2016-03-20
■「父を探して」視聴後感想
「父を探して(原題:O MENINO E O MUNDO、英題:The Boy and the World)」
を見た。
英題もそれに則している。
にもかかわらず、そしてこの映画の内容にもかかわらず、
なぜ「父を探して」などというタイトルにしたのか。
そういう発想こそが、
皮肉にもというか、ある意味ではこの作品に流れるポジティブな諦観の的中ともいえる。
「私がこの映画を制作した方法そのものが政治的なメッセージなのです。
改めていうが、この邦題は良くない。
おそらくこの邦題をつけた人たちには残念ながら
「アニメーションのクリエイティブな可能性についてのメッセージ」
は届いていないのだろう。
さて、監督のインタビューからもわかる通り、凄い中二病的な作品である。
近くは新海誠、庵野秀明、幾原邦彦、遠くは若き日の東映動画や虫プロの若手演出家たちを思わせる。
藤津亮太のアニメの門V 第8回せめぎ合いこそが人生「父を探して」
http://animeanime.jp/article/2016/03/04/27287.html
父を探して(原題O MENINO E O MUNDO)35点(100点満点)
http://www.tadamonkugaiitakute.com/11527.html
ず
前者では
「この映画は「誰か」の物語であり、同時に「私たち」の物語であるのだ。」
と表現され
後者では
「一番の落ち度は、同じような顔をしたキャラがたくさんいて、
誰が誰だがはっきりしないことです。みんなこんな顔をしてるんです。
そんでもってこんな顔した少年がお父さんを探しに行くんですけど、
そもそも誰がお父さんなのかがはっきりしないんです。だってお父さんもこんな顔してるから。」
http://newdeer.net/sagashite/point.html
登場人物たちに個別性を与えることを拒否し、「匿名」性を刻み込むのである。」
とされている。
近代の没個性的な側面とそれでも残される人間の個性というテーマはそう珍しくはない。
いや、珍しくはないというよりは、
それに対して、「原初的な手描き」で対抗しようとするアブレウ監督は
にしてほしかったなぁ、、、、