「使っていないのに捨てられないものには、その人のコンプレックスがあらわれる」とはよく言ったものです。
おしゃれに見られたいから、着ない服でも捨てられない。
知的に見られたいから、読まない本でも捨てられない。
私は映画でした。
映画が好きだからではありません。映画マニアにあこがれていたからです。
映画好き、映画オタク、呼び方はなんでもいいけど、とにかく尋常じゃなく映画に詳しい人に。
「映画が趣味」っていいですよね。
知的さとおしゃれさと俗っぽさのバランスがちょうどいい。
私も、インテリジェンスでスノビッシュな映画ジャンキーになりたい。
さらに言えば、「人生を変える1本の映画」に出会いたい。出会って、人生変わりたい。そしてその映画への愛を語りたい。
ゴダール、トリュフォー、フェリーニ、キューブリック、ヒッチコック、オーソン・ウエルズ、黒澤明、小津安二郎。
素晴らしい映画との出会いを夢見て、手当たり次第に鑑賞しました。が、人生は変わりませんでした。運命の1本には出会えず。
そもそも、映画に人生変えてもらおうなんて甘かったのです。
ずっと不思議に思っていました。
「年に300本見ます」とか、「もう10回は見てます」とか。
なんでそんな時間あるの? と。
答えはとても単純でした。
人は、好きなことには時間を惜しまない。
好きじゃないことには、1秒だって惜しい。
私は映画がそんなに好きじゃないから、優先順位が低いから、時間を作らなかったんです。
このことに気づいてから、無理に映画を見ようとするのはやめました。
あくびを殺して鑑賞した、二度とは見ないDVD。
さして興味もないのに義務感ばかり感じる動画配信サービス。
レンタルで十分なのになぜか購入していたiTunesのデータ。
焦燥感に狂う、途方もない数の「死ぬまでに見るべき名作」リスト。
いらない。必要ない。だいたい、映画は所有するものではない。
たくさん映画を見ている人への憧れはまだ少しあるのですが、
追いつきたいという気持ちはなくなりました。
どれだけ本数を重ねても、楽しんで見ている人には敵わない。