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2016-03-23

[]『意識と無意識のあいだ』を読んで



 マイケル・コーバリス/鍛原多恵子 訳『意識と無意識のあいだ』(ブルーバックス)を読む。副題が「”ぼんやり”したとき脳で起きていること」というもの。まえがきで著者が書いている。

 私たちの心は日中のほぼ半分はどこかをさまよっているという証拠がある。夜になって寝ているあいだも、夢の世界に入りこんで外界とは違う場所にいる。(中略)このぼんやりした状態は「マインドワンダリング」と呼ばれる。(中略)

 本書では、マインドワンダリングには多くの建設的で適応的な側面があり、たぶん私たちはそれなくしては生きていけないことを示していこう。放心状態にあるとき、私たちは「メンタルタイムトラベル」をしている。時間をさかのぼったり進めたりして、過去の経験から未来の計画を立てるとともに、連続した自己意識を得てもいるのだ。マインドワンダリングによって他者の気持ちになることができ、共感や社会的理解がうながされる。

 まずマインドワンダリングと書かれている言葉だが、本書の原題は「The Wandering Mind」となっているのだ。これだとワンダリングマインドで、訳されたマインドワンダリングとは語順が逆になる。なぜだろう。

 題名の『意識と無意識のあいだ』に惹かれて読み始めたが、期待していた内容とは違っていた。著者は心理学研究者で、おもな研究分野は「認知神経科学と言語の進化」と著者紹介にある。無意識に関する先端的な研究を期待していたのに、むしろ心理学的なアプローチだった。現在、脳科学の研究分野で無意識ないし意識下の研究はそうとう深いところまで進んでいる。心理学的アプローチではそれ以上に意識下に迫ることは難しいのではないかという印象を持った。

 また本書では面白くするためなのか、テーマの周辺のエピソードの紹介が多かった。その結果たしかに面白おかしく読むことができたが、なんだか薄められたスープを飲まされているような印象も受けた。結局実りの多い読書とは言いがたいというのが読後感だった。


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