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Parablog - 俺が叫びたがってるんだ。

心が叫びたがるままに綴りたい、生き方と考え方、雑記からなる随筆的な書き物など。

前回の補足として「ASP広告」と「広告そのもの」に対して思うこと。

ブログの話 ブログ広告

肯定しながら否定する

前回書いた記事に対して、Twitterにて思うところのあるシェアコメントがあった

www.parabell-life.net

何故広告ってこう嫌われるんだろうか。私はクリエイティブ含め広告見るの好きだし、良いモノが見つかることもあるのに。

シェアコメント - Twitter

いささかくどいかもしれないけど、俺はASPにしろ広告にしろ、敵視もしていなければ悪だとも見なしていないし、それ自体を排斥したいともまったく思っていない。

むしろその功績を評価しているし、収益を得たことがない立場ながら感謝している。

インターネットにASP広告がもたらしたもの

それでも前回の記事が否定的に感じられるものに仕上がったのは、俺がASP広告自体を肯定する立場でありながら、その運用手法の一部と、このブログにそれを貼ることに対しては否定的だという二面性を持っていたからだと思う。つまり、俺の表現が至らなかった。

というわけで、ここでASP広告の功績を取り上げながら、補足しておきたい。

事実としてASP広告の功績は大きい

収益モデルとしてASP広告が登場してから、今日まで積み重ねてきた功績は大きい。

企業や団体はもとより、個人でもWebで収益を得ることができる……それはWeb運営に関わろうとする参加者の総数を大きく引き上げたし、競争を引き起こして市場の活性化を促したはずで、必然的に広義のインターネットユーザーの増加にも寄与していく。

多くの無料サービスがASP広告を頼りに生まれては消え、淘汰され、進化してきた。

昨今では「良質なコンテンツがPVを呼び込み、それが収益を押し上げる」という、一種のセオリーが生まれたことで、良質のコンテンツを作るという機運も高まった。

一部の悪質なアフィリエイターが検索結果を自サイトに誘導するために、強引な手法を厭わずに食い荒らす暗黒時代を生み出したり、やや画一的なブログを量産しているという副作用もあって、諸手を上げて歓迎できるかというと、そうとはいえない。

それでも、ASP広告がインターネットとアプリ市場の発展に貢献した事実がなくなることはないし、玉石混淆の「不確定な価値」が秘めている可能性は、今でも計り知れない。

広義の「広告」そのものについて思うこと

広義でいうところの広告には創造的な部分もあり、多くの才能と努力、そして熱量が注ぎ込まれて生まれてくる。それは、ときに素晴らしい「作品」でさえあると思う。

あまり重きを置かれない類のものだったとはいえ、俺も一応は広告をデザインしたり、物理的にも作っていたことがあるから、その断片くらいはわかっていると思う、たぶん。

それはきっと、Web広告であっても、バナー広告であっても同じなんだろう。

その広告は、読者と広告主の仲立ちの役割を担って、生まれてきた……需給の巡り合わせが一致する可能性を託されて、ただそれだけのために人の手で生み出され、生まれた。

需給の一致が成り立ったときに煌めく、相互利益の実現のためだけに。

そんな役割を担う広告も、それを生み出す制作者も、届けるサービスも、掲載する場に至るまで、俺は素晴らしい仕事だと思っている……ただし、悪徳商法に加担しない限り。

俺が広告を掲載したいかどうかは別だということ

たとえば小説を読んでいて、次のページに「別の著者の作品を紹介する広告」が入っていたとしたら、俺は嬉しくない。あるいは絵の個展に入ったとして、その世界観に浸っている最中、突如として「絵具の広告」が貼ってあったら、やっぱり俺は嬉しくない。

その瞬間、その世界は一度途切れて現実へ引き戻されてしまい、濁ってしまうんだ。

このブログはわりと雑多な記事が入り乱れているし、記事に共感してもらえるかもわからないけど、今の俺がどうにかして例えるとしたら、そういう感覚なんだ。

多くの人がASP広告を傍らに携えて、Webに夢を見る。何かを実現したいと願い、あるいは実現できると期待をかけ、望む未来を紡ごうとそれぞれの人生を生きている。

そうして人生の道が開けた人もいるだろうし、ASP広告がその成功を支えた表現者が生み出した作品によって、多くの人が得がたき何かを得てきたはずだ。

俺だって、そのうちの一人なんだ。

アフィリエイターとASP広告の歴史上、そのイメージから嫌われたり、憎まれたりしてしまうこともあるだろうし、俺のように「自分の世界には貼りたくない」と理想主義に突っ走るようなやつもいるけど、ASPにはどうか胸を張って、胸を張れる仕事をしてほしい。

その運用が誠実を失わない限り、誰もが胸を張って使えばいい。

多くの素晴らしい作品を生み出す誰かと、その収益を支えるASP広告。

その両輪が引くわだちにも、愛を込めて。

うん。

そんなところだ!