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1: 投稿日:2016/03/18(金)21:35:38 ID:oHL
明治から終戦までに北海道、東北、関東地方に建てられた現存する建物をいくつか紹介していくよ

 

2: 投稿日:2016/03/18(金)21:36:04 ID:Zwo
名建築(西洋のオマージュ)

 

3: 投稿日:2016/03/18(金)21:38:16 ID:oHL
東京駅:東京都
>>1914年完成のレンガ建築の駅舎
設計は辰野金吾
建築家として生まれたからには東京に東京駅、日本銀行、国会議事堂を建てたいと語った辰野金吾の代表的な名建築の一つ
長大な駅舎に出口と入口の大ドームやその他の塔をうまく配置し、非常に美しい外観となっている
赤レンガの壁に白い石材のラインが横に走る意匠は辰野式と言われ、日本の多くの建築家に多大な影響を与えた
皇居に正対する形で建てられ、国家の象徴的な位置付けがなされていた
左右にある大ドームは内装も豪華絢爛であり、天井には放射状に飛び立つ鷲やその周囲に各方角を示した8つの干支等が配置されている
また、左右のドームとは別に中央に皇室専用の出入り口が設けられており、内部は立ち入り禁止であるものの、外観は細かな装飾が各所にちらばめられている
かつての皇室用出入り口内部は吹き抜けとなっており、2階部分には農業、漁業、工業、鉱業の労働者が働く様子が描かれた壁画があり、天上にはステンドグラスがはめ込まれていた
>>1945年の空襲でアメリカ軍の焼夷弾が駅舎に直撃し大火災が発生、レンガの外壁は残ったものの内部はその殆どが炎に焼かれて焼失していた
終戦直後から体制を整えて修復工事を開始し3階部分は安全性に配慮して撤去され、ドーム部分も王冠型から台形に変更
ドーム内部の装飾もローマのパンテオンの天井を模したデザインへと変更され、内外装共に大きく変えられた
しかしこれは仮の修復であり、できるだけ早期に本格的な工事を開始するつもりで当初は「4、5年持てば良い」と言われていた
占領軍から工期の異常な短縮や鉄道省への度重なる財政の縮小などの命令が下され、工事は厳しい財政と超短期間の中突貫で行われた
鉄道省建築家の伊藤滋や松本延太郎、あるいは工事を行った大林組の日夜の努力でできるだけ日本の中央駅の名に恥じないデザインに修復をした逸話が伝えられている
その後は一時取り壊しも協議されたが市民から強い反発が起こり、近いうちに修復工事を行うということで最終的に決着した
そして長らく延長されてきた修復計画は1999年から2000年にかけて創業当初の形態に復元する本格的修復工事の方針がまとめられた
工事は2007年から開始され、5年の歳月をかけて2012年に完成
駅舎は内外装共に本来の美しい姿を取り戻した
因みに、戦前から営業していた駅舎内の東京ステーションホテルの内装については本来の内装、仮修復時の内装、本格修復後の内装と何度も大規模な変更が加えられており、現在のホテルは元の内装とは大きく異なっている
その為か本格修復によるホテル休業時から国内のクラシックホテルによる「クラシックホテルの仲間たち」のグループから外され、工事が終了した現在も除外されたままである

完成当時の東京駅
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空爆によって被害を受けた東京駅
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仮修復時の東京駅
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現在の東京駅
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5: 投稿日:2016/03/18(金)21:41:32 ID:oHL
原宿駅:東京都
>>1924年完成の木造建築の駅舎
設計は鉄道省技師の長谷川馨
ハーフティンバー様式の木造建築で、東京都内の木造駅舎としては最古のものである
ハーフティンバー様式は中世にフランスのノルマンディー地方で誕生し、北ヨーロッパに多く見られる様式である
火災に弱い田舎家として石造、レンガ造にくらべ低い地位にあることが長かった
しかし19世紀後半に田園都市運動などの盛り上がりとともにその美観が見直された
日本にも現地のブームとしてこの様式が輸入されてからは国内でも積極的にハーフティンバーが用いられるようになった
現存している駅舎は二代目であり、中央に換気をかねた八角形の塔が立ち、正面出入り口の上部にはステンドグラスが使用されている
>>1925年に病弱であった大正天皇の為に皇族専用のホームとして帝室御乗降場が設置された
皇族専用であるにもかかわらずホームの造りは質素であり、目立った装飾も無い
これは当時あまり派手な駅舎を建てると療養中の天皇が利用している姿が人目につき、健康を害している天皇の姿を国民が目の当たりにしたら社会に動揺が広がると考えられたためである
>>1945年にアメリカ軍の爆撃機より複数の直撃弾を受けたが、奇跡的に全弾不発であった為に駅舎は焼失を免れ現代まで残っている
平成となった現在、今上天皇は東京駅を利用することがもっぱらであり、交通網の発達もあってお召し列車の運行自体が稀となっている
さらに原宿駅自体も過密ダイヤとなっている為、お召し列車の運行には不適切であるとされているという事情もあってこのホームが利用されたのは2001年が最後である
しかし決して廃止されたわけではなく、今後は国賓の案内などにこのホームを利用する可能性も示唆されている

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