくざにとって、大災害は金のなる木だ。2011年の大震災から数か月後、やくざは政府の復興工事受注入札にどんどん参入していた。甚大な被害で工事業者の数が足りないせいもあり、特にやくざは健全なビジネスと見分けのつかない窓口会社を経営しているため、警察もやくざを締め出すのは事実上不可能になっていた。逮捕されたあるやくざは、工事契約資金の上前をはねて、労働者を低賃金で使って利益をあげていた。やはりという感じだろう。 

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