そもそも、一流大学を卒業し、労働市場における価値が高い人は、実は新卒時に一流の出版社5~6社のいずれかにすんなりと入っている。出版に限らず、入社難易度の高い全国紙やキー局に入る人も、少数だがいる。20代後半になっても大学生と競い合い、新卒の採用試験を受ける人は、一流大卒であっても労働市場の価値が高いとは言えない。むしろ、低いと見るのが妥当だろう。
ところがBグル―プの人たちは、こうした現実を見つめようとしない。自分より偏差値が高い大学の出身者であっても、「優秀とは言い難い人材」と競い合うのだから、自信を持てばいいのだ。だが劣等感があるのか、Aグループの人たちが狙う出版社の採用試験すら受けようとしない。ここに、「学歴病」の大きな問題が横たわっている。
偏差値で「身のほど」をわきまえ
気概を失ってしまう若者たち
ここで、コンサルタントの大前研一氏が著書『稼ぐ力』(小学館)の中で、10代の頃の偏差値教育について書き著している内容の一部を紹介したい。
「結局、日本で導入された偏差値は自分の『分際』『分限』『身のほど』をわきまえさせるたけのもの、つまり、『あなたの能力は全体からみると、この程度のものなのですよ』という指標なのである。
そして、政府の狙い通り、偏差値によって自分のレベルを上から規定された若者たち(1950年代以降に生まれた人)の多くは、おのずと自分の“限界”を意識して、それ以上のアンビションや気概を持たなくなってしまったのではないか、と考えざるを得ないのである。」(P198より抜粋)
この本が発売されたのは、2013年。読み終えてすぐに思い起こしたのが、2006~09年に筆者が専門学校で教えていたときのことだ。受講生が、卒業大学の入学難易度で進路を選んでいく姿である。「私は〇〇大卒だから、このくらいかな……」といった感覚で、人生の可能性に自ら線引きをしてしまっているように、筆者には見えた。
新卒ならともかく、20代後半で、しかも会社員として数年間働いた経験がありながら、この程度のレベルの思考で進路を選んでいく。大前氏が指摘するように、「分際」「分限」「身のほど」を、悪い意味で心得てしまっているのだ。
彼らと離れて10年ほどが経つ。準大手・中堅の出版社に入ったAグループの15人ほどのうち、12~13人はいまもその会社に在籍しているようだ。副編集長(課長級)になった者もいると聞く。