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それはいまも大切な書物だ(3月20日)

 震災後に、都内の、たしか池袋で講演をしたときのことである。テーマは、東日本大震災と東北といったところであったか。講演が終わって、何人かの方からの質問に答えていた。少し離れて立っている人影があった。やがて目が合う。何か懐かしい感じはあったが、思い出せない。笑いながら、「○○だよ、わかる?」と話しかけられて、はじめて高校時代の仲間であることに気づいた。髪がすっかり白くなった、思春期の友がいた。
 それから、彼は忘れていた愛称でわたしを呼んでから、「あの頃とまったく同じことを考えているんだね」と言った。胸が苦しかった。そうかもしれないね、と口には出さずに思った。
 手痛い挫折をしたのだった。わたしの20代はまるごと、そこからはい出すためのリハビリに費やされたのだ、といまにして思う。そして、深い海の底から世界を遠く眺めているような日々に、いくつかのテーマと出会った。社会からはみ出して、周縁に追いやられる人たち。そこに生まれる差別や排除。社会に張り巡らされた見えない境界。定住と漂泊。いけにえやスケープゴート。わたしはそれからの3、40年の歳月、そんなことばかり考え続けてきた。
 たとえば、定住と漂泊について。
 日本列島に暮らす人々が、移動から定住へと生活スタイルを変えたのは、縄文時代である。縄文人は定住しながら、狩猟・採集・漁労を組み合わせた暮らしと生業[なりわい]を営んでいた。西田正規さんの『定住革命』という本には、こんな一節があった。移動から定住への転換、そのとき人類は「逃げる社会から逃げない社会へ、あるいは、逃げられる社会から逃げられない社会へと、生き方の基本戦略を大きく変えた」と。そうした変化は「定住革命」と呼ばれる。およそ1万年前、この日本列島では、最初の「逃げない社会」が生まれたのである。
 それ以前の移動をつねとした人々は、逃げる・離れる・去ることを生存のモラルとする離合集散型の社会を営んでいた。それに対して、定住社会はおきてや契約に縛られた「逃げない社会」である。そこに蓄積する不満やトラブルは、しばしばノマド、つまり一所に定住せず移動や漂泊をくりかえす人々への羨望[せんぼう]となって噴出する。だからこそ、ノマドたちは蔑視のまなざしを向けられ、否定の対象とされ続けてきた。
 ここでは、逃げるという言葉がキーワードである。「逃げる社会から逃げない社会へ、あるいは、逃げられる社会から逃げられない社会へ」と、列島に暮らす人々は生存の戦略を変えてきた。わたしたちはそれと知らずに、「逃げられない社会」に身を置き、「逃げない」ことを生存のモラルとして選び取り、「逃げる」ことへの軽蔑や嫌悪を肥大化させてきたのだ。
 さて、西田さんはこう語り納めていた。「定住することによって失ったものにも想[おも]いを馳[は]せねばならない。ノマドの生き方とその歴史に向かい合う時がきた」と。『定住革命』はいまも大切な書物であり続けている。(赤坂憲雄、県立博物館長)

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