タイトルを聞いた時は二人を結びつけるものが頭に浮かびませんでしたし、「どうせ強引に共通点を見つけ出したりしているだけでは?」と思って買う予定にいれていなかったのですが、著者が外交官としてスペイン大使館に勤務し、政治学の本などを出している個人出版社の吉田書店から本(『カザルスと国際政治』)を出していることを知って読んでみました。
カストロとフランコの弾圧者としての側面をまったく描いていないなど、やや対象を美化しすぎているきらいもあって欠点もある本だとは思いますが、これは面白いです。
社会主義革命を成し遂げたカストロのキューバと、反共産主義の独裁者フランコ率いるスペインが、なぜ国交を断絶させずに付き合い続けたのか?という疑問から、キューバ・アメリカ・スペインの外交の三角形を見事に読み解いていきます。
著者はカストロとフランコの共通点として、1,ふるさととしてのガリシア、2,スペイン内戦とゲリラ戦、3,反米主義と愛国心、4,カトリックという4つの点をあげています(13p)。
このうちガリシアとはスペイン北西部のサンティアゴ・デ・コンポステーラのある地域で、ラテンアメリカへの移民を数多く送り出している地域です。フランコとカストロの父親がこの地域の出身で、著者が言うには権威主義的・家長主義的地域だといいます。
その他、ゲリラ戦の経験や愛国主義、カトリックなどがカストロとフランコに共通するもので、それが二人の間に独特な共感を生んだというのです。
と、まずは冒頭の著者の見立てを紹介しましたが、こういったものよりも「西側」と「東側」の二分法におさわまらないスペインとキューバ、そしてフランコとカストロというものを考えてみるといいと思います。
フランコはご存知のようにスペイン内戦において共和国政府を打倒し、独裁体制を築き上げた人物です。このスペイン内戦においてヒトラーやムッソリーニがフランコを支持したこともあって、フランコは彼らと同じファシストと見られがちですが、第二次世界大戦には結局参戦せず、1975年に死ぬまで独裁体制を維持しました。
枢軸国に近かったスペインは国際社会でも嫌われ、1946年には国連総会でスペインを国連から排除する決議が採択されます。
ところが、いつの間にかスペインは東西冷戦の中で「西側」の一員に加わり、アメリカをはじめとする国々との関係を深めていきます。
一方、アメリカの支援を受けたバティスタ政権を打倒し、社会主義化したカストロのキューバは当然ながら「東側」です。スペインとキューバはそれぞれ対立する陣営にいるはずなのです。
「はずなのです」と書いたのは、実際にはスペインとキューバは「対立」していたわけではなく、冷戦構造におさまらない関係を続けていたからです。
そして、この関係を続けさせたのが、宗主国と植民地という関係の中で培われた経済的なつながりと人々の移動、さらにカストロとフランコという二人の指導者の互いへの信頼感なのです。
キューバはスペインのかつての植民地であり、スペイン内戦時にはキューバに亡命するスペインの人々も数多くいました。また、キューバ出身でありながら、スペイン内戦に参加するためにスペインに渡った者もいます。
そんなキューバ出身でスペイン内戦に参加した人物としてアルベルト・バヨ将軍がいます。彼はスペイン内戦の経験を元にメキシコでカストロやゲバラにゲリラ戦術を教えました。
つまり、キューバ革命のルーツはスペイン内戦にあるとも言えるのです。
そんなスペイン内戦仕込みのゲリラ戦を行い、革命を成し遂げたカストロを、フランコは「カストロのやることはすべて、立派な軍人のやることである、キューバは本当に変革が必要であった」と述べたといいます(76p)。
フランコのスペインは、カストロを一貫して軍人、あるいはモラリストとして評価していたのです。
一方、カストロに対しての評価が揺れ動いたのがアメリカでした。
ニューヨーク・タイムズの記者ハーバート・マシューズが、山中に分け入ってゲリラ活動を行うカストロにインタビューした記事になどによって、カストロには「カリブのローレンス」やロビン・フッドのようなイメージがついていました(91p)。
このイメージは国務省にも広がっており、実際、革命が成功するとアメリカはすぐにカストロのキューバを承認しています。
ところが、カストロが社会主義的な政策を取るようになるとアメリカはカストロを「共産主義者」とみなして敵視するようになり、1960年にキューバがアメリカの資産を接収したことから61年に断交します。
さらにこの年のピッグス湾事件によって、アメリカとキューバの関係は修復不可能(50年以上たってようやく回復)になるのです。
アメリカはスペインにもキューバとの国交断絶を働きかけますが、スペインはこれを拒否し続けます。
一番の理由は、キューバが当時国際的に孤立していたスペインにとって輸入先・輸出先として大きな存在だったことがあげられます。特に砂糖の安定供給のためにキューバの存在は必要でした。
同時に1957年から69年まで外相をつとめたカスティエーリャは、スペインとラテンアメリカの「精神的なつながり」を強調し(143p)、アメリカの要求をかわしていきます。
この本を読むと、フランコ政権が「西側」の一員のポジションを確立させつつも、したたかな外交を行っていたことがわかります。独裁政権のくせに「反米的な世論」を持ち出しつつ、マドリード近郊のトレホン空軍基地の閉鎖を要求したエピソード(183p)などは非常に興味深いです。
この他にも、この本にはカストロやスペイン外交をめぐるさまざまなエピソードが綴られています。一見すると、やや話題が拡散しすぎているようにも感じますが、それらのエピソードを通じて立ち上がってくる本書の主張とは以下のようなものです。
最初にも述べたように、著者がカストロとフランコに惹かれすぎていてその負の側面を十分に描いていないという欠点はあるのですが、現代史を今までになかった角度から読み解いた本だと思いますし、読んでいて非常に面白い本でした。
カストロとフランコ: 冷戦期外交の舞台裏 (ちくま新書)
細田 晴子

カストロとフランコの弾圧者としての側面をまったく描いていないなど、やや対象を美化しすぎているきらいもあって欠点もある本だとは思いますが、これは面白いです。
社会主義革命を成し遂げたカストロのキューバと、反共産主義の独裁者フランコ率いるスペインが、なぜ国交を断絶させずに付き合い続けたのか?という疑問から、キューバ・アメリカ・スペインの外交の三角形を見事に読み解いていきます。
著者はカストロとフランコの共通点として、1,ふるさととしてのガリシア、2,スペイン内戦とゲリラ戦、3,反米主義と愛国心、4,カトリックという4つの点をあげています(13p)。
このうちガリシアとはスペイン北西部のサンティアゴ・デ・コンポステーラのある地域で、ラテンアメリカへの移民を数多く送り出している地域です。フランコとカストロの父親がこの地域の出身で、著者が言うには権威主義的・家長主義的地域だといいます。
その他、ゲリラ戦の経験や愛国主義、カトリックなどがカストロとフランコに共通するもので、それが二人の間に独特な共感を生んだというのです。
と、まずは冒頭の著者の見立てを紹介しましたが、こういったものよりも「西側」と「東側」の二分法におさわまらないスペインとキューバ、そしてフランコとカストロというものを考えてみるといいと思います。
フランコはご存知のようにスペイン内戦において共和国政府を打倒し、独裁体制を築き上げた人物です。このスペイン内戦においてヒトラーやムッソリーニがフランコを支持したこともあって、フランコは彼らと同じファシストと見られがちですが、第二次世界大戦には結局参戦せず、1975年に死ぬまで独裁体制を維持しました。
枢軸国に近かったスペインは国際社会でも嫌われ、1946年には国連総会でスペインを国連から排除する決議が採択されます。
ところが、いつの間にかスペインは東西冷戦の中で「西側」の一員に加わり、アメリカをはじめとする国々との関係を深めていきます。
一方、アメリカの支援を受けたバティスタ政権を打倒し、社会主義化したカストロのキューバは当然ながら「東側」です。スペインとキューバはそれぞれ対立する陣営にいるはずなのです。
「はずなのです」と書いたのは、実際にはスペインとキューバは「対立」していたわけではなく、冷戦構造におさまらない関係を続けていたからです。
そして、この関係を続けさせたのが、宗主国と植民地という関係の中で培われた経済的なつながりと人々の移動、さらにカストロとフランコという二人の指導者の互いへの信頼感なのです。
キューバはスペインのかつての植民地であり、スペイン内戦時にはキューバに亡命するスペインの人々も数多くいました。また、キューバ出身でありながら、スペイン内戦に参加するためにスペインに渡った者もいます。
そんなキューバ出身でスペイン内戦に参加した人物としてアルベルト・バヨ将軍がいます。彼はスペイン内戦の経験を元にメキシコでカストロやゲバラにゲリラ戦術を教えました。
つまり、キューバ革命のルーツはスペイン内戦にあるとも言えるのです。
そんなスペイン内戦仕込みのゲリラ戦を行い、革命を成し遂げたカストロを、フランコは「カストロのやることはすべて、立派な軍人のやることである、キューバは本当に変革が必要であった」と述べたといいます(76p)。
フランコのスペインは、カストロを一貫して軍人、あるいはモラリストとして評価していたのです。
一方、カストロに対しての評価が揺れ動いたのがアメリカでした。
ニューヨーク・タイムズの記者ハーバート・マシューズが、山中に分け入ってゲリラ活動を行うカストロにインタビューした記事になどによって、カストロには「カリブのローレンス」やロビン・フッドのようなイメージがついていました(91p)。
このイメージは国務省にも広がっており、実際、革命が成功するとアメリカはすぐにカストロのキューバを承認しています。
ところが、カストロが社会主義的な政策を取るようになるとアメリカはカストロを「共産主義者」とみなして敵視するようになり、1960年にキューバがアメリカの資産を接収したことから61年に断交します。
さらにこの年のピッグス湾事件によって、アメリカとキューバの関係は修復不可能(50年以上たってようやく回復)になるのです。
アメリカはスペインにもキューバとの国交断絶を働きかけますが、スペインはこれを拒否し続けます。
一番の理由は、キューバが当時国際的に孤立していたスペインにとって輸入先・輸出先として大きな存在だったことがあげられます。特に砂糖の安定供給のためにキューバの存在は必要でした。
同時に1957年から69年まで外相をつとめたカスティエーリャは、スペインとラテンアメリカの「精神的なつながり」を強調し(143p)、アメリカの要求をかわしていきます。
この本を読むと、フランコ政権が「西側」の一員のポジションを確立させつつも、したたかな外交を行っていたことがわかります。独裁政権のくせに「反米的な世論」を持ち出しつつ、マドリード近郊のトレホン空軍基地の閉鎖を要求したエピソード(183p)などは非常に興味深いです。
この他にも、この本にはカストロやスペイン外交をめぐるさまざまなエピソードが綴られています。一見すると、やや話題が拡散しすぎているようにも感じますが、それらのエピソードを通じて立ち上がってくる本書の主張とは以下のようなものです。
冷戦期の世界を見る際、我々はまず、共産主義か否かで二極にグループ分けしがちである。しかしそれでは見誤る部分が多い。それは、スペイン内戦とその後、人々が共和国派とフランコ派どちらの陣営だったかと単純に二分して見ると歴史を読み間違えるのと同様である。キューバには、反フランコ、親フランコ、さまざまな人々が入り乱れており、多様性の許されなかったフランコ下のスペインの、ある意味代わりの場所「リトル・スペイン」になっていたのではないか。そのため、スペインが民主化してしまうとスペイン人にとってのキューバの存在意義、立ち位置が変化するのである。(227p)
最初にも述べたように、著者がカストロとフランコに惹かれすぎていてその負の側面を十分に描いていないという欠点はあるのですが、現代史を今までになかった角度から読み解いた本だと思いますし、読んでいて非常に面白い本でした。
カストロとフランコ: 冷戦期外交の舞台裏 (ちくま新書)
細田 晴子