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49: 投稿日:2016/03/18(金)23:08:48 ID:oHL
盛岡銀行本店:岩手県
>>1911年完成のレンガ建築
設計は東京駅の設計者でもある辰野金吾
建物は3階建てのレンガ造りで、レンガの壁に白い石材によるラインが走る辰野式の意匠が見られる
正面入口が設けられた棟は3階建てで、屋根部分には六角形のドームが乗る
また、建物正面入口に向かって左側には小塔が立ち、右側には切妻の棟が見られるなど、凹凸に富んだ外観を有している
内部は天井などに石膏による装飾が見られ、また吹き抜けのホール部分は2階に回廊がめぐらされている
窓や扉部分にも美しい意匠が見られ、非常に豪華な造りとなっている
盛岡銀行は1896年に設立され、1933年に岩手県金融恐慌の影響で破綻した
その後、県から補助を受けて岩手銀行として復活
途中、合併を幾度か経て現在まで営業を続けている
建物は岩手銀行中ノ橋支店として2012年まで利用され続けたが、同年6月に中ノ橋支店移転により現在は改修工事中である
工事終了後、2016年には記念館として一般に公開される予定である
>>1994年に重要文化財に指定された

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50: 投稿日:2016/03/18(金)23:09:42 ID:oHL
第八十五銀行本店(埼玉りそな銀行川越支店):埼玉県
>>1918年完成のルネサンス様式の鉄筋コンクリート造
設計は保岡勝也
正面部分の高いドーム屋根が特徴の建物
外壁は白タイルが全面に貼り付けられており、付け柱には縞模様の装飾が見られる
建物内部は現役の銀行ということもあって撮影や見学は不可である
>>2階部分には頭取室があるらしく、現在は応接間として利用されているらしい
川越は「蔵の街」として見世蔵の建物が多数残っていることで有名であるが近代建築も数多く存在している
かつてはこの建物のドーム屋根が遠くからでもよく見え、地域のランドマークとして親しまれていたという

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51: 投稿日:2016/03/18(金)23:14:33 ID:oHL
日本銀行本館:東京都
>>1896年完成のネオバロック様式の鉄筋コンクリート造
設計は辰野金吾
日本銀行は1882年に日本銀行条例が公布されて設立された中央銀行である
>>1877年に西郷隆盛を盟主として士族による反乱が起こり「西南戦争」が勃発
この内戦による戦費を賄うために不換紙幣が各国立銀行で発行され、これに加えて不換政府紙幣なども大量に発行された
その結果日本国内に紙幣があふれ、激しいインフレーションが発生、国内の物価が高騰して国民の生活は非常に苦しいものとなった
このことから通貨の混乱を納めるためには銀行を統制する中央銀行が必要であるとして設立されたのが日本銀行である
日本銀行は世界の中央銀行の中では7番目に古い歴史を持ち、イタリア銀行やスイス国民銀行よりも歴史が長い
建物はかつて幕府が金貨を鋳造していた金座の跡地に建てられている
辰野は約1年の出張で各国の中央銀行を視察し、外観はベルギーの中央銀行を基にして設計されたと言われている
当初は建物全体を石造りとする予定であったが1891年の濃尾大地震を教訓として耐震性を考慮し、2階と3階部分はレンガ造に石貼りとして建物上部の重量を軽くしている
その結果関東大震災では建物は一切被害を受けなかった
しかし近隣の火災から火が燃え移り、建物のドーム屋根が焼け落ちたため後に修復された
建物は上空から見ると「円」という形になっていることはよく知られている
しかし当時は「円」ではなく「圓」という漢字を使用していたため、この形になったのは偶然であるとする意見がある一方
俗字としては以前から「円」と書かれていたため、やはり意図的にこの形にしたという意見もある
現在は敷地内での撮影などは禁止されているが、事前に予約すれば外観のみであれば撮影が許可され、内部の見学も可能である
建物は1974年に重要文化財に指定されている
因みに本館正面に向かって右側の別館は辰野の弟子である長野宇平治が設計したものである

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53: 投稿日:2016/03/18(金)23:16:02 ID:oHL
旧日本郵船小樽支店:北海道
>>1906年完成のルネサンス様式の石造り建築
設計は佐立七次郎
日本郵船は1885年に設立された船会社で日本の三大海運会社の1つである
「Nippon Yusen Kaisha」の頭文字を取って国際的にNYKとして広く知られている
建物は純石造りの2階建てで内部は漆喰壁に木材は北海道産ワニス塗りで仕上げられており、落ち着いた雰囲気である
各部の装飾や彫刻は見事で、いかに海運業が栄えていたか見て取れる
特に階段手すりの彫刻は非常に美しく、必見である
2階の大会議室は天井が漆喰で仕上げられており、壁には金唐革紙が使用されている
この金唐革紙は日本の伝統工芸で、和紙に金箔を貼り付けて木版で文様を打ち出し、さらに色彩を施して作成される高級壁紙である
日露戦争終結後に行われた樺太国境画定会議はこの大会議室で行われており、豪華な室内で会議を行うことで日本の近代化をロシアに見せつける狙いがあった
また、隣の部屋は貴賓室でこちらの壁も金唐革紙が使用されており、大理石の暖炉や寄木張りの床など贅沢な造りとなっている
さらに2階の窓は全て二重窓になっているなど、見た目だけでなく雪国の気候にしっかりと配慮した設計がなされている
第二次世界大戦後に建物はアメリカ軍に接収されたがその後返還され、1955年に小樽市が日本郵船から譲り受けた
>>1956年からは小樽市博物館として一般向けに開放されたが、長年の経過によって建物が傷んできたため1984年に改修工事を行った
この際、貴賓室や会議室などは接収時にアメリカ兵が金唐革紙にタバコを押し付けて穴を開けたり、壁に汚れをつけるなどしていたため新しい金唐革紙の壁紙を作成することとなった
しかし金唐革紙の製作技術は既に失われており、東京文化財研究所の助言を受けて金唐革紙研究所が新設された
その後日本画家などが中心となって技術を復活させ、復元は無事成功した
現在は旧日本郵船株式会社小樽支店として小樽市の発展経過や日本郵船に関する資料などを展示している
余談であるが金唐革紙は製作技術は復活したものの、現在これを製作できる人物は日本画家の後藤仁ただ一名のみである
また、青森銀行記念館の2階の天井にも金唐革紙が使用されているが、これは創業時からのものであり非常に貴重なものである

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