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「実存開明」

 投稿者:アルベア  投稿日:2016年 2月 6日(土)06時21分7秒
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  「実存開明」

「実存開明」とは、カールヤスパースの言葉である。実存照明とも訳される。

実存照明とは、実存を対象として外部から記述するのではなく、実存をいわば内

部から照らし出しながらその内的構造を明らかにする試みで、交わりと歴史性に

おける「自我自身」の照明から出発し、ついで「自由としての自己存在」が明ら

かにされ、そして最後に無制約的な存在であると同時に有限な存在である実存が

さまざまな相において照明される。実存の無制約的自由は実は超越者に繋縛(け

いばく)された運命的必然性と一つであって、このことの自覚により実存の存在

意識が変革され、超越者が主宰する真の現実が実存に開示される。

ようするに「実存とは、内部観察に『照明』をアテることにより『開明』される

事。」西洋哲学の実存を体感する

道筋として「開明」という言葉を使用したのである。「実存開明」とは「悟る」

事と同じ事を述べていると言える。

その方法として「限界状況」からの離脱を展開したのである。「実際に、今、こ

こに在る」ということを思考し概念化したのである。このことを「実存哲学」と

言う。「実存」を体感することを目指した思考・概念の世界である。

ここに西洋型の思考・概念の限界がある。それこそカールヤスパースの限界状況

が見られている。

東洋型の思考・概念は「自らの体感・体験」によるものであり、それが経典であ

り、天台の摩訶止観等である。

仏法はそうした面では「東洋の体感・実存哲学」とでも言える。ちなみにヤスパ

ースはその後「実存開明」の方途を仏教に求めていた事実がある。西洋型・東洋

型の行き着く先は「仏法の体験・体験」世界なのだ。全ての道は「実存」であり

「悟り」への過程なのである。哲学は思考・概念である。哲学では救済は生じな

い。救済は体感・体験である。

日々の生活は「体感・体験」である「自己機能」である。哲学は「自我機能」で

ある。そして、その現象は「相対的現象・現実」である。あらゆる相対的な現象

は絶対的現象・現実をもたらすために起きているのである。

今日という一日も絶対的現象・現実への誘いであり、「実存開明」の「気づき」

促しなのだ。

その「実存開明」の答えが「意識の使い方」により可能となる時節が到来してい

る。「意識機能」が活性化してきているのがうかがわれる。

「悟り」「覚醒」「至高」体験過程

「体感・体験」の過程は「相対的現象・現実」から「絶対的現象・現実」のシフ

トを示すものでもある。

Ⅰ~Ⅳまでは「相対的現象・現実」の世界である。Ⅳ・Ⅴは「絶対的現象・現実」の世界である。

Ⅰ・自己探求⇒Ⅱ・一瞥体験(3回前後)⇒Ⅲ・身心脱落体験⇒Ⅳ・自己探求の終わり⇒Ⅴ・体感・体験の定着

生活の中での意識の使い方を学ぶことにより、変化が生じる。

①「思考」「概念」から離れる生活をする。「自我機能」の生活から「自己機能」

の生活に「意識づけ」をする。意識を日常生活で身体感覚を意識するようにすることである。

②身体感覚に慣れてくると「エネルギー感覚」がわかるようになってくる。


③「エネルギー感覚」に慣れて来ると、「エネルギー体」として「自分自身」

を見ることができるようになる。

④「エネルギー体」としての「自分自身が消える」という体感・体験が生じる。

エネルギーの全体性に融け込む現象である。いわゆる「非二元者たち」が言う

「自分自身がいない」という表現になる。仏法で言う「灰身滅智」(けしんめっち

)の体感・体験である。禅宗的な表現で言うならば「身心脱落」と言う。(謗法臭いかも)

⑤完全なる体感覚知が定着化すると、全ての現象をエネルギー感覚で見ることができるようになる。

 
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