全国各地にある朝鮮学校は、在日コリアンの子どもたちが通っている。日本の学習指導要領に準じた各教科のほか、民族の言葉や文化も学ぶ。

 どの学校も財政的に運営は厳しく、所在地の自治体の多くが他の私学や国際系の学校と同じように、補助金を出している。これに対し、自民党などから補助を打ち切るよう文部科学省に求める声が出ている。

 拉致問題に加え、核実験などを繰り返す北朝鮮への制裁の一環だという。いくつかの自治体はすでに補助を止めている。

 だが、朝鮮学校に通う子どもたちには、核開発や拉致問題の責任はない。北朝鮮の国に問題があるからといって、日本で暮らす子どもの学びの場に制裁を科すのは、お門違いの弱い者いじめというほかない。

 そもそも地方自治体が権限を持つこの問題について、文科省が介入するのは適切ではない。

 日本では、民主党政権だった6年前から高校の無償化が始まったが、これも朝鮮学校には適用されていない。民主党政権は適用を保留し続け、その後の安倍政権は発足後すぐに無償化対象からはずしてしまった。

 政治的理由による除外は違法だとして、朝鮮学校の生徒らが国を相手どり、東京や大阪など各地で裁判に訴えている。

 国際的にも、人種差別撤廃委員会など国連の場では、高校無償化の適用除外は「差別だ」と認めたり、日本政府に対し、無償化の適用や、地方自治体に補助の維持を勧めるよう求めたりする見解が相次いでいる。

 国内でも、埼玉弁護士会が昨年、補助を止めている埼玉県の上田清司知事に「極めて重大な人権侵害」と警告した。

 朝鮮学校では、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の関係者が運営にかかわっているケースは多い。だが、政治と教育は別だ。神奈川県の黒岩祐治知事は「子どもたちに罪はない」として、学校ではなく、生徒たち個人への補助を続けている。

 歴史観の違いはともかく、教育内容に問題があれば話し合いで解決すべきだ。実際、朝鮮学校の教育も変化してきている。

 在日コリアンの社会は多様化しており、多くの朝鮮学校で、韓国籍の子どもが過半数となりつつある。北朝鮮の体制を崇拝している人々の子どもだけが通うと考えるのは誤りだ。

 何より朝鮮学校の子どもたちも私たちの社会の一員だ。日本と隣国の懸け橋になりうる子どもたちを排除しようという思想であれば、逆に日本に反感を持つ人々を増やすだけである。