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太平洋戦争の激戦地 硫黄島で日米合同の慰霊祭3月20日 15時15分
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太平洋戦争末期に激戦地となった小笠原諸島の硫黄島で19日、日米合同の慰霊祭が行われ、遺族たちが平和への誓いを新たにしました。
小笠原諸島の硫黄島では、太平洋戦争末期に日本軍とアメリカ軍の間で激しい戦闘が行われ、日米合わせておよそ2万8000人が死亡しました。
19日に硫黄島で行われた日米合同の慰霊祭には、戦没者の遺族をはじめ、自衛隊や沖縄のアメリカ海兵隊などからおよそ400人が参列しました。
式典では、日本側の遺族で作る硫黄島協会の寺本鐵朗会長が「戦争は人類の不幸を招く凶器であることを永く後世に語り継ぐ責務が私たちにはあります」と述べ、平和への誓いを新たにしました。
今回の慰霊祭には、当時海軍の艦船に乗り、硫黄島を守る部隊に物資を運んだ沖縄県宜野湾市出身の元日本兵、仲里眞義さん(90)も初めて参列し、戦没者の死を悼んでいました。仲里さんは当時戦闘には参加していませんが、慰霊祭に参列して亡くなった兵士たちを追悼したいという思いを強くしていたということで、「戦争がなければ死なずに済んだのにと思い、自然と涙が出てきました。戦争はしてはいけないとつくづく思いました」と話していました。
19日に硫黄島で行われた日米合同の慰霊祭には、戦没者の遺族をはじめ、自衛隊や沖縄のアメリカ海兵隊などからおよそ400人が参列しました。
式典では、日本側の遺族で作る硫黄島協会の寺本鐵朗会長が「戦争は人類の不幸を招く凶器であることを永く後世に語り継ぐ責務が私たちにはあります」と述べ、平和への誓いを新たにしました。
今回の慰霊祭には、当時海軍の艦船に乗り、硫黄島を守る部隊に物資を運んだ沖縄県宜野湾市出身の元日本兵、仲里眞義さん(90)も初めて参列し、戦没者の死を悼んでいました。仲里さんは当時戦闘には参加していませんが、慰霊祭に参列して亡くなった兵士たちを追悼したいという思いを強くしていたということで、「戦争がなければ死なずに済んだのにと思い、自然と涙が出てきました。戦争はしてはいけないとつくづく思いました」と話していました。