最近の流行りですよね、”意識高い系”や”意識高い”ということば。
意識高い系”とは、元々はネットスラングで、インターネットで自分の経歴や人脈を過剰演出し、パッと見はスゴい人のように思えるのですが、実際の経歴や活動は大したことない人々のことを指します出典
がいわゆる漠然とした特徴らしいのですが、さらに具体的に、
『意識高い系』というのは数年前からネットスラングになっている言葉で、セルフブランディング、人脈作り、ソー活、自分磨きに前のめりになっている若者たちのことをいいます。
彼らはやたらと自分を大きく見せたがり、SNS上で活動をアピールするという特徴があります。出典
おとといの『月曜から夜更かし』でも取り上げられていたくらい、”意識高い系”というのは流行りの言葉なのでしょうか?!?!
はたしてどうなのでしょうか!まこっちゃんが”意識高い”という言葉を聴くようになったのは、2、3年前くらいな気がします!
地元新潟にいた頃は、そういった言葉を全く耳にしたことがなく、
上京し、その言葉を耳にした私は、なんとも形容できない”違和感”を感じました。
こちらも参考になさってください!
そこで、独自な定義付けです☟(笑)
努力家:自身の夢、目標にむかって地道な労力や時間を費やし、実行している人
意識高い人:”低い”、”普通”、”高い”と相対的に表せられることから、仮に意識低い人がいるとし、その彼ら/彼女らからみた上記の”努力家”として映る人。
言及させて頂きます!!
こちらの記事においても、意識高い系と呼ばれる人たちの特徴が整理されていますっ!
そこで、、
過剰な競争意識、他人への意識がこのワードを生産しているのだなと、つくづくおもわされるわけです。
”比べない生き方”をタイトルにした書籍が出回るのも納得でありますし、むしろ、こういった関連の書籍もまた同時に、潜在的な”比べる意識”を顕在化させてしまったのかもしれませんね笑(ややこしくて、すみません!)
また、絶大なSNSの発達によって、お互いがお互いで、いつでもどこでも、評価し合うことができる環境が、”意識高い系”が生まれたまた違う原因かもしれません。
(とくにSNS上で顕著)自分自身で、自己評価を他者評価よりも高く(いわゆる勘違い)と評価するような行為によって、”意識高い系のレッテル”が貼られることとなる傾向にあると思います。端的に、自己評価と他者評価、それらの合致する点を模索することが、個々人に強制される時代になったのかもしれません。。うむ、窮屈ですね。
正直、こういった記事を書く事自体、残念なことではあります。(T-T)
皆が皆、等身大の自分でやりたいとおもえることを、純粋な動機と気持ちで、できなくなってきているのではないか、”意識高い系”と呼ばれてしまうだろうという恐れのフィルターがかかり行動に制限がかかってしまうのではないかなぁと思います。(TT)
”意識高い系”という言葉の存在が、本来であれば”努力家と呼ばれていたはずの人々がますます減ってきてしまうのではないかなぁとも思いますね。(たかがこんなことで努力をやめてしまう人は努力と呼べないかもしれませんが笑)
他人が他人を蹴落とし、揶揄し合う時代ではなく、
”意識高い系”を意識しなくてもよい時代が来ることを願いますっ!
では!さよーならっ!!
(あ!無事卒業出来ました!ありがとうございます!報告させてもらいます!)
【おすすめ記事】