驚異のアクセス数
数万PVを稼ぐことで有名なはてなブログの中にあって、
わがアンノン・ゲームは小規模でひっそりと運営しています。
ところが・・・!
昨日の未明に真田丸(第11話)の感想をUPしたところ、
なんと、1日で1207PVを記録したんですよ。
1日1000PVは当ブログの目標のひとつだったんですが、
筆者の文章があまり上手くないことと、
目を引くような記事タイトルをつけられないので、
夢のまた夢だと思っていました。
このような辺境ブログを閲覧していただき、本当にありがとうございます。
ちなみに、2日がかりで1000PVを記録したことは、
以前に2度ほどあります。
2016年2月29日 509PV
2016年3月1日 610PV
2016年3月7日 818PV
2016年3月8日 364PV
いずれも真田丸がらみでのプチバズですが、
今回はやはり、非業の最期を遂げた室賀正武の影響が大きいですね。
2016年3月21日 1207PV
検索で上位を獲得したためか、流入が圧倒的に多く、
内訳はグーグルで53%、ヤフーで37%でした。
室賀氏は清和源氏だった
さて、「黙れ、小童!」の名台詞で時の人となった室賀正武ですが、
真田丸の放送以前はまったく無名の武将でした。
現存する史料もほとんどないので、
あの強烈なキャラクターは、三谷先生が考え出した創作なんですね。
でも、ウィキペディアにはこう書かれていましたよ。
北信濃の国衆である清和源氏村上氏流屋代氏の支流・室賀氏の一族。
『寛政重修諸家譜』によると、父は甲斐武田氏に仕えた室賀満正(勝永)で、
満正は武田氏滅亡後の天正10年(1582年)4月に死去している。
同書では、その後の家督は弟の満俊が継ぎ、三河国の徳川氏に従ったとされている。
正武は「真田昌幸がために殺さる」とある。
なんと、室賀氏は村上義清と同族だったんですね。
なかなかの強さを誇った武将でした。
彼の所領のひとつの砥石城は力攻めでは落ちなかったので、
信玄はある武将に命じて調略をしかけました。
実はその武将というのが、真田昌幸の父・幸隆(幸綱とも)だったんです。
幸隆の調略により、砥石城は武田のものとなり、
このことが川中島合戦の原因になったと言われています。
真田昌幸のお父さんが、室賀正武の本家筋と戦っているというのも、
なにやら因縁めいたものを感じますね。
ちなみに、清和源氏というのは、
南北朝時代に活躍した新田義貞や、室町幕府を開いた足利尊氏と同じ一族です。
室賀正武は小勢力とはいえ、そのプライドがあったから、
真田昌幸に従うことを良しとしなかったんでしょうね。
ゲームで復活?
ネットでは「室賀ロス」という言葉が流行しているようですが、
確かに、彼が真田丸に出なくなるのは寂しいですよね。
大河でスピンオフドラマは難しいかも知れませんが、
真田昌幸とは幼なじみという設定だったので、
彼らの子供時代を描いた作品があったら観てみたいです。
あと、信長の野望で室賀正武が登場したら嬉しいです。
もっとも、新武将作成機能があるので、そちらで登場させることも可能ですが。
私は、よくプレイする太閤立志伝5で、
室賀正武を作ってみましたよ。
顔グラフィックは、あるマイナーキャラから拝借しましたが、
なんとなく、近いイメージにはなったと思います。
ドラマでは、本当に悲しい亡くなり方をした室賀正武ですが、
ゲームでは、華々しく活躍させてあげたいですね。
彼のおかげで、この辺境ブログにすごいアクセスが集りましたから。