1970年代にサッカーのオランダ代表選手として活躍したヨハン・クライフさんが24日、スペイン・バルセロナで肺がんのために亡くなった。68歳だった。クライフさんの公式ホームページで同日、発表された。

 クライフさんはオランダ1部アヤックスやオランダ代表で活躍し、74年ワールドカップ(W杯)では中心選手としてチームを準優勝に導いた。ジャンピングボレーシュートなど華麗なプレーから「フライングダッチマン(空飛ぶオランダ人)」との愛称がつく人気選手だった。

 当時のオランダ代表のサッカーは「トータルフットボール」と呼ばれ、ポジションにとらわれず流動的に動いた。クライフさんはその中心選手として、全員攻撃・全員守備という現在のサッカーの原型を作った。欧州最優秀選手バロンドールも3度、受賞している。

 監督としても現役時代にプレーしたアヤックスやスペイン1部バルセロナを指揮。92年には、バルセロナを欧州チャンピオンズカップ(現欧州チャンピオンズリーグ)の初優勝に導いた。育成年代からパスを回して試合を支配する攻撃的な「美しい」サッカーをバルセロナに根付かせ、現在のバルセロナのスタイルの基礎を作った。(ロンドン=河野正樹)