マンチェスターの空を裂くように、その左足は稲妻を生み出した。「夢の劇場」オールド・トラッフォードに君臨したセルティックの伝説は、白昼夢のような栄光の瞬間を永遠に焼き付けた。
「彼のシュートは、一瞬で世界中に鳴り響いた」
「魔法が、セルティックにリードをもたらした!!!」
「GKは一歩も動けない!! 一歩も! 動けない!!」
様々な実況、解説。そして文筆家が表現を凝らして彼のシュートを表現する。世界中のセルティックファンが見守る中、華奢な日本人が時間を止めた。舞台はヨーロッパチャンピオンズリーグ、オールド・トラッフォードで行われた2nd レグ、アウェイ戦。名手ファン・デル・サールから中村俊輔がFKで奪ったゴールは伝説だ。しかも、ホームでも同様にFKを叩き込んでしまったのだから、オランダ人GKの記憶にも刻まれているに違いない。「あんなコースに決められたら、お手上げさ」と試合後に彼は語ったという。
マンチェスター・ユナイテッドの名将、アレックス・ファーガソンが「ここで吹き付ける冷たく厳しい風が、私という人間を作り上げた」と語る街、グラスゴー。港湾労働者が働く街として栄えたスコットランド最大の都市は、多くを語らぬ男たちが住む場所だ。観光都市エジンバラに対し、グラスゴーの人々は「あいつらは、スコットランドの文化を売っている」と苦虫を噛み潰すように吐き捨てる。そんな特殊な街で、伝説となった選手がいる。中村俊輔。横浜が生んだセルティックの伝説は、未だにグラスゴーの街に生きている。
スタジアムの壁に刻まれた「鮮烈」の記憶
寡黙な技術者。中村は、そういった印象を受ける選手だ。中田や本田のように、よりヨーロッパ的な自己主張を得意とするタイプではないし、空港に降り立つファッションで、話題となることは少ない。しかし、ピッチに立てば眩いまでの輝きを放つ。それが、彼の魅力。イタリアやスペインではコミュニケーション面で苦しんだが、グラスゴーの人々は理解を示す。「あいつらは中村の使い方が、解らないんだろう」というふうに。
2015年に改修されたスタジアムの壁には、100年を超えるセルティックFCの歴史においても、重要となった伝説的プレイヤー達が並んでいる。
その右端に並ぶのは、中村俊輔。それも、最も得意とするFKを蹴る瞬間だ。多くの日本人選手が海外で活躍するようになったが、スタジアムの壁にその姿を刻まれた選手は多くないだろう。スタジアムに赴く度に、セルティックファンは栄光の日々を思い出すのだろう。
中村が比較される、もう1人の伝説
セルティックのファンが集まる掲示板、フォーラムで良く話題となるトピックは「歴史上、最高の外国人選手は誰だ」というものだ。スコットランド人選手以外のレジェンドを選ぶ時、中村俊輔が常に比較される選手がいる。
リュボミール・モラフチーク。怪我により2試合だけのプレーに留まったものの、Jリーグのジェフユナイテッド市原・千葉にも所属したチェコスロバキアの天才だ。そして、多くのオールドファンは「中村俊輔では、彼に遠く及ばない」と若者を諭す。一方で中村俊輔だけを生で見た若い世代は、「中村俊輔こそが、最高のレジェンドだ」と言う。
リュボという愛称で呼ばれるセルティックの名選手は、中村俊輔と同じ25番を背負った。更に、利き足も同じ左。ポジションもサイドアタッカーであったことから、様々な面で比較することが簡単なのだろう。しかし、プレースタイルは異なっていた。彼は強烈なシュートを得意としており、「どちらが利き足かを覚えていない」と語るほどの精度を誇る右足のキックを武器とした。ジェフ所属時は、右足と左足の両方で正確なFKを披露したという。
プレーを見れば解るように、チャンスメイクを得意とする中村俊輔と比べるとアタッカー的な要素が強い。サイドからのキレ味の良いカットイン、相手GKの手を弾き飛ばす強烈なミドルシュート。現代の選手でいうと、オランダ代表のアリエン・ロッベンがイメージとしては近いだろうか。
2人の天才は、共にセルティックのホームスタジアムであるセルティック・パークの壁画となっている。同じ25番を背負った中村の先輩は、超えるべき壁として立ちふさがっていたのだろう。
グラスゴーの人々の中に生き続ける「中村俊輔」
大学院で留学生向け英語コースを担当していたジョナサンは、哲学者のような男だった。授業が終わると葉巻をくゆらせながら生徒と議論し、何事に対しても深く思索する。彼もグラスゴー育ち。グラスゴー大学の卒業生でもある彼は、サッカーが好きではなかった。「知的な人間のスポーツではないよ」というのが、彼の言葉だった。
しかし、中村は別物だった。
「一度空港で、中村を見たことがあってね。サッカーが好きでもないのに、気付いたら夢中になっていたよ。サッカー選手とか、そういう括りではない。今まで会った中でも、抜群に謙虚な男だとわかったんだ。あんなに有名なのに」
そのピッチ外での謙虚さが、知的な大学教員までも魅了する。どこまでも特殊な選手なのだ。70歳を超えたおばあちゃんですら、中村を覚えていた。サッカーは解らないという彼女の口から、最初に出てきたのは中村の名だった。彼女の中で、日本人といえば思い浮かぶのは中村だという。
ピッチ内では、当然多くのセルティックファンを魅了した。図書館で働く強面の警備員。彼の得意技は、「中村俊輔がマンチェスターで決めたFKに至るまでのプレーに対する実況」のモノマネだった。雑談の後、日本人だということを伝えると「中村は伝説だよ」と熱っぽく語り、得意技を披露してくれた。周りの人は驚いていたようだったが。コアなセルティックファン達は、スタジアムで僕達を見ると「ナカムラ!!」と叫んだ。
レンジャーズファンですら、中村を宿敵として尊敬している。僕がパブで出会ったスキンヘッドのレンジャーズファンは、「セルティックが中村で成功したから、彼らは世界的に有名なクラブになった。レンジャーズが彼を獲得していれば!!!」と悔やんだ。
中国人の熱心なセルティックファンもいた。彼はセルティックについて記事を書いたことをきっかけにクラブから公式に招待され、ハーフタイムにピッチで紹介されるほどの大ファンでもあった。
http://www.celticfc.net/news/7711
「スタジアムに行くと、誰もがみんな俺をみて『ナカムーラ!』って言うんだよ。確かに、中村は最高の選手だ。俺も大好きだが、俺は中国人だ。ドゥ・ウェイっていう中国人DFがセルティックに所属していたから、その名前を出すんだけど…ほとんど誰も覚えてない。まあ、セルティック史上最低のDF扱いされちゃうくらい活躍出来なかったから仕方ないんだけどね」
グラスゴーという街で暮らした2年間、僕は何度となく中村俊輔という選手について語られた。彼らにとって中村は日本人の象徴であり、最も強かったセルティックの中心にいた。中村俊輔がグラスゴーに残した足跡は、僕が渡英前に思っていたものとは比べものにならないものだった。セルティックを特別に愛していない人々にすら、中村俊輔は焼き付いている。日本で、少しでも長く彼のプレーを見ていたい。横浜のスタジアムにセルティックのユニフォームと共に出向くのが、今から楽しみだ。
Photos by Yuuki Kohei