自分の中で、まだいろいろとうごめいてるのと、整理したいのとで、コメントやリプライは気が向いたら返します。
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相変わらず、病んでる。
一方で、病んでる原因も、一応は「他人の基準に、自分の性格・反応とかその他諸々を無視して、それに合わせようとしてる」ということは、頭ではわかってる。
ただ・・・今の”絶望レベル”というか、状態的には「中学~高校までの自分」の感覚に戻ってしまったような気がしてる。
その当時は、普段の生活でも、普通におもしろいことがあれば笑うこともあった。
・・・でも、毎日、どこかしらで”引きつっていた”。
家では親が厳しい。(&中学3年~高校1年くらいまでは、父親が1回”再婚してた人”がいたんだけど、その人メンタル病んでて、その影響も受けていた。”性”に関してトラウマが出来たのも、その頃の話。)
学校では、同学年・後輩問わず、からかわれたり、ちょっかいかけられたり、軽く見られて見下されたり。(先生とは仲良い方だったかもしれないけど。高校時代は放送部で、先生からの直接の依頼も多かったし。ただ・・・中学の先生からは、友達にかけられたちょっかい(自分のジャージに、勝手に禁止されていた”香水”をかけられて、自分が香水を持ってきてるというのを、”冤罪”的に疑われた。臭いが証拠みたいな感じで扱われてしまった。)が原因で、その時はいろいろと殺意を覚える程に絶望したこともあったけど。)
(一応、仲良い友達もいたと言えばいたけど、どちらかと言えば、”いじめられる側”の部類に入ってしまうような人と一緒になることが多かった。)
唯一の”逃げ場”が、塾に行って、自分が勉強していて、いい成績を残すということでしか無かった。(でも、高校2年あたりの時、メンタルの病み方もひどくなって、成績を残すということも叶わなくなってきてしまった、と言うのはある・・・。)
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「中学~高校」の間は・・・”お金”についてはあまり直接的に悩むことは無かったと思う。
(ただ、”親から見捨てられたら死ぬ・自分が終わる”と言うのは、常に強くあった。)
直接的に”お金”がたくさんあるだけじゃ、解決出来ない問題だったと思う・・・もしかすると、今の自分も、ここに戻ってきたということは、「お金で解決出来ない」と言うのは、当時と同じかもしれない。
あまりにも病みすぎて、「大学入ったら、一人暮らしして、どこかカウンセリングを受けに行く。自分の人生を整理したい。そう出来なかったら死んでしまいたい」というのは、高校時代は特に、常にそう思うことも多かった。
そのため、当時から「カウンセリング」や「セラピー」関係のブログやサイトなどを、時間ある限り、家で一人で居られる時間に、ひたすら読み漁るということも多かった。
高校生の時辺りから、休みの日には一人で札幌行く、ということをやり始めて・・・その時も本屋に向かった時は、「心理学」関係の本のコーナーに、真っ先に足が向いていたと思う。(駅近くの専門書があるデカイ本屋で。)
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大学は、国公立で、前期試験に北大法学部を受けて・・・・落ちた。
(法学部受けた理由は、お決まりの「親が勧めたから」)
後期試験・小樽商大(学部1つ。学科は2年に進級するときに決定)・・・センターの成績のみで合否が決まる。
幸い、センターの成績は悪くは無かったので、無事にここで合格。
一人暮らしするというのも、この段階で叶った。
(ただ・・・奨学金を借りることになったため、就職先が決まらなかったら→返済できない→ホームレスになるor絶対死ぬ、という「未来に対して、悪い妄想をしてしまうクセ」と言うのは、大学~社会人になっても、ある時期までは変わることは無かったけど。)
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念願の「カウンセリング」も、大学生の頃から受けに行くことが出来た。
(ただ、最初に大学のカウンセリングルームに行ったところ、担当が”オッサン”で、当時から”オッサン恐怖症(←父親とかぶるので)”を発症してた自分は、一度行ったきり、二度と行かなかったんだけど。)
最初に受けに行って、何度もお世話になったのが、いきなりだけど「スピリチュアルカウンセリング」だった。(おそらく、今はその人は活動してないという状態だと思うけど。ちなみに札幌の人。)
言い方悪くすると、「自分の人生の中に”死人”が出てた」からというのもある。(小6の時に母親を亡くしてって、もう聞き飽きてる話だと思うが。)
それだけ「目に見えない世界」からのアプローチも欲しかったんだと思う。
間違いなく1つ言えるのが、”子宮系”の話とかよりも、「スピリチュアル」「カウンセリング」「セラピー」の話の方が、”先にその世界に入った”ということが出来る。
(印象としては、”子宮系”の方が、すっかりイメージ的にはデカイのかもしれないが。)
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ここまで書いてきて、最初に書こうと思ってた話からズレてきてるけど・・・まあいいや。
「母親」に関連した話も、その当時から取り組み続けてきて・・・ついこの間までかかって、ケアしようとして、でも今、また”スタート地点に戻ってる”という感じである。
実は、これ以外でも、いろんなことが”スタート地点(中学~高校時代の、特に病んでた頃の自分)”に戻ってきてしまってる、という状況である。
でも、今までと確実に違ってる部分も1つある・・・。それなりに、過ごして、いろいろと模索してきた分の”時間”に対する”経験値”があるという点だ。
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たとえば、「自分で自分を受け入れる」という話ですら、当時の自分には考えられない発想であったと思う。
そして、今、こうやって自分の想いや考えを”表現する・外に出す”手段がある。
たとえ弱いつながりだったとしても、一応は「SNSで繋がってる”友達”」というのもいたりする。
コメントやリプライでアドバイスなんかをくれる人もいる。(申し訳ないことに、ほとんどその通りに出来てないかもしれないが。)
あまり金額は多くは無いが、自分で自由に使えるお金は一応ある。
フラッと札幌のカフェに入って、「文章を書く」という作業に専念出来るだけのお金はある。
会社を辞めるということで「社会的なレールを外れる」という選択をした結果、自分のことを見つめ直しながら、文章を書いていく、という時間も、たくさんあったりする。
・・・おそらく、この点を考えれば、当時の自分からすれば、喉から手が出そうになるくらい、欲しかった状況だと思うし、ある意味で「恵まれてる」ということも出来るのでは無いか。
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「お金」に関しては・・・社会人になって、会社に勤めだして、自分で収入を得るようになってからも、正直常に不安を抱え続けるということが続いた。
「奨学金の返済」というのがあったからだ。
自分で稼いで返済、稼いで返済・・・というのを繰り返して。
「もし働けなくなったら?」「もし自分が倒れてしまったら?」→「その時は絶対家賃とかも払えなくなって、ホームレスになってしまう」→「そしたら返済も出来ないから死ぬしかなくなる」ということを考え続けて・・・実はずっと、無理やり「働かなきゃいけない」と、自分を”鼓舞し続けて”働いていた部分もあったかも知れない。
(「見捨てられ不安」というのも強くあった。)
(とは言え、実際会社辞めたとしても、今もこうして、少なくとも「生きてはいる」わけなんだけど。)
(そして、実は親も返済には大きく協力してくれて、今は”完済した”状態になっていて・・・そういう意味では「本来の存在給」と言うのは、こういう部分では大きいのかも知れない。)
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話変わるけど・・・それでも自分は「周りの人に助けてもらった経験」というのが、あまりにも乏しすぎるような気がしてる。
実際には助けてもらえてるのかもしれないが・・・”心”が「まだ足りない」と叫んでる状態というか。
実際、「中学~高校までの自分」にとっては、世界が「学校」「家」「塾」の往復だけとなってしまって、家では、親に怒られてる時も、そばに居てくれる人とか、付き添って、優しく理由を聞いてくれたりする人、間に入ってくれる人なんて、どこにもいなかった。
・・・全く逃げ場なんて無かった。(最近、やっと親もそれを認めてくれた、というのはあるが。)
そして、今になって、”アンチ”や”2ちゃんねるに書く人”の存在が「明確」になってしまった以上、また「猜疑心ばかり」「逃げ場が無い」状態の自分に戻ってきてしまってる。
もうすっかり「いじめられてた時の自分」だ。周りのことも信頼できなくなってきてしまってる。
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それでも・・・「世界は優しい」ということ、「周りの人・世の中の人は信頼出来る」ということを、ちゃんと自分の中で”思い出す”ために、今度こそ、ちゃんと自分が「認識出来る」ようにするために・・・
自分自身の中でちゃんと”証明付けたい”がために、自分も”奉納金””カンパ募集”するというのを、また再開してみるのもアリかも知れないな、と実は今日、先ほどから思い始めている。
集めたお金は、自分が楽しむために使うというのも、もちろんあるのだが・・・
それだけじゃなくて、自分みたいに、過去にたくさん傷ついてきてしまったり、どこか”メンタル”が弱ってしまってて・・・
たとえ「社会的・世間的に期待される”レール”」というのにちゃんと乗ることが出来ない人でも、自分自身を全く責めること無く、幸せに楽しく人生を”サバイブ”するための方法、というのを、自分の方でも真剣に考えてみて、それを発信していくのも良いんじゃないか、と思い始めている。
それを考えるために、取材とか見聞を広げに行ったりとか、そのために「お金」をもらって、そのお金を使うというのもあると思う。
そして、今の自分にとっては「お金=愛情」として、「自分自身がちゃんと”助けてもらえる・助けてもらってもいい人間”なんだ」というのを、何度も書くけど、自分自身でちゃんと認識したいというのが大きい。
(正確に、「カンパ」と言うよりは、発信したいことの目的もあるので、自分としては、一種の「クラウドファンディング」だと認識しております。もちろん、頂いたお金は”売上=課税所得”扱いとして・・・そうして、いくらか税金発生するとしたら、それをちゃんと払うことで、社会的にも何かしらに還元出来る可能性もあると思うし。)
(あと、もちろん、ただ「カンパ」を募集してるだけじゃなく、お仕事として、”パソコンに関する相談””コンサル””カウンセリング”等は、全て「自由料金制」で、通常通り受け付けてます。FBのメッセンジャー・トップページのメアドにてお問い合わせください。)
(”パソコンに関する相談”等以外でも、有料・無料問わず、もし、自分に何かして欲しいことのリクエストがあれば、同じ連絡先から受け付けてます。)
*もし気が向いたら、後で振込先等を書いてみると思います。・・・ただ、自分の場合、「自分を満たす」以外にも、その先に、もし募集するとしたら、こういう思いがある、ということだけは、断じて間違いありません。
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相変わらず、病んでる。
一方で、病んでる原因も、一応は「他人の基準に、自分の性格・反応とかその他諸々を無視して、それに合わせようとしてる」ということは、頭ではわかってる。
ただ・・・今の”絶望レベル”というか、状態的には「中学~高校までの自分」の感覚に戻ってしまったような気がしてる。
その当時は、普段の生活でも、普通におもしろいことがあれば笑うこともあった。
・・・でも、毎日、どこかしらで”引きつっていた”。
家では親が厳しい。(&中学3年~高校1年くらいまでは、父親が1回”再婚してた人”がいたんだけど、その人メンタル病んでて、その影響も受けていた。”性”に関してトラウマが出来たのも、その頃の話。)
学校では、同学年・後輩問わず、からかわれたり、ちょっかいかけられたり、軽く見られて見下されたり。(先生とは仲良い方だったかもしれないけど。高校時代は放送部で、先生からの直接の依頼も多かったし。ただ・・・中学の先生からは、友達にかけられたちょっかい(自分のジャージに、勝手に禁止されていた”香水”をかけられて、自分が香水を持ってきてるというのを、”冤罪”的に疑われた。臭いが証拠みたいな感じで扱われてしまった。)が原因で、その時はいろいろと殺意を覚える程に絶望したこともあったけど。)
(一応、仲良い友達もいたと言えばいたけど、どちらかと言えば、”いじめられる側”の部類に入ってしまうような人と一緒になることが多かった。)
唯一の”逃げ場”が、塾に行って、自分が勉強していて、いい成績を残すということでしか無かった。(でも、高校2年あたりの時、メンタルの病み方もひどくなって、成績を残すということも叶わなくなってきてしまった、と言うのはある・・・。)
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「中学~高校」の間は・・・”お金”についてはあまり直接的に悩むことは無かったと思う。
(ただ、”親から見捨てられたら死ぬ・自分が終わる”と言うのは、常に強くあった。)
直接的に”お金”がたくさんあるだけじゃ、解決出来ない問題だったと思う・・・もしかすると、今の自分も、ここに戻ってきたということは、「お金で解決出来ない」と言うのは、当時と同じかもしれない。
あまりにも病みすぎて、「大学入ったら、一人暮らしして、どこかカウンセリングを受けに行く。自分の人生を整理したい。そう出来なかったら死んでしまいたい」というのは、高校時代は特に、常にそう思うことも多かった。
そのため、当時から「カウンセリング」や「セラピー」関係のブログやサイトなどを、時間ある限り、家で一人で居られる時間に、ひたすら読み漁るということも多かった。
高校生の時辺りから、休みの日には一人で札幌行く、ということをやり始めて・・・その時も本屋に向かった時は、「心理学」関係の本のコーナーに、真っ先に足が向いていたと思う。(駅近くの専門書があるデカイ本屋で。)
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大学は、国公立で、前期試験に北大法学部を受けて・・・・落ちた。
(法学部受けた理由は、お決まりの「親が勧めたから」)
後期試験・小樽商大(学部1つ。学科は2年に進級するときに決定)・・・センターの成績のみで合否が決まる。
幸い、センターの成績は悪くは無かったので、無事にここで合格。
一人暮らしするというのも、この段階で叶った。
(ただ・・・奨学金を借りることになったため、就職先が決まらなかったら→返済できない→ホームレスになるor絶対死ぬ、という「未来に対して、悪い妄想をしてしまうクセ」と言うのは、大学~社会人になっても、ある時期までは変わることは無かったけど。)
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念願の「カウンセリング」も、大学生の頃から受けに行くことが出来た。
(ただ、最初に大学のカウンセリングルームに行ったところ、担当が”オッサン”で、当時から”オッサン恐怖症(←父親とかぶるので)”を発症してた自分は、一度行ったきり、二度と行かなかったんだけど。)
最初に受けに行って、何度もお世話になったのが、いきなりだけど「スピリチュアルカウンセリング」だった。(おそらく、今はその人は活動してないという状態だと思うけど。ちなみに札幌の人。)
言い方悪くすると、「自分の人生の中に”死人”が出てた」からというのもある。(小6の時に母親を亡くしてって、もう聞き飽きてる話だと思うが。)
それだけ「目に見えない世界」からのアプローチも欲しかったんだと思う。
間違いなく1つ言えるのが、”子宮系”の話とかよりも、「スピリチュアル」「カウンセリング」「セラピー」の話の方が、”先にその世界に入った”ということが出来る。
(印象としては、”子宮系”の方が、すっかりイメージ的にはデカイのかもしれないが。)
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ここまで書いてきて、最初に書こうと思ってた話からズレてきてるけど・・・まあいいや。
「母親」に関連した話も、その当時から取り組み続けてきて・・・ついこの間までかかって、ケアしようとして、でも今、また”スタート地点に戻ってる”という感じである。
実は、これ以外でも、いろんなことが”スタート地点(中学~高校時代の、特に病んでた頃の自分)”に戻ってきてしまってる、という状況である。
でも、今までと確実に違ってる部分も1つある・・・。それなりに、過ごして、いろいろと模索してきた分の”時間”に対する”経験値”があるという点だ。
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たとえば、「自分で自分を受け入れる」という話ですら、当時の自分には考えられない発想であったと思う。
そして、今、こうやって自分の想いや考えを”表現する・外に出す”手段がある。
たとえ弱いつながりだったとしても、一応は「SNSで繋がってる”友達”」というのもいたりする。
コメントやリプライでアドバイスなんかをくれる人もいる。(申し訳ないことに、ほとんどその通りに出来てないかもしれないが。)
あまり金額は多くは無いが、自分で自由に使えるお金は一応ある。
フラッと札幌のカフェに入って、「文章を書く」という作業に専念出来るだけのお金はある。
会社を辞めるということで「社会的なレールを外れる」という選択をした結果、自分のことを見つめ直しながら、文章を書いていく、という時間も、たくさんあったりする。
・・・おそらく、この点を考えれば、当時の自分からすれば、喉から手が出そうになるくらい、欲しかった状況だと思うし、ある意味で「恵まれてる」ということも出来るのでは無いか。
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「お金」に関しては・・・社会人になって、会社に勤めだして、自分で収入を得るようになってからも、正直常に不安を抱え続けるということが続いた。
「奨学金の返済」というのがあったからだ。
自分で稼いで返済、稼いで返済・・・というのを繰り返して。
「もし働けなくなったら?」「もし自分が倒れてしまったら?」→「その時は絶対家賃とかも払えなくなって、ホームレスになってしまう」→「そしたら返済も出来ないから死ぬしかなくなる」ということを考え続けて・・・実はずっと、無理やり「働かなきゃいけない」と、自分を”鼓舞し続けて”働いていた部分もあったかも知れない。
(「見捨てられ不安」というのも強くあった。)
(とは言え、実際会社辞めたとしても、今もこうして、少なくとも「生きてはいる」わけなんだけど。)
(そして、実は親も返済には大きく協力してくれて、今は”完済した”状態になっていて・・・そういう意味では「本来の存在給」と言うのは、こういう部分では大きいのかも知れない。)
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話変わるけど・・・それでも自分は「周りの人に助けてもらった経験」というのが、あまりにも乏しすぎるような気がしてる。
実際には助けてもらえてるのかもしれないが・・・”心”が「まだ足りない」と叫んでる状態というか。
実際、「中学~高校までの自分」にとっては、世界が「学校」「家」「塾」の往復だけとなってしまって、家では、親に怒られてる時も、そばに居てくれる人とか、付き添って、優しく理由を聞いてくれたりする人、間に入ってくれる人なんて、どこにもいなかった。
・・・全く逃げ場なんて無かった。(最近、やっと親もそれを認めてくれた、というのはあるが。)
そして、今になって、”アンチ”や”2ちゃんねるに書く人”の存在が「明確」になってしまった以上、また「猜疑心ばかり」「逃げ場が無い」状態の自分に戻ってきてしまってる。
もうすっかり「いじめられてた時の自分」だ。周りのことも信頼できなくなってきてしまってる。
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それでも・・・「世界は優しい」ということ、「周りの人・世の中の人は信頼出来る」ということを、ちゃんと自分の中で”思い出す”ために、今度こそ、ちゃんと自分が「認識出来る」ようにするために・・・
自分自身の中でちゃんと”証明付けたい”がために、自分も”奉納金””カンパ募集”するというのを、また再開してみるのもアリかも知れないな、と実は今日、先ほどから思い始めている。
集めたお金は、自分が楽しむために使うというのも、もちろんあるのだが・・・
それだけじゃなくて、自分みたいに、過去にたくさん傷ついてきてしまったり、どこか”メンタル”が弱ってしまってて・・・
たとえ「社会的・世間的に期待される”レール”」というのにちゃんと乗ることが出来ない人でも、自分自身を全く責めること無く、幸せに楽しく人生を”サバイブ”するための方法、というのを、自分の方でも真剣に考えてみて、それを発信していくのも良いんじゃないか、と思い始めている。
それを考えるために、取材とか見聞を広げに行ったりとか、そのために「お金」をもらって、そのお金を使うというのもあると思う。
そして、今の自分にとっては「お金=愛情」として、「自分自身がちゃんと”助けてもらえる・助けてもらってもいい人間”なんだ」というのを、何度も書くけど、自分自身でちゃんと認識したいというのが大きい。
(正確に、「カンパ」と言うよりは、発信したいことの目的もあるので、自分としては、一種の「クラウドファンディング」だと認識しております。もちろん、頂いたお金は”売上=課税所得”扱いとして・・・そうして、いくらか税金発生するとしたら、それをちゃんと払うことで、社会的にも何かしらに還元出来る可能性もあると思うし。)
(あと、もちろん、ただ「カンパ」を募集してるだけじゃなく、お仕事として、”パソコンに関する相談””コンサル””カウンセリング”等は、全て「自由料金制」で、通常通り受け付けてます。FBのメッセンジャー・トップページのメアドにてお問い合わせください。)
(”パソコンに関する相談”等以外でも、有料・無料問わず、もし、自分に何かして欲しいことのリクエストがあれば、同じ連絡先から受け付けてます。)
*もし気が向いたら、後で振込先等を書いてみると思います。・・・ただ、自分の場合、「自分を満たす」以外にも、その先に、もし募集するとしたら、こういう思いがある、ということだけは、断じて間違いありません。