ヘイト規制法案(中) 「差別に中立ない」

人種差別撤廃施策推進法案 参考人質疑

ヘイト被害の実態について語る参考人

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 参院法務委員会は22日、人種差別撤廃施策推進法案に関する参考人質疑を行った。法案に賛成の立場から、大学教授と在日コリアン3世の女性が意見陳述を行い、「人種差別は日本社会の民主制をも損ないます」「差別の問題に中立、放置はあり得ません。差別を止めるか否かです」などと法規制の必要性を訴えた。同法案は昨年5月に民主、社民両党と無所属でつくる議員連盟が参院に提出し、今国会で継続審議となっている。

金(キム)尚均(サンギュン)(龍谷大学法科大学院教授)


 現在、審議されている法案の本国会での成立を望んでおり、賛成したいと考えています。以下、参考意見を今後の審議のために述べたい。

 日本政府は1995年、人種差別撤廃条約に加入しました。本条約が1965年に国連で全会一致で採択されてから、30年後の出来事です。この間、日本において差別問題はなかったのか、というと、在日朝鮮人、被差別部落の人々に対する差別は依然として存在し続けた。しかし、国内法の整備はこの条約に沿って整備されてこなかった。このような状況に対して、国連の人種差別撤廃委員会から人種差別禁止法の制定が勧告されるという始末です。国際社会の一員として、日本においてグローバルスタンダードとしての基本的人権の保障と、人種差別撤廃のための国内の立法作業が急務と言えます。

 人種差別を規制する法律がない、という日本の法事情の中、2000年ころから、外国人、とりわけ在日韓国朝鮮人を標的とする誹謗(ひぼう)中傷、インターネット上の書き込み、公共の場におけるデモや街宣活動が目立ち始めました。公共の場で行われる、まさに差別表現です。公然と拡声器を用いて差別表現を並び立て、罵詈(ばり)雑言、誹謗中傷を繰り返すのであります。その表現は「ゴキブリ朝鮮人を殺せ」「朝鮮人をたたき込め」といったように、攻撃的、凶悪的、排除的であります。しかも、駅前や繁華街において、参加者、一般の人に対して差別をあおり、賛同者を集めようとする極めて先導的な差別行為です。

 このような差別を象徴する事件として、京都市南区にあった京都朝鮮第1初級学校に対する襲撃事件を挙げなければいけません。本件は2010年12月4日に起こった事件です。

 学校前、その周辺で3回にわたり、威圧的な対応で、侮辱的な発言を多く伴う行動を繰り返し、その様子をインターネットで公開した。本件では、事件現場では警察署員がいたにもかかわらず、中止、制止することもなく、漫然と刑法上の犯罪行為、ならびに民法上の不法行為を静観した。警察のこのような態度が被害を深刻化させると同時に、人種差別行為を社会にまん延させる決定的な要因になったということは否定できません。

 被害者当事者による民事訴訟の提起に対して、京都地裁と大阪高裁は次のように判示しました。

〈一般私人の表現行為は、憲法21条1項の「表現の自由」として保障されるべきものだが、私人間において、一定の集団に属する全体に対する人種差別的発言と心得た場合には、上記発言が、憲法13条、14条1項や、人種差別撤廃条約の趣旨に照らし、合理的理由を欠き、社会的に許容しうる範囲を超えて、他人の公的利益を侵害すると認められるときには、民法709条「他人の権利または法律上、保護される利益を侵害した」との要件を満たすべきと解すべきだとし、それ故、人種差別を撤廃するべきものとする、人種差別撤廃条約の趣旨は、当該行為が悪質性を基礎付けることになり、理不尽、不条理な不法行為による被害感情、精神的苦痛などの無形損害という大きさから当然に考慮されるべきである〉

 このように判示しました。そして、その判示により、名誉毀損(きそん)と業務妨害を認め、人種差別撤廃条約違反をその悪質さの根拠とし、加害者側に約1226万円の損害賠償を命じたのであります。この判決は、人種差別表現が不法行為に該当し、その違法性は通常の名誉毀損に比べて高い、としました。本件は2014年12月9日をもって、確定しました。

「ヘイトスピーチは人種差別」


 これにより、日本において、ヘイトスピーチが人種差別であり、人種差別撤廃条約に反すると初めて判断しました。判決の意味は、日本において表現行為による人種差別が違法であり、しかも重大であることを示した。京都朝鮮学校に対する事件は、人種差別の問題を社会と司法の場に置いて顕在化させ、人種差別を防止するための立法の必要性を明示させてのであります。日本社会において、人種差別を撲滅するための社会的取り組みをあらためて活発化させ、人種差別撤廃のための立法が検討されるまでになりました。

 立法の必要性について、京都事件は、人種差別の認定に際して、憲法8条2項を解して、人種差別撤廃条約を間接適用しました。これは現在、国内法が日本に整備されていないからです。間接適用とは、国内に直接的な法律がないことを意味しており、法的安定性をかき、それ故、その適用についても敷居が高くならざるを得ません。

 人種差別は、社会において支配的な性質を持つマジョリティーがマイノリティーに対して攻撃を行い、マイノリティーが人権の主体であり、社会の構成員であることを否定し、社会から排除するという、看過できない、まさに人間の尊厳の侵害であります。これは、人種差別がなぜ許されないか、しかもこれを撤廃するための法律がなんのために必要なのか、何を保護すべきなのかを明らかにしています。

 禁止規定を制定することにより、司法、立法、行政の実務において、人種差別における被害とその危険性の理解を促進することができます。実害と被害があるにもかかわらず、適切な対応ができないままでいた立法、法の適用、執行の実務の在り方を、人間の尊厳の保護の見地から見直す重要な契機となり得ます。

 人種差別に対する明確な法律がない中、デモの交通整備をする警察職員が、人種差別をする人々を擁護しているかのように見える場面も多々、生じております。一方で、人種差別に対抗し、平等を訴える人々に対し、警察職員が強圧的な態度を取らざるを得ないという錯綜(さくそう)した状況も生じています。これは差別禁止規定がないと、中立と公共の安全の保持の名の下に、道路許可を得ているか否かどうか、だけで保護対象とそうでない者を割り切らざるを得ないことを表しています。

「差別撤廃の担い手は、社会に生きる私たち」


 人種差別を撤廃する人種的な担い手は、社会に生きている私たち人間であり、私たちを構成させる社会の自己解決能力であります。この追及を支えるのが法律である、と考えるべきでしょう。結果的に差別をする側を擁護することになる行政実務を変えるためにも、法律の制定が早急に求められている。

 被害実態調査について述べると、日本政府は国連の人種差別撤廃委員会で次のように述べています。

 「我が国の現状は、既存の法制度では差別行為を抑制することはできず、かつ、立法以外の措置によってもそれを行うことができないほど、明確な人種差別が行われている状況にあるとは認識しておらず、人種差別禁止法が必要であるとは考えていない」

 しかし、このような日本政府の発言は、まさに政府レベルにおける人種差別に関する実態把握をしておらず、そのため、客観的な証拠がないということを示すものです。国連の認識と日本政府の認識の乖離(かいり)を回避するためにも、被害実態調査の定期的実施をするための立法が必要と言えます。

 最後に、人種差別は一定の集団と、その構成員である諸個人を社会から排除、ないし否定するものです。特定集団そのものの否定、社会における共存の否定であります。私たちは、2015年7月から9月の間、高校生を対象に被害実態調査を行った結果、ヘイトスピーチなどの人種差別が生身の人間の心身を傷付けることを再確認しました。京都朝鮮学校事件では、裁判を通じて、人種差別の標的とされた集団が沈黙、無力化し、自尊心を喪失させられ、社会への参加が難しくなる被害の実態、現実を明らかにしました。

 一定の集団、構成員である個人に対する差別と排除により、その構成員の人権の享受を阻害し、しかもそれを正当視、当然視する社会環境を醸成する危険な事態なのであります。人種差別は、日本社会の民主制をも損ないます。人種差別を野晴らしにする社会は、社会の構成員である一部の人々を不当に排除し、憎しみ扱いし、ひいては人間であることを否定する。

多様性を認めない社会になりはて、共生社会を否定することになります。

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