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ん~
どんな場合でも、あくまで優しい慈悲の方便、というのもちょっと極端なんじゃないかなぁ。
それだと厳しい方便では救える人がいないとしてることになるんじゃないかなぁ。
僕はそうは思わないのだけど。
『バランス』が大切なんじゃないでしょうか。
厳しい方便でも、その根底は『あくまで救っていこうという慈悲』からなるんじゃないかと思うわけですが。
優しい方便で結果が出ないなら、それに拘らずあらゆる方便を用いてでも救おうとするのが『菩薩』なんじゃないかなぁ。
それに、自分で持ち合わせてる使命しだいで、厳しい方便を得意とする人や、逆に優しい方便を得意とするような『個性』もあるでしょうね。どちらが最善になるかは個性にも左右されることでしょうけど。
個性に合わない方便を無理やりやっても「舎利弗のあやまち」になりがちなんじゃないでしょうか。
優しい方便に拘りすぎてしまうのも、結果的に『同体同心』になってしまうんじゃないかなぁ。
いずれにせよ「慈悲」「諦めない気持ち」がキーになるんでしょうね。
それに、掲示板では、池田先生の厳しい、というより激しい叱責の指導もあるようだし。
同時中継の『ノーカット』の部分はまさしくそういう部分ですよね。
どういう「思い」で池田先生は原田や秋谷に対して叱責をしたのでしょうね。
少なくとも池田先生は実際にやってる様子のようですし。
「優しい方便」はすでに池田先生がやりつくしてきてる、と僕は判断してるんですよね。
それも、戸田先生時代からの接点なのですから、いったいどれだけの期間で池田先生はやってこられたことでしょうか。
これでさらに優しい方便というのはやはり結果にまでは至らないと思いますよ?
池田先生以上の一念と方便を使うしかないのですから。
僕にはどうにも非現実的すぎると思うわけです。
もちろん、単に勘違いの部類なら基本的に優しい方便がいいと思いますけど。
そういう次元ではないのが明瞭に見えますけど。
http://www.geocities.jp/bosatu2015/
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