2016年3月14日14時25分
▽シベリア抑留者の安否、家族に伝えたはがき 寄贈男性の弟、舞鶴引揚記念館訪問
戦後、シベリアで抑留された日本兵らの安否情報を旧ソ連のラジオ放送で聴き、留守家族にはがきで知らせた故・坂井仁一郎さん=大阪府=の弟・紀久男さん(78)=同府高槻市=が先月、舞鶴引揚記念館(舞鶴市)を訪れた。坂井さんが28年前、同館に寄贈したはがきなどの一部はユネスコ世界記憶遺産に登録され、紀久男さんは「ありがたい」と喜んでいた。
坂井さんは松下電器(現・パナソニック)に勤めていた1948年夏、会社の寮で深夜、モスクワ放送の日本語放送で、抑留者の名前や、日本の家族の住所などの情報が流れているのに気づいた。ラジオを聴きながらメモを取り、地名を探し、約3カ月で約700通を留守家族に郵送したという。宛先不明で半分は返ってきたが、家族から感謝の手紙も届いた。
坂井さんは88年、はがきなど133点の資料を同館に寄贈し、2002年に78歳で亡くなった。同館学芸員の長嶺睦さんが膨大な資料の整理や調査をする中で見つけ、12年に企画展を開催。うち80点を世界記憶遺産の候補リストに加えた。
紀久男さんも松下電器の元社員。先月25日、元社員でつくる団体で同館を訪れ、坂井さんのコーナーに展示されたはがきや、兄と一緒に写った写真などを見学した。坂井さんの活動は知らなかったといい、「戦後10年ほど兄と一緒に暮らしていたころ、大切にしている郵便物を入れた段ボール箱があったのは覚えている」と振り返った。
紀久男さんは記憶遺産登録について「兄や兄嫁が生きていたらどんなに喜んだか」と語った。さらに、「兄は出征しなかったので、抑留されることもなく生きながらえたことなどへの償いをしたいという思いがあったのではないか」と推し量っていた。