ラボ日記
想像してみてください
暗い海のなかで光を放ちながら漂うオワンクラゲの姿を
1962年のことです。オワンクラゲの発光器官から、ある画期的なたんぱく質が取られました。それが緑色蛍光たんぱく質GFP*です。その30年後の1992年にGFPの遺伝子が取られ、1994年には線虫の神経細胞でGFPの発現が確認されます。
それ以降、遺伝子変異により様々な色の蛍光たんぱく質が開発されてきています。
私は2004年の秋に現職に就き、それと同時に蛍光たんぱく質と出逢いました。
それまでは蛍光たんぱく質というものを全く知りませんでした。蛍光たんぱく質で標識された細胞の画像を初めて見たとき、芸術作品のようで感動したのを覚えています。アシスタントの立場ながら蛍光たんぱく質とお付き合いを始めて10年が経ちます。
ここでは、蛍光たんぱく質が連れてきてくれた思いがけない経験について書きたいと思います。
GFPノーベル化学賞受賞
2008年10月8日午後6時半過ぎ、ノーベル財団がGFP研究の功績を称え、下村脩博士、Martin Charfie(マーティン・チャルフィー)博士、Roger Y. Tsien(ロジャー・チェン)博士の3名に化学賞を授与すると発表しました。
わが上司 宮脇敦史チームリーダー(TL)はTsien先生の愛弟子です。この発表には研究室中が沸きました。喜びのうちに一日が終わると思いきや、怒涛の夜が始まりました。
発表直後、宮脇TLは、下村先生受賞の件で記者会見場へさらわれていき、オフィスの電話はGFPや下村先生に関するメディアからの問い合わせでパンク状態になりました。研究室中の人が手分けして対応するも、次々と来る問い合わせに息をつく暇もありません。電話が鳴り止んだのは、時計が真夜中を指すころでした。
余談ですが、会見では次のような問答があったそうです。
「宮脇先生は下村先生のお弟子さんではないのですか?」
「いいえ、違います。私はRoger Y. Tsienの弟子です」
「それは誰ですか?」
「蛍光イメージング革命」 2010 秀潤社より
下村先生へのファンレター
2013年春、長崎大学から宮脇TL宛にシンポジウムの講演依頼が届きました。講演が決定しプログラムを確認すると、下村脩主催とあるではないですか。
受賞以前から、下村先生はGFPの分野で伝説の存在でした。アメリカ在住の伝説人をわざわざ理研にお呼び立てするもの恐れ多く、講演依頼するのを控えてきました。2008年以降、下村先生は時の人となり、その多忙は容易に想像でき、ますます遠い存在になりつつも、でもやはり生物科学に関わる人であれば「GFPの父である下村先生にひと目会いたい」と思うのは至極当然のことです。
私の勝手な空想がはじまります。「長崎のシンポジウムの前後に和光に来て頂いて、ラボミーティングでみんなと歓談して頂いて・・・・・・」。
わが研究室はGFPととても縁が深いにもかかわらず、下村先生と面識があるラボメンバーは数名のみでした。宮脇TLに相談し、ファンレターのような招待状を送ることになりました。
すると、その翌日に返事をいただきました。
「10月であれば可能性がありますよ。詳細は長崎で決めましょう」
*くらげは青白く光るのに、なぜGFPは緑色なのでしょうか。その秘密は多くの文献で紹介されています。ぜひ調べてみましょう。