30年以上にわたり使い続けたシステムを入れ替える。企業ITに携わる人間ならば、その困難さを想像するのは難しくないはずだ。このほどANAは、8年間の歳月をかけて、国内線の予約、発券、搭乗業務を支える旅客システムをオープン化。34年間、ビジネスを支えたメインフレームに別れを告げた。プロジェクトの指揮官に話を聞く(文中敬称略)。 聞き手:田口 潤 IT Leaders発行人 Photo:陶山 勉
――今回、8年間にわたる国内旅客システムの刷新という大規模プロジェクトを終えた訳ですが、もともと、いつ頃から検討を始めたのですか?
金子:“次”を考え始めたのは、2000年頃だったと思います。30年以上にわたって、メインフレームを使い続けてきましたが、そのころから限界を感じ始めていたのです。
コストについては、必要経費ですから、それほど問題視していませんでしたが、むしろ、技術者の確保には頭を悩ませていました。市場からメインフレームが徐々に姿を消すにつれ、技術者も減ってきていたのです。今後もシステムは継続的にエンハンス(強化)していかなければなりません。開発に必要な人員を市場から調達できなくなるかもしれない。そんな不安を感じるようになっていたのです。
航空業界は、とにかく競争が激しいんです。新幹線や高速バスといったライバルに加えて、海外ではLCCが登場していました。だから、時宜に応じて、新しいサービスを投入できるよう、開発リソースをいつでも確保できる体制を整えておく必要がありました。
――しかし、言語はCOBOLですよね。であれば、技術者の確保には、そう大きな問題はないはずですが。
金子:実は、Fortranなのです。国内旅客システムが稼働した当時は、比較的主流でした。金融機関の第2次オンラインシステムでも使われていましたし。ただ、今は、そうした時代ではありません。社内にも技術者はいますが、それだけでは足りない。今さら若い技術者に「Fortranを覚えろ」と言うのも酷な話です。どうしたものかと、延々と悩んだ末、システム刷新を検討する社内プロジェクトを立ち上げたのが、2005年頃でした。
パッケージソフトの登場がシステム刷新を後押し
――2005年という時期には、何か意味があったのですか?
金子:パッケージソフトが登場したのが大きな要因でした。実は、旅客システムって、スクラッチで作るのが困難なのです。一見すると、座席を販売するだけのシステムに見えますよね。でも、実際にはさまざまな条件で料金が変動しますし、乗り継ぎや同行者、機内食の希望といった情報が1つの座席に紐付いており、とても複雑なのです。当時、ようやくオープン系で航空業界向けパッケージが登場してきた。
――当然、複数のパッケージを比較検討したはずですね。ユニシスを選ぶ決め手となったのは?
金子:当初は、IBMやEDS、それから、航空業界向けにソリューションを展開するSITAから提案を受けました。ユニシスを選んだのは、すでにパッケージを持っていて、ドイツの航空会社で導入実績を持っていたからです。構想レベルにとどまっていて、実際に動くものは持っていない場合がほとんどでしたので。
一通り調査はしましたが、2006年には、ユニシスのパッケージに絞り込みました。後は、自社の要件にフィットするかどうか。米国のユニシス本社に担当者が乗り込んで、1カ月間ほどヒアリングし、感触をつかみました。
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