チェルノブイリ事故30年 巨大構造物を公開

チェルノブイリ事故30年 巨大構造物を公開
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旧ソビエトのチェルノブイリ原子力発電所の事故から、来月26日で30年になるのを前に、放射性物質の拡散を防ぐため、建設が進められている、爆発した原子炉の建屋を覆うアーチ型の構造物が報道陣に公開されました。
ウクライナにあるチェルノブイリ原発では、旧ソビエト時代の1986年に試験運転中の原子炉で爆発が起きて大量の放射性物質が放出されました。
爆発した原子炉の建屋は、コンクリートや金属を使った建造物で覆われてきましたが、老朽化して放射性物質が拡散するおそれが出てきたことから、現在、これを安全に覆うための巨大な構造物の建設が進められています。
この建設費用を管理するヨーロッパ復興開発銀行は、来月26日で事故から30年になるのを前に23日、この建設現場を報道陣に公開しました。
構造物は、高さ108メートル、幅257メートルのアーチ型で、年内にも300メートル離れた原子炉の建屋まで移動させ、来年の完成が見込まれています。
建設費用は、日本円で1800億円余りで、100年にわたって放射性物質を封じ込めることができるということです。
ヨーロッパ復興開発銀行で、原子力関連の責任者を務めるビンス・ノバクさんは、「この構造物は、古い石の建造物を取り壊し、内部の核燃料を取り出すために大きなカギとなるものだ」と話していました。
チェルノブイリ原発では、今後、新たな構造物の内部で、核燃料を除去する作業が進められる予定ですが、原子炉の建屋は、依然、放射線量が高く、作業をどう進めるのかが大きな課題となっています。

町は廃虚に

チェルノブイリ原子力発電所から北西におよそ4キロ離れたプリピャチは、原発で働く従業員やその家族のためにつくられた町です。
高層アパートをはじめ、学校や幼稚園、それに遊園地などが整備され、かつてはおよそ5万人が暮らしていました。
しかし、事故を受けて、住民は避難を余儀なくされました。
避難した住民は、事故から30年がたとうとする今も地元に戻ることは許されておらず、町は廃虚となっています。
町には木がうっそうと生い茂り、ガラスが割れ、今にも崩れ落ちそうな建物もあり、ひっそりと静まりかえっていました。
現地ではかった放射線量は、道路で1時間当たり0.6マイクロシーベルト前後、街路樹の付近では、1.4から1.8マイクロシーベルトを示す場所もありました。

チェルノブイリ 経緯と今後

爆発が起きたチェルノブイリ原発の4号炉の建屋は、事故直後からコンクリートと金属を使った建造物で覆われ、放射性物質の拡散を防いできました。
しかし、石でできたひつぎを意味する「石棺」と呼ばれるこの建造物は半年間の突貫工事で建設され、老朽化もあってさびやひび割れなどが目立つようになり、崩れ落ちるおそれが出てきています。
石棺の内部には、今も核燃料が残されていて、崩壊した場合には、放射性物質を含んだちりが拡散する懸念があることから、ウクライナ政府は、石棺そのものを覆う巨大な構造物を建設することを決めました。
2012年に建設が始まった構造物は、高さ108メートル、幅257メートルの巨大なアーチ型をしていて、ステンレスなどの金属製で、100年にわたって放射性物質を封じ込めることができるということです。
建設は、日本や欧米などから、15億ユーロ(日本円で1800億円余り)の支援を得て進められ、年内にもおよそ300メートル離れた石棺まで移動し、来年の完成を目指しています。
完成後は、構造物の内部に取り付けるクレーンなどを使って遠隔操作で石棺などを数十年かけて解体する計画です。
ただ、核燃料の除去にあたっては、依然、放射線量が高いことや、技術が確立していないことから、廃炉への道筋は事故から30年がたとうとするなかでもほとんど決まっていないのが実情です。