こんにちは。
魚を前にすると、日本人を辞める覚悟で「譲り合いの心」を捨てるくらい魚が大好きなジャグスです。
(写真 : 今年のおせち料理に出されたお刺身。漁師のお祖父ちゃんマジLOVE)
日本人として日本の食文化を理解するために、1ヶ月に一回スカスカの財布から野口英世さんを数枚ほど出して日本食料理に足を運ぼうと決めました。
つい最近では、鎌倉の料亭で焼き魚や天ぷらなど沢山の料理が楽しめる御膳を頂きました。
不思議と、日本食を目の前にすると自然と手を合わせて、「頂きます」と食事を始め
「ごちそうさま」と食事を終えます。
子供頃に親に躾けられ身に付いた習慣なので当たり前なので
ハンバーガーを目の前にしても同じように、その二つの言葉を言います。
しかし、和食の時と比べるともっと意識的に言っているような気がする。
そんなことを美味しい御膳を頂いた後の帰り道で考えていました。
「いただきます」と「ごちそうさま」
日本人が食事をする上で最も基本となる作法ですよね。
しかし、実際この二つの言葉がどういう意味を持っているのかをしっかりと理解していない人も少なからずいると思います。
僕自身も理解していると思っていましたが、細かい部分まではしていませんでした。
今回は、「いただきます」と「ごちそうさま」について説明していきたいと思います。
「いただきます」「ごちそうさま」
食べることは、命を「頂いている」という行為です。
魚や肉そして野菜などの生命で僕たち人間は命を繋いでいます。
つまり、食前に言う「いただきます」とは「命を頂く」という意味で大自然への感謝を表す言葉なんです。
しかし、忘れてはいけないのが、その命を頂く行為の裏には沢山の人々の努力があります。
僕がこの間料亭で食べたスズキは、海から僕の御膳に直接ピョンと飛んできた訳ではありません。
漁師さんが獲ったスズキをお魚屋さんが売って、それを料理人が買って調理して僕の命になったんです。
じゃあ、漁師さん、魚屋さんそして料理人だけ感謝しとけばいいのか?
スズキが僕の命になるまで経た人々はもっともっといるはずです。
漁師、魚屋、料理人の家族の中一人だけでも欠けていたら、僕はスズキを食べることができなかったかもしれません。
スズキを捌くための包丁やまな板だって人の努力の結晶です。
だから、食事が終わったら「ごちそうさま」と言うんです。
スズキを食べれるのは、たくさんの人が走り回って努力してくれたおかげなんです。
だから、「御馳走様」とその人達に感謝を述べる。
つまり、「頂きます」で自然の恵みに感謝して
「御馳走様」でその自然の恵みを自分の命にしてくれた人々に感謝する。
日本人ならではの「頂きます」と「御馳走様」
僕が16歳の時に都内のクリスチャンの家庭に二週間ほどホームステイをしていた時に、食前後にお祈りをしたのを覚えています。
しかし、祈りの対象は自然ではなく、絶対的な神「イエス・キリスト」でした。
西洋では自然は人間より下の存在と見なされ、自然を支配するものが人間とされているからです。
宗教観の薄い西洋人は特に何も言わずに食事を始めます。
西洋人とは対照的に、日本人は自然そのものを「神」と捉えるように、人間より上の存在と考えます。
まず、食べたい気持ちを抑えて「頂きます」
そして、満腹感で怠惰になっても「御馳走様」
食べ物が溢れ、いつだって手に入れることができる今だからこそ
食べ物を作ってくれる自然と人に対する感謝を忘れずに生きていきましょう!
では、またここで会いましょう。
あばよっ。