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観心本尊抄の指導原理について15/30

 投稿者:まなこ  投稿日:2016年 2月 8日(月)06時50分32秒
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  グリグリのとこ 投稿日:2015年 1月15日(木)09時56分7秒

六波羅蜜の第五は「禅定」です。
禅とは、心を一つに定めて真理を思索することです。
釈尊が苦行を捨てて菩提樹の下で瞑想に入ったのは、禅の修行の代表といえます。
天台もまた、一念三千の法を立て禅定の修行を重視しました。
このように禅定といえば、仏道修行の仕上げともいうべき重要な実践と見ることもできますが、
人間の条件としても、大切な要素の一つです。

禅定とは、人生において達成すべき目標や理想、
また生きていくうえで根本のよりどころとする「志」を持つことではないかと思います。

忍辱といい、精進といっても、明確な目標と理想、
確固たる志なくしては、挫折せざるを得ないと思います。
仮に、耐え抜いて挫折しなかったとしても、明確な目標や目的地がなければ、
迷いの人生に終始してしまうことにもなりかねません。

時々の状況に翻弄され、右へ左へと揺れ動く心の不安定さ、
どこへ暴走するか分からない危険をはらむのは、こうした禅定という指標の欠如によるものと思います。そう考えると、禅定とは人間が生命のよりどころとするに足る仏法を持ち、
広宣流布という目標に向かって生きることだと思うのです。

六波羅蜜の第六は「智慧」です。
これは、一切の諸法に通達し、邪見を取り払って真実を正しく見極める智慧を得るということです。

仏道修行の究極の目的は成仏ですが、
仏とは「覚者」とも表現され、智慧を得た人ということでもあります。
智慧と一言でいっても、商売に成功する智慧もあれば、
経済学、政治学等の学問的智慧もあり、智慧は多種多様に存在します。

仏法でいう智慧は、その多種多様な智慧の源というか、すべての根源の智慧というか、
一切を包含した最高究極の智慧が仏の得る智慧なのです。
この智慧をインドの言葉で表現すれば「阿耨多羅三藐三菩提」となります。
 「阿耨多羅」は無上最高という意味で「三藐」は清浄で偏頗がなく一切を包含しているという意味です。「三菩提」は正しい智慧ということです。

大聖人も観心本尊抄の中で
「天晴れぬれば、地明かなり。法華を識る者は、世法を得可きか」(二五四頁)と述べています。
人間の在り方として考えても、
智慧は古来、東西を問わず人間の基本的な条件とされてきました。

智慧によって人間は、あらゆる現象を正しく把握し、そこに貫かれている因果の法則を究めてきました。それによって、ある事象が起きたときに、次にどのような事象が起こるのかを予知し、それに対応できるようになったのです。

人間が自然の驚異から身を守るためにも、
自然の力を応用して価値を創造していくためにも、智慧は重要な力になります。

http://sgi-shiteifuni.com/?p=687
 
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