ぼくは上に兄が二人いる、男三人兄弟の末っ子なのです。
っで、家に女性と言えば母ちゃんとばあちゃんくらいしかいないわけですよ。
そりゃ家族でもありますし年も離れまくってるので、何ていうんですか。。。その異性にはやっぱり見れないわけですよね。
特にばあちゃんなんて、家で平気で素っ裸でいますからね。
ぼくが珍しく家に友達を連れてきた時も、マッパで出てきて友達に軽く「オス!」と挨拶交わすようなばあちゃんでしたからね。
女性どころか家でゴリラを飼ってるようなモノだったんですよ。本当に。
そんな環境ですから、小さい頃からぼくにとって女性というモノは異次元の遠い存在だったワケです。
とはいっても、「学校に行けば同級生の女子なんてたくさんいるじゃん!」とみなさんおおもいでしょう。
それがね。。。。
ぼくは石川県のド田舎の生まれなんですよ。一面が山々に囲まれてるとかではないんですけど、人口が300人ほどしかいない「村」のような地域なのです。
ぼくが小学校1年の時は同級生が男女合わせて9人でしたからね。
9人ですよ!!!
サッカーやろうとしても1チームしか作れないので対戦できないわけですよ。
架空の相手とシャドーサッカーするしかないわけです。
バスケットで対戦やるにも一人足りないので担任の先生が加わってやっとできるレベルです。
そんな人数の少ないクラスだったので同級生に女性というのを正直、感じなかったんですよね。
年上の先輩には憧れがありましたね。Aさんっていう転校生の先輩とかミステリアスでカワイかったなー。あとMさんとか、M代さんという先輩も健康的な感じでとてもキレイでした。
しかし、やっぱり小学生とはいえ先輩なのでお近づきになれるワケもなく。。。このぼくの女性という欲望の矛先はテレビしかなかったんですよ。
ぼくは小学校の時は今は亡きZARDさんの大ファンでありまして、初めて買ったCDもZARDさんの「心を開いて」だったんですよ。
これがもう甘酸っぱい恋の歌でして、「ビルの隙間に二人座って、道行く人をただ眺めていた」のフレーズなんてサイコーなんですよ。
ぼくの住んでた所はド田舎ですから都会と違って、周りは田んぼと畑しかないし、道行く人も初老以上の腰の曲がったじいちゃん、ばあちゃんしか歩いてないんですけど、このデートの感じを自宅近くの神社で何回妄想したか分かりません。
そりゃーもう坂井泉水さんと運命のルーレットを廻しまくりましたよホントに。
そんなZARDブームの小学校高学年のぼくにとうとう高知の黒船が現れるんです。
そう、アノ広末涼子さんであります。
もうテレビで初めて観た瞬間にヤバいとおもったんですよ。
ほら、小学校の時の男子って綾波レイさんとかのイメージが強いのかショートカットのボーイッシュな女性に「カワイイっ」てなるじゃないですか。キュン死したくなるじゃないですか。
広末さんなんてまさにそれの筆頭ですよね。マジで恋するのに5秒かからなかったですよ。0.2秒で瞬殺されました。
小学生でお金も無いのに頑張って親にせびってアルバム買いました。
アルバムを買って広末さんに貢ぎたい気持ちで一杯でした。
そして、アルバムについてる写真集(歌詞カード)をずっとニヤニヤしながら眺めてるのがぼくの幸せでした。
そんな感じで、女性をずっと遠い異次元の、言わばお菓子の華であるシュークリームのようにシュープリームな扱いを思春期にしていたので、もう女性に対する崇拝度がぼくはハンパないんですよね。
現在29歳になるんですが、女性とそれなりにお付き合いもしてきましたし、女性という生物を見させてもらいました。が、それでも女性に対する憧れの気持ちは揺らいでおりません。
何ていうか、自分で言うのも恥ずかしいんですけど、今までお付き合いした女性たちのこと全員好きですしね。恋愛感情とは違いますが、好きなんです。
事実、この前元カノとたまたま電話した時に「困ったらいつでもぼくに声かけて来い!」とついついカッコつけたことを言ってしまいました。
これも女性を崇拝しまくってるからな気がします。
こんな女性を崇拝する自分になったのは男兄弟で生まれ、ゴリラみたいなばあちゃんと一緒に住んでたことが全ての原因です。
ぼくはこの呪いに一生苛まれながら生きていくのですよ。
でも、、、やっぱり女性って素晴らしいですよね。
わっしょい!